【藤井聡太八冠誕生記念 特別公開】第91期ヒューリック杯棋聖戦第1局「衝撃の初戴冠」|将棋情報局

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【藤井聡太八冠誕生記念 特別公開】第91期ヒューリック杯棋聖戦第1局「衝撃の初戴冠」

藤井聡太八冠誕生を記念して、将棋世界本誌に掲載した特集から厳選したものを将棋情報局で公開します!

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 昨年11月19日、藤井が王将戦挑戦者決定リーグ戦の最終局で敗れたその夜、渡辺は「スポーツ報知」の取材に「自分がよいコンディションで迎え撃つことのできる巡り合わせに感謝する心の準備はできていたんですけど、先に延びたのでまたの日を待ちたい」としみじみ語った。
 それからわずか7ヵ月足らずで実現した“世紀の好カード”である。「うーん、自分の充実度という点では、まあ何とかあの頃の力は維持できているでしょうか。抜群の強さを誇る若者を相手に、燃え上がる思いはもちろんあります」と大勝負開幕を前にした渡辺は新たな決意を口にした。私はついうれしくなって「では、藤井さんと戦えるワクワク感も相当なものだということですね」と弾む心で同意を求めたのだが、これには「イヤ、それは別にないですね。強い人と指すのはこちらにとってはピンチでしかないですから(笑)」と冷静に返されてしまった。 
 「棋士になってから将棋の対局が楽しみだと思ったことは、現在に至るまで一度もありません。ただ指すだけならいいんですが、勝たなくてはいけないんで」
 浮き立つ心とは無縁の境地にありながら、運命の導きは覚悟をもって引き受ける……。歴史的シリーズとは、格別の厳しさと気高さの結合体であるに違いない。
 午前9時、立会人の深浦康市九段が第1局の開始を宣言。本局はコロナ対策のために厳格な入室制限が施され、館内のモニター越しに見る特別対局室の映像からは、ひときわ静寂感が伝わった。2週間半後に藤井と順位戦を戦う佐々木勇気七段がビシッとしたスーツ姿で視察に訪れたものの部屋には入れず、記者室で無念の表情を見せていたのが忘れられない。

 第91期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第1局
 令和2年6月8日 於・東京「将棋会館」
▲七段 藤井聡太
△棋聖 渡辺 明

▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩6
▲7七銀 △6二銀 ▲2六歩 △4二銀
▲2五歩 △3三銀 ▲4八銀 △3二金1
▲3六歩2△5四歩4▲5八金右1△4一玉
▲7八金2△5二金 ▲6九玉1△7四歩2
▲5六歩1△8五歩1▲6六歩9△3一角1
▲7九角 △4四歩 ▲3七銀1△6四角1
▲6七金右2△4三金右3▲4六角△7三銀1
▲7九玉1△3一玉 ▲8八玉 △2二玉
▲9六歩2△1四歩2▲1六歩 △9四歩
(第1図)
 
意表の戦型
 振り駒は「と金が3枚」で、開幕局の先手番は藤井が引いた。「番勝負は先後が交互にくるので、手番がどうなるのかはあまり気にしていませんでした」——。3手目に▲6八銀と上がり、矢倉戦を志向。角換わりに比べて早い段階で定跡を外れる場合が多いため、先後の決まっていない第1局では使い勝手がいい戦型であると考えたのだという。
 一方「対策を練っていた分、後手番で満足していた」渡辺は藤井のこの選択には完全に意表をつかれた。「先手番では基本的に角換わりを多用しているイメージなので、ほとんど考えていなかった」
 △9四歩(第1図)まで、同形の脇システムに進む。「研究会で数局経験があるだけでしたが、予定でした」と藤井は話す。不定形の力勝負を思い描きつつも、成り行きで想定内の局面にたどりついたというところに面白味がある。渡辺は第1図を公式戦で6度経験していたが(先手番5局、後手番1局)、後日「作戦の選び方に問題があった」と振り返った。


 第1図以下の指し手
▲6四角2△同 歩3▲2六銀 △6五歩5
▲同 歩 △7五歩 ▲同 歩1△3九角
▲3八飛 △7五角成▲1五歩 (第2図)
 
