【藤井聡太八冠誕生記念 特別公開】第61期王位戦第4局「天王山に消えた勝機」|将棋情報局

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【藤井聡太八冠誕生記念 特別公開】第61期王位戦第4局「天王山に消えた勝機」

藤井聡太八冠誕生を記念して、将棋世界本誌に掲載した特集から厳選したものを将棋情報局で公開します!

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 まだまだ昼の日差しは強烈だが、それでも夕方以降は秋の気配が感じられるようになった9月中旬。藤井聡太ブームは衰える気配がなかった。大型書店に足を運べば、藤井関連の雑誌がまとめて展開されている。本誌先月号と緊急出版された2冊のムック、そして初の将棋特集で記録的な売り上げを達成したスポーツ誌『Number』。いずれも表紙は藤井だ。
 いまから紹介する王位戦第4局で藤井は木村を破り、史上最年少で二冠を達成した。対局日は8月下旬だが、ずいぶん昔のことのような気がする。加速する熱狂は、記憶を遠いものにするのだ。
 前述のムックで、私は王位戦第4局の原稿を書いた。だが締め切りは対局の翌日で、両者に取材をする時間はなかった。本稿には後日取材をたっぷりと盛り込んでいる。木村には対局の9日後に話を聞くことができた。すでに初の王将リーグ入りを決めていた。藤井には9月に入ってから取材をした。竜王戦の決勝トーナメントで丸山に敗れており、タイトル戦絡みの対局は一息ついていた。藤井も木村も年明けの王将戦七番勝負に出場するべく、リーグ戦で奮闘しようとしている。
 落ち着いたいまだからこそ、列島を沸かせた王位戦最終局を冷静に振り返ることができる気がしている。両者はどんな思いを込めて駒を運んだのだろう。


35年の歴史を誇る「大濠公園能楽堂」。座席数は590

 第61期王位戦七番勝負第4局
 令和2年8月19、20日
 於・福岡県福岡市「大濠公園能楽堂」
▲王位 木村一基
△棋聖 藤井聡太

▲2六歩1△8四歩 ▲2五歩1△8五歩 
▲7八金2△3二金 ▲3八銀 △7二銀 
▲6八玉2△1四歩3▲9六歩2△9四歩2
(第1図)
 能楽堂決戦
 朝、両者が駒を並べる際にあえて目を閉じて駒音に耳を澄ませると、どちらの着手かすぐにわかった。鋭く高い音が木村で、着実な音が藤井だ。能楽堂の舞台に足を踏み入れる際も、藤井は無言で2度丁寧にお辞儀をしていたが、木村は「おはようございます」と大きな声であいさつをした。少年のような木村と、落ち着いた藤井のコントラストが心に残った。
 「定刻になりましたので対局を始めてください」。立会人の中田功八段の合図で午前9時に開始された。博多出身の中田は初の正立会人を地元で務めた。晴れの舞台で、和服を着用したのも初めてだったという。中田の弟子で、2日目のオンライン大盤解説会の聞き手を務めた武富礼衣女流初段は中田の和装を見て「神々しい」とはしゃいだ声を出していた。
 観客がいない能楽堂は静まり返っていた。木村が初手に飛車先の歩を突き出すと駒音が響き渡った。「開放感があってよかったです」と能楽堂への感想を述べる。藤井も△8四歩と返し、飛車先の歩を2つずつ突き合ってから▲7八金。木村は得意の相掛かりに勝負を託した。
 ▲6八玉が第2局でも指した形だ。直近では先手が12勝1敗と圧倒している。だがこの唯一の黒星は7月の第2局でのものだ。その将棋は木村が優位に進めていたので再び用いたのかと思ったが、「第2局は作戦自体はうまくいっていたわけではなかったので手を変えました」と述懐する。その手が第1図で出る。

