藤井聡太六段と杉本昌隆七段の恩返し|将棋情報局

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藤井聡太六段と杉本昌隆七段の恩返し

3月8日に行われた杉本昌隆七段と藤井聡太六段の師弟戦は大きな話題を呼びました。結果は千日手の末、111手で藤井聡太六段が勝ち、「恩返し」を果たしました。

お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中 杉本七段は対局に際して、自身の師匠である故板谷進九段が揮毫した扇子を使用しました。また「私がプロ入り前の19歳の時に亡くなり、公式戦対決の夢はかなわなかった」「形を変えて師匠という立場だが、対決できてうれしく思う」と亡き師匠への思いを語りました。(杉本七段 敗戦にも満足感「今日という一日は素晴らしいもの:スポニチアネックス

藤井聡太六段の師の師にあたる板谷進九段は、自身もA級棋士として活躍しながら東海地方の将棋の普及に大いに貢献した棋士です。
加藤一二三九段と同年の1940年生まれでしたが、47歳の若さでクモ膜下出血で亡くなりました。将棋界では数少ない、順位戦での師弟対決(小林健二九段戦)を果たした人物の一人でもあります。

(『週刊将棋』昭和63年3月9日号より)

弟子の育成にも人一倍熱心だったことで知られており、「東海地区にタイトルを持ち帰る」ことを悲願とされていました。

昭和60年度のB級1組順位戦で、最終局を残し板谷八段と小林健二七段(いずれも当時)のどちらかが昇級するという状況になりました。
板谷八段、小林七段ともに7勝3敗、順位の差で小林七段が自力、板谷八段は小林七段が敗れて自身が勝てば昇級という状況でした。
そんな中、板谷八段は神社に赴き、弟子の昇級を祈願したといいます。

以下、小林健二九段による追悼文を抜粋します。(将棋マガジン昭和63年5月号より)

見るからに頼り気のない子供であった私に、先生は私の両親に「この子は黙っていても七段以上になる」とおっしゃったそうですね。
私が五段に昇段が決った時、家内に電話で話され涙を流されていたそうですね。
昭和六十年の順位戦では師弟でA級入りをきそいあい、最終局で私が負けて、先生が勝てば先生がA級に昇級という時に、先生は対局前日神社で、弟子の昇段を祈願されたそうですね。
まだまだ書き切れないぐらい先生にはお世話になったし、これからもっともっといろんな事を学ばせていただこうと思っていたのに。

杉本七段が藤井聡太六段との対局に臨んだ際には、板谷一門ならではの特別な感慨があったことは想像に難くありません。
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