第24話 人類はモニタに囲まれた夢の世界を目指す|MacFan

アラカルト デジタル迷宮で迷子になりまして

デジタル迷宮で迷子になりまして

第24話 人類はモニタに囲まれた夢の世界を目指す

文●矢野裕彦(TEXTEDIT)

テクノロジーの普遍的ムダ話

ふとデスクの上を見ると、私の周囲には6台のモニタがあった。今まさにこの原稿を表示しているメインモニタに、サブモニタとなっているMacBookプロの画面、iPhoneが2台とアンドロイド(Android)端末が1台。それにアップルウォッチ(Apple Watch)を加えた6台だ。個人が所有しているモニタ数としては多いかもしれないが、決して特殊な部類ではないだろう。多くの人が、複数のモニタに囲まれた生活を送っていると思う。

世代間の差は大きいと思うが、我々は、家庭内のモニタの数が増えていくという経験をしてきた。もっと昔にさかのぼれば、生活の中のモニタは映画館だったり街頭テレビだったりと大人数で共有されていたものだったが、各家庭にテレビが導入され、一家に1台という時代を経て、家庭内に複数のテレビモニタも当たり前になった。

その後に登場して社会的影響力が大きかったのは、何と言っても携帯電話の小さなモニタだろう。最初は文字どおり電話としての機能が主で、モニタ表示はオマケだったが、そのインフラとしてのパワーが圧倒的だったので、短いメッセージしか表示できなくても需要があった。複数人に共有されない点ではパソコンモニタと同じだが、基本的にいつでもどこでもこっそり見られる点が大きく異なる。真のパーソナルモニタの登場だった。

前置きが長くなったが、あとはご存じのとおりだ。スティーブ・ジョブズという鬼才がiPhoneを生み出し、個人所有のモニタの価値を決定的なものにして、世界を変えてしまった。今や個人が複数のモニタを持ち、そこで情報収集、コミュニケーション、コンテンツ視聴、そして暇つぶしを行う時代へと進んでいる。何かのデバイスを導入すれば、パーソナルモニタがどんどん増えていく。

家族皆でテレビを観るという家庭はいまだに多いだろう。一緒に観るから楽しいし、共有モニタにはその存在意義がある。

しかし、皆自分のモニタも大好きだ。電車の中でふと(モニタから目を離して)顔を上げると、皆自分の小さな四角いモニタを見つめている。中には薄ら笑いを浮かべて見つめている人もいる。見慣れた今ですら違和感を覚える光景だが、好きなものに夢中な人というのは、周囲からどう見られているかなど気にしない。

そんなパーソナルモニタ上では、自分の好きなものや気になる情報をひたすら追い求めることが可能だ。そうなったとき、パーソナルモニタの中身は、ほとんどが自分の価値で形成される独自のものになっていく。加えて対象が玉石混交のネット上のコンテンツだ。そこで育まれる価値観にはバラツキがあり、エコーチェンバーなどの影響もあって差が生まれやすい。皆見ているものが違うのだ。

生活空間のモニタの数が増えていくにつれ、実は共有されるモニタは減っていき、自らがモニタに囲まれていく。モニタをあまりにも増やしすぎると、すぐ近くにいる人との間にも高い壁を築くことになりかねない。社会問題となりつつある「分断」も、ここら辺が一因になっているように思う。

そんなモニタ好きの人類だが、長らく四角いモニタを眺める以外のアプローチができなかった。そこで思い立ったのだ。「だったら自分がモニタの中に入ればいいじゃないか」と。こうしてヘッドマウントディスプレイを装着し、疑似的に周囲をモニタで囲まれた空間へと身を投じた。VR(仮想現実)空間がパーソナルモニタの終着駅となるのか、そこにデジタルツインの新しい世界が生まれるのかわからないが、メタバースとは結局、モニタ好きとなった人類が夢見る桃源郷なのかもしれない。

 

 

写真と文:矢野裕彦(TEXTEDIT)

編集者。株式会社TEXTEDIT代表取締役。株式会社アスキー(当時)にて月刊誌『MACPOWER』の鬼デスクを務め、その後、ライフスタイル、ビジネス、ホビーなど、多様な雑誌の編集者を経て独立。書籍、雑誌、WEB、イベント、企業のプロジェクトなど、たいがい何でも編集する。