 第1図以下の指し手
▲1六歩2△5二玉3▲7六歩6△8六歩1
▲同 歩 △同 飛 ▲2四歩1△同 歩 
▲同 飛 △2三歩 ▲2五飛1△7四歩15
▲1五歩35△同 歩 ▲1四歩 △1六歩31
▲1五飛23(第2図)
 積極的な開戦
 第1図で▲3六歩と突き、双方が飛車先の歩を切ったあとに▲3七銀から積極的に攻勢を取ったのが第2局の進行だ。
だが木村は2分で▲1六歩と突いた。これが準備していた手である。△5二玉に▲7六歩と突き、双方が飛車先の歩を交換した。△2三歩に木村は▲2五飛。高飛車に構えたこの手で前例を離れている。△7六飛で横歩を取れるようだが、▲8五飛で困る。△8三歩▲9五歩△同歩▲8二歩△9三桂▲9五飛で先手よし。
 そこで藤井は△7四歩と突いた。陣形を発展させるために必要な手である。
ここで木村が本局初の長考に沈んだ。35分考えて▲1五歩といきなり1筋から仕掛けたのである。もちろん事前に練っていたが、改めて読みを入れたのだ。△同歩に▲1四歩と垂らす。△同香は▲2四歩と打たれ、△同歩▲同飛で香取りが受からない。
 藤井は△1六歩と突き出した。▲同香なら香を上ずらせることができる。木村は▲1五飛(第2図)と寄った。ここまでを「想定していた」と明かす。もちろんもっと先まで考えているのだが、ここが基本となるテーマ図である。
 なお▲1五飛では▲2六飛と引く手も有力だが、「五段目に利かせるほうがいいと思いました。将来の△1七歩成を▲同飛と取れる余地がある」と木村は語る。
 いきなり1筋から開戦した木村の積極策について藤井はどう感じたのか。
 「考えられる指し方のひとつという認識はありましたが、指されてみると思ったより対応が難しい印象でした」と後日に言っている。

 第2図以下の指し手
△7六飛27(昼食休憩)    ▲6六角34
△8六飛87▲8八銀16(第3図)
 後手に誤算
 藤井は27分考えて△7六飛と歩を取った。直前の▲1五飛で▲2六飛と引いていればこの手はなかったのだから、全力でとがめにいっている。妥協せず、常に最強の手で優位をつかもうとするのが藤井の将棋だ。記者会見の伏し目がちでソフトな語り口からはとても想像できない。

本局の副立会人は博多在住の豊川孝弘七段(右)、記録係は池永天志四段(中央)が務めた
 ここで昼食休憩に入った。再開後、木村は▲6六角と出た。角を出て1六への飛車の利きを消すことによって、次に▲1六飛と歩を払う手を可能にしている。また将来8筋に歩を垂らすことによって、後手の飛車を閉じ込める含みもある。
 藤井がこの角出を意外に感じていたという報道もあるが、そうではない。「▲1六飛と▲6六角を考えていました」と語っている。そう、香が利いているのだから、角を出ずにすぐ▲1六飛と歩を取る手もあるのだ。「▲1六飛は、△同飛▲同香に△1八飛や△1七歩などを読んでいました」と藤井は述懐する。 激しい順で、木村は「直接手すぎると思った。こちらは後手に△1二歩と謝らせたいんです。本譜の▲6六角は柔らかい感触の手で、横歩取りに近いイメージで指していました」と振り返る。
 ここで後手が長考に入った。木村が第1局のあとに「よく考える人だと思った」と藤井のことを評しているが、32手目で早くも時間を使っている。87分使って△8六飛と寄っているが、どんなことを考えていたのだろうか。「△3四歩も考えました。▲1六飛△6六角に①▲同飛△同飛▲同歩で手が広く難しいイメージでしたが、②▲同歩で▲5五角と▲1三歩成の2つの狙いが残ってしまうのが誤算でした。ただ結果的には△7三桂▲1三歩成△同桂(参考1図)で戦うのがまさったかもしれません」

 △3四歩と角道を開けて角をにらみ合いにし、▲6六角をとがめにいこうというのが藤井の当初の意図だった。だが▲1六飛△6六角に▲同歩で自信がなく、断念。それで本譜の△8六飛を選んだが、あとから考えると本譜よりはよかったという。ペースを握れそうだった藤井に誤算があり、形勢は難しいままだ。