忘却の彼方
 両者の5月の対局は、渡辺が1局(1日)、藤井が0局と間隔が空いた。「名人戦と棋聖戦の日程はどちらも先が読めない状況が続きましたが、ようやくスケジュールが定まった5月半ばぐらいから少しずつ研究を始めました。番勝負用に戦法のストックを作っておく作業は、それまでも少しずつやっていたんですけど」と渡辺。3月末に王将戦七番勝負が終わってからは、2ヵ月で4キロの減量に成功したそうだ。「本来なら4月にすぐ名人戦が始まっていたわけですが、精神的な疲れや体力的な不安を4月と5月で解消できたのはプラスでした」と話す。ただし6月から名人戦と棋聖戦を並行して戦うことになり、スケジュールがタイトになった。どういうローテーションで戦法をやりくりするかも悩ましい。「似たような将棋を短期間で連続して指すのは、すぐに解析される恐れがあるので現代将棋においては得策ではありません。ある程度ちらすことも考えながら、計画的に臨まなくてはいけないので慎重を要します」と気を引き締める。
 一方の藤井は「主にソフトを使った勉強をしていました」と明かす。その間に大きな成長は? と水を向けると「あればいいのですが……」との返事だった。
 ▲6四角にはかつては△同銀が常識的な応手だったが、最近は△同歩が増えている。渡辺は昨年11月の王位戦・千葉幸生七段との一戦で、先手番を持ってこの将棋を指していた。経験のある形を踏襲するのは通常は有利なはずなのに、渡辺が作戦失敗を自認したのはなぜか。なんと前例の正確な手順をすっかり忘れてしまっていたのだという。「1局目で矢倉はプランになかったもんで、うろ覚えでだいたいこんな感じかなと手探りで進むしかなくなっちゃったんです。後手番でこれをやるならガチガチに研究を固めなくちゃいけなかったのに、甘かったです。無警戒だったんだから、なおさらこういう定跡形にしちゃいけなかったんですよね」と渡辺は苦笑する。藤井は▲1五歩(第2図)までが予定の順だったという。


 第2図以下の指し手
△6五馬18▲1四歩2△8六歩2▲同 歩2
△6六歩1▲5七金 △8五歩2▲同 歩6
△6四馬1▲3七角20(第3図)
 
異質の終盤力
 藤井は6月2日に準決勝、4日に決勝を制して挑戦者に躍り出た。その戦いぶりを渡辺はどう見たか。「先手だった準決勝は研究通りで快勝という内容。決勝戦は後手番で相手が注文をつけてくる展開になり、残り時間にも差がついてピンチに見えましたけど、それをしのぐあたりが本物に感じました。自分の得意戦法だけやっていれば挑戦者になれるくらいの力を持った人は大勢いることでしょうが、後手番で我慢しながら挑戦者にならなくてはいけないとなるとハードルは高くなりますからね。そういう意味で、今回は中身もしっかり伴った価値のあるタイトル初挑戦に思います」
 では藤井将棋の特質を渡辺はどのように理解しているのだろう。「四段デビューした頃からは、何かは変わってきているんでしょうが、常に勝っているから力の推移が本当のところどうなっているのかはわからないですね(笑)。一貫して際立っているのは類まれな終盤力です。ちょっと踏み込み方が異質ですし、終盤の読みの早さと正確さがいままでの人とは明らかに違います」
▲1五歩に、渡辺は△同歩と応じず△6五馬。藤井は△9五歩と△8六歩を中心に読みを入れていた。「本譜は9筋の突き捨てがないのがやや珍しい形だと思いました」。渡辺は▲1四歩の取り込みを許す代償に、△6六歩に期待した。▲同銀なら△同馬▲同金△8六飛で指せる。藤井は▲5七金とかわし、△8五歩~△6四馬に▲3七角(第3図)と合わせた。


 第3図以下の指し手
△9三桂18(昼食休憩)    ▲6六銀21
△5五歩9▲同 銀13△6三馬 ▲6六銀6
△8一飛 (第4図)
 