 第3図以下の指し手
△1七歩成19▲同 香20△1二歩5(第4図)
 難解な中盤戦
 時刻は午後3時半を回った。
藤井は19分考えて△1七歩成と成り捨てた。▲同飛と▲同香があるが、どちらを選ぶか。木村は20分考えて▲同香と取った。藤井は△1二歩(第4図)と受ける。
 先手が1筋に拠点を作ったのはプラスだが、後手が1歩得なので判断は難しい。のんびりしていると歩損が響くので、先手は動かなくてはいけなくなった。
 「▲同飛も迷ったんですけど、▲同香に△1二歩と謝らせてこちらの手番です。1歩損ですけど、2歩を手持ちにしていますしね。▲同香のほうが面白いと思いました」と木村は後日に語っている。
 王位獲得経験があり、本局をインターネットで観戦した広瀬章人八段は、この△1七歩成が本局で最も印象に残ったという。「放っておけば▲1三歩成があるとはいえ、成り捨ては妥協している感があるのでなるべく指したくない。ただ後手が歩得で、先手の方針も悩ましい。未知の局面でこういう対応ができることに感心させられました」と絶賛した。 藤井はこう語る。「△1七歩成は次に△1二歩を打つことで争点を少なくして、局面を収めやすくする狙いでした。ただ、▲1七同飛△1二歩▲8四歩と進むと少しまずかったかもしれません」
 藤井は▲1七同飛でも歩を謝る予定だった。木村にとっては肩透しである。先の▲1五飛では▲2六飛もあったように、先手は飛車の動きで2択を迫られる局面が複数あった。
「含みが多かったですよね。昔、横歩取りの将棋をよく指していたときに、こういう展開が多かったなと久しぶりに思い出していました」と木村は振り返る。

対局日は酷暑で、大濠公園を散策すると額に大粒の汗がにじんだ

 第4図以下の指し手
▲8五歩68△3四歩18▲2二角成11△同 銀
▲8七銀1(第5図)
 初日が終了
 木村は本局最大の長考、68分で▲8五歩と打った。これが1筋を詰めたあとの狙いだ。1五の飛車の横利きを生かして後手の飛車を捕獲する心積もりである。
 「▲7七桂や▲3六歩も考えたんですけどね。▲8五歩は相当、打ちにくい手だけど、これでやってみようと思っていた」と木村は言う。網が破れたらひどいことになるので決断が必要になる。
 藤井はこの手を「あまり考えていなかった。木村先生の視野の広さを感じました」と明かす。本局の木村の手で最も印象に残ったのがこの▲8五歩だという。
 藤井は△3四歩と角道を開けた。角をにらみ合う状態にすれば▲8七銀でいきなり飛車を取られることはない。
 「後手が△3四歩と突く前に盤面左辺から動ければ面白いと思った。後手にとって盤面右辺は壁なので」と木村は言う。
 ▲2二角成と角を取ったのは午後5時42分。封じ手まであと18分で、木村は「ここで封じ手にするのかと思った」と感想戦で述べている。藤井はすぐに△2二同銀と応じた。先手は▲8七銀(第5図)。これで後手は△同飛成と切るか、△2六飛の2択を迫られることになった。封じ手時刻まで15分強しかないが大丈夫か。
 だが藤井は「△2二同銀を封じ手にすることは特に考えなかった」と後日にキッパリ述べている。午後6時になり、立会人の中田八段が封じ手時刻になったことを告げたが、藤井は考え続けた。もちろん持ち時間の間は好きなだけ考えられるが、関係者は待機しているわけで、気になる者もいるかもしれない。集中できるのか気になったが、「封じ手は予定していた手だったので、特に周りが気になることはなかったです」と藤井は後日に語っている。
 結局、封じたのは午後6時19分だった。

第2、3局に続き本局も封じ手は3通用意された。9月中旬に始まったオークションでは初日に驚愕の値がついた

 第5図以下の指し手
△8七同飛成36(封じ手)   ▲同 金1
△3三角2(第6図)
 封じ手の意味
 後手は△8七同飛成と切るか、△2六飛と逃げるかの2択しかない。
木村は「どちらもあると思っていました。半々かな、と。ホテルに戻ってからも考えていました」と言う。藤井が封じ手時刻を過ぎて考えていたことについては「気になりませんでした。先の局面を考えていました」と語る。 指しかけの夜は午後9時過ぎには布団に入ったが、「あまり眠れなかった。ただ寝不足ではなかったです」と言う。
 2日目。立会人の中田八段が開封した封じ手は△8七同飛成だった。もう1つの候補手である△2六飛は▲2七歩△2四飛で「飛車が使いにくいと思った」と藤井は語っている。以下、先手は▲4六角と打つ。①△7三角は▲同角成△同桂▲8二角で先手よし。よって②△6四角だが、▲2四角△同歩▲7六銀△2五歩▲6五銀△5五角▲7七桂△7三桂▲5六銀△3三角で「自信があるわけではない」と木村は語った。
 藤井は「どちらも難しいのかなという気がしたが、飛車がどの程度働くか見通しの立ちづらいところがあった。本譜の飛車切りは、そのあと飛車を取り返す形にもなりやすいので、そういった順で勝負できるのかなと思っていた」と対局翌日の会見で話した。そして後日には「封じ手は予定でしたが、改めて考えてみると複雑な変化が多い印象でした」と語っている。
 この飛車切りは派手だからか、一般のメディアも含めて大きく報じられた。最近は藤井の手なら何でも絶賛される傾向がある。すると木村は後日、これらの報道についてキッパリと語った。「△8七同飛成が意外だと報じられていましたけど、それは間違いです。どちらもありますので」。木村が「間違い」という強いニュアンスで否定することは珍しい。
 2日目にABEMAで本局を解説した村山慈明七段は、この封じ手を本誌の読者向けにわかりやすく説明してくれた。
 「この飛車切りは野球に例えるなら、ホームランバッター(飛車)といぶし銀の選手のトレードと言えます。なぜ藤井さんがそれを決行したかと言えば、お互いの陣形、野球でいえば球場の特徴によるところが大きい。後手の藤井ドームは巨大サイズで、いくらホームランバッターが頑張ってもホームランは入りません(飛車の打ち込み場所がない)。逆にミートのうまいヒット量産型のいぶし銀の選手のほうが使い勝手がよいと気づいていたのです。盤上には現れませんでしたが、手持ちの銀を使って先手の5五の飛車や6六の角をいじめたり、8筋を突破する足掛かりの駒にできたりするような変化は水面下でいくらでもありました」
 ▲8七同金に△3三角(第6図)が狙いの切り返しだ。1五の飛車と9九の香取りだが、先手はどう受けるか。次の手が本局の明暗を分けた可能性が高い。

 第6図以下の指し手
▲5五角22△同 角19▲同 飛 △3三角2
▲6六角22△8六歩73▲同 金43△8八歩
(昼食休憩)   ▲7七桂19△8九歩成1
(第7図)
 明暗を分けた1マスの違い
 木村は▲5五角と天王山に打った。角の利きがいちばん多いマス目で、つまり最もよく働く位置である。だが、この手で形勢を損ねてしまったのは皮肉である。
 △5五同角▲同飛に△3三角が厳しい。▲6六角が切り返しのようだが、この瞬間に天王山の飛車が狙われる駒になってしまい、「後手の攻めがほどけなくなった」と木村は後日に大いに悔やんだ。
 うっかりがあったわけではない。本譜の△8六歩も読み筋だった。だが考えているうちに「対処がこれほど難しいとは思わなかった」と誤算があったことを明かす。▲8六同金に△8八歩が素朴に厳しい。▲同角と取れなければおかしいが、△6四銀がある。飛車を逃げれば8八の角を取られてしまう。△6四銀には▲5六歩と頑張る手が映るが、△2四角の王手が強烈で先手が悪い。
 ならば△8六歩に▲9七金と寄る手はどうか。歩を取らなければ△8八歩はないからだ。だが木村は「浮かんだけど指せなかった。やるべきだったのかなあ。あとから調べれば指せるかもしれないけど……」。やはり金をそっぽに動かすことには強い抵抗があるようである。
 なお藤井は「(▲9七金に)△7五銀▲7七角△7六銀▲5六飛△7七銀成▲同桂△8八角▲6五桂△7七角上成▲5八玉△5五馬を考えていました」と後日に教えてくれた。よく読んでいる。
 戻って▲5五角では、▲6六角と1つ下の段から打つべきだった。なるほどこれなら1五の飛車を天王山に動かす必要はない。実は木村は当初は▲6六角の予定だったが、△1五角▲同香△7五銀を気にして「予定変更してしまった」と局後に悔やんでいる。だが▲5五角△7三桂▲8二角△8六歩▲8八金△7六銀(参考2図)で難しい形勢だ。▲5五角以下は藤井が後日に挙げた手順で、「▲6六角は攻め合いの変化が多いので、後手からすると最も気になる手かもしれません」と語っている。