先手リード
 渡辺は角と馬が見合った形で△9三桂と跳ねたが疑問手。「△9五歩は突くならもっと早い段階が自然なので、このタイミングではあまり考えていませんでした。△5五歩に▲6六金△9三桂▲7六銀を掘り下げていました」と藤井は言う。
渡辺は「△9三桂は対応を間違えてしまいました。前例では△9五歩をどこで突いたのか、それどころか突いたかどうかすら思い出せないんで話になりませんでしたね(千葉戦は△6五歩▲同歩に△9五歩▲同歩△7五歩と進行)。どの局面でも△9五歩はあるわけですけど、その突き捨てが後手にとって得になるかどうかを精査しきれていないんですよ。損になるかもしれないんで、ノープランの状態では9筋はなかなか突けないんです」
 △9三桂の局面で昼食休憩になった。
 両対局者の注文は、渡辺が「うな重(竹)のご飯少なめ・赤だし」、藤井は「カツカレー」。「タイトル戦ではある程度、格があるものを食べたい」というのが渡辺のポリシーだ。対する藤井は平常心の表れか。渡辺の右隣には冷たい飲み物が入ったクーラーボックスが置かれている。
 再開後に指された▲6六銀が、桂跳ねの当たりを未然に避けつつ拠点の歩を払う味のいい一着。渡辺はここでハッキリ形勢を損ねたことを自覚したという。
 ▲6六銀に対し△9五歩▲同歩△8五桂なら、藤井は▲8六歩から受けに回って先手十分と踏んでいた。本譜△5五歩~△6三馬には、再度▲6六銀が冷静。藤井は「後手からの速い攻めが難しいので、指しやすさを感じました」と話す。
渡辺はじっと△8一飛(第4図)と引き、角筋を避けて手を渡す方針を採った。

6月2日の準決勝からこの第1局まで1週間で3局の大勝負をこなす藤井。だが疲れた様子はなく、むしろこれまでの鬱憤をはらすように盤面に没頭した


 第4図以下の指し手
▲6七金寄42△7四銀17▲7六歩30△5四金26
▲4六角34△4五金32▲6八角 △3六金1
(第5図)
 
形勢混沌
 藤井は熟考の末▲6七金寄としたが、ここは▲7六歩がまさったという。「本譜は△7四銀▲7六歩に△5四金が好手でした。慎重に指したつもりが、この金上がりは全く見えておらず、自分の読みの甘さが出たと感じました」とは藤井の反省の弁だ。▲6七金寄に代えて▲7六歩なら、△7四銀には▲8四歩のような手も有力で、▲6七金寄は不急の一手だった。それに本譜の▲6七金寄を選んだ以上は、▲7六歩ではなく▲7五歩のほうがよかった、というのが藤井の述懐だ。
 「当初はその予定でしたが、△8五銀▲8七歩△8六歩▲同歩△同銀▲8七歩△6五歩▲同銀△7五銀▲7六歩△6四歩▲7五歩△6五歩のとき具体的な手が見えませんでした。ただ以下▲7四銀△5三馬▲7三角成十分だったようです」
本譜は△4五金~△3六金(第5図)の進出がうるさく、先手が忙しくなった。「途中▲4六角の局面は後手に手段が多く、互角に近いと思いました」と藤井。「△5四金は、これでひと勝負はできるという感触でした。後手はほかに動かす駒がなかったんですよね。そんなにイケる感じはしなかったんですが、時間攻めの含みもあり(△5四金に26分使っても残り時間には43分の開きがあった)、先手がけっこう面倒くさい局面になっているのかもしれません」と渡辺は話した。

これまで藤井の将棋について公での発言を控えてきた渡辺棋聖だが、ついにタイトル戦という最高の舞台でこの未知の才能と相対する。充実期を迎えた王者の目に、この17歳はどう映っているのだろうか


 第5図以下の指し手
▲1三歩成8△同香7▲同香成 △同 桂
▲1四歩 △1二歩3▲6四歩13△4五馬13
▲3七桂6△7二馬1▲1三歩成1△同 歩
▲1八飛1(第6図)
 
決戦の予感
 藤井は渡辺将棋を「攻めが強く、加えて玉の安定度に差がつかないようにする指し回しが巧みだと感じています」と評価する。渡辺は玉を堅くする実戦的な指し回しが昔から得意で、戦術が大きく変容した昨今の状況でもその傾向は残っている。同じ戦型を指しても、各人の個性が微妙に表れるのが将棋の奥深いところ。渡辺と豊島将之竜王名人の棋風の相違について問うと、藤井は「中盤のバランスの取り方が異なる印象があります」と答えている。やはり渡辺のほうが、玉形が少し堅いというニュアンスだろうか。藤井本人は自分の将棋を「渡辺さんや豊島さんと比べると、中盤から終盤に差し掛かる局面でミスが多いのが課題だと思っています」——。これはまあ、しいて挙げればという話にすぎないだろうけれど。
 局面がにわかに激化しそうなところで、いまを時めく飯島栄治七段が控室に現れた。4日前の挑戦者決定戦でABEMAに解説者として出演した折、その一局を「善悪を超えた芸術作品である」と評し、「この勝利で藤井さんは神