 なお藤井は感想戦で「(▲5五角で)▲7七角と打たれたらわからなかったのですが」と漏らした。△1五角▲同香△7三桂▲8四歩△8二歩▲8三歩成△同歩▲8二角△8一飛▲7三角成△同銀▲9五歩でどうか。これは藤井が後日に精査した順である。木村は「将来7三の桂が跳ねると角当たりになるのが気に入らなかった」と語った。
 昼食休憩明けに指された▲7七桂に△8九歩成(第7図)。玉のそばにと金ができ、5五の飛車が質駒になっている。木村は非勢をはっきりと自覚した。「△8九歩成で悲観をしているようじゃ、みっともなかった」。後日にそう自嘲した。

 第7図以下の指し手
▲5六飛6△6六角2▲同 歩8△7九角2
▲6七玉36△9九と ▲6五桂3(第8図)
 後手勝勢
 木村は飛車角交換を避けて▲5六飛と引いた。8九にと金を作られたので飛車を渡すと自玉が危ないからだが、ここで逃げるのではさすがにつらい。飛車を5五に動かすことになった▲5五角の罪の重さがよくわかる。
 藤井は「(第7図で)▲6五桂△5五角▲同角△6四銀の変化が指せていれば、ペースをつかめている感じはしました」と控えめに振り返るが、その局面は後手が優勢だ。
 △6六角を▲同歩。感想戦では▲同飛が調べられ、△7九角▲5八玉△6八銀▲5六飛△7七銀不成▲4八玉△6八銀不成で藤井は「後手十分かと思っていました。▲6六同飛は穏やかな展開になるので考えていませんでした」と語った。後手玉に迫れていないのが痛い。
 藤井は着実に先手玉に向かった。△7九角が痛打だ。木村は▲6七玉として、将来△6八銀の際に桂にヒモをつける指し方を選んだ。▲5八玉としても△9九とで、次の△5四香が厳しすぎる。それでも本譜、藤井は△9九とと香を取った。
 先手は受けていても仕方がない局面になってしまった。木村は▲6五桂(第8図)と後手玉頭に利かせて勝負に出たが、わかっていても次の手はあまりに厳しかった。「▲5五角と打ってしまってからは紛れはありません」
 後日、木村ははっきりと語った。

 第8図以下の指し手
△5四香45▲5三桂成28△同 玉▲5四飛1
△同 玉 ▲5六香1△4四玉11▲5五角8
△5三玉 ▲2二角成9△6二玉▲5九金4
△2二金9▲4二飛5△7一玉▲2二飛成2
△7八銀4▲5八玉2△7七角3(投了図) 
まで、80手で藤井棋聖の勝ち
(消費時間=▲7時間26分、△7時間)
 新王位誕生
 △5四香が痛打。飛車を逃げたら△5七香成▲7六玉△6七銀で寄りだ。
 木村は▲5三桂成から突進した。△同玉▲5四飛△同玉。駒損でも後手玉を引きずり出して勝負に出る意図だ。
 ▲5六香△4四玉▲5五角△5三玉に▲2二角成。開き王手が決まったようだが、藤井はつとめて冷静だった。△6二玉が勝ちを読みきった一手である。
 木村は▲5九金と寄って6筋に利かせた。控室では▲5三香成△同玉▲3二馬も検討されていたが、「△5四香▲4二銀△6二玉▲5三金△7一玉▲5四金△4五銀を考えていました。後手優勢であることは変わらないと思います」が藤井の感想である。
 △7七角を見た木村が投了した。△5九角成▲同玉△6九飛▲4八玉△5八金▲同玉△6八角成▲4八玉△5九飛成までの詰めろで、受けても一手一手。後手玉に即詰みはないので仕方がない。

心変わりで形勢を損ねた木村。終盤は差がつき、30分以上を残しての投了となった

 王位を奪取した藤井は棋聖と合わせて史上最年少の二冠となった。またタイトル2期獲得により、史上最年少の八段となった。18歳1ヵ月。もう、二度とこんな記録は生まれないだろう。
 藤井に一局の総括を求めると、「初日は木村先生に積極的に動かれて少し苦しい展開でしたが、2日目は踏み込んで指せたと思います」と語った。
 そうなのだ。積極的に駒を運んだ藤井の2日目の指し手が、AIによるとノーミスという評判で、ネット上で話題になっていた。それについて藤井は「2日目のパフォーマンスは課題の1つだと思っていたので、最後まで集中して指せたのはよかったです」と自賛した。
 課題を次々と克服し、驚異的な伸びを見せる18歳。あらゆる賛辞が使い古されたように感じてしまう。

「実力を高めていくことがいちばんの目標」。藤井は対局翌日の会見でいつものセリフを口にした
 あきらめない
 苦労に苦労を重ねて得た「王位」という宝物を失った木村。本局で見せた序盤の積極策には後悔はないという。「作戦は事前に考えたものを盤上に表すことができました。この先も機会があればやってみたいと思います」と語っている。
 悔やまれるのはやはり中盤で天王山に放った角打ちだった。「▲5五角でフイにしてしまったのが悔やまれます」
 第2図の▲1五飛を基本図として想定していた木村。その先はどこまで読んでいたのだろう。すると「封じ手の辺りまでは事前に考えていました」と明かす。間違えた▲5五角の直前までは意識の中にあったのだ。そして「ソフトの評価値が先手にとってプラスに振れていないことも知っていました。端の位をあまり評価していないんですよね」と木村は言った。そして「でも、やってみたかったんです」と鋭く話した。
 現在はソフト全盛である。抵抗感を持っていた棋士たちも時間がたつにつれてドンドン流れ込み、いまでは使わない者が圧倒的少数派だ。モバイル中継の棋士の解説だって、ほとんどがソフトの評価値や推奨手順を参考にしている。木村は数字をわかったうえで、自分の感覚と読みを信じていた。ソフトを敵視しているわけでは決してない。それでも自分自身をすべての価値の中心に置いていた。
今シリーズの4局を振り返ってどういう感想を持っているのか。
 「第3、4局の内容がよくなかったですねえ。自爆とまではいかないけど、ミスが祟りました。自分の悪い面が結構出てしまったように思います」
 1年間、王位でいたことにはどういう思いを抱いているのか。
 「ありがたい経験でした。でも渡辺さん(明名人)、豊島さん(将之竜王)、永瀬さん(拓矢二冠)のように、他のタイトルを狙うような域まで達することはできませんでした。情けない思いはあります」
 藤井と2日制で4局、濃く接してみてどういう感想を持ったのか。
 「何度も言ってますけど、よく考える人という印象は変わりません。詰将棋が得意で終盤型のイメージがありますけど、序盤も洗練されていますよね。完成度が高いです」
いったん言葉を切ってから、木村はまた続けた。
 「コロナで自粛していた間、相当、勉強されたんだと思います。棋聖戦を見ていてもそういう印象を持ちました。私もやったつもりでしたけどね。今後ですか?タイトルを取られても変わりません。一生懸命やるだけです」
 最後のフレーズは、いまも私の頭の中で何度も響いている。

感想戦の前に主催紙のミニ・インタビューが行われた。最初に藤井が質問される間、木村は体を右にひねって盤側の棋譜を眺めていた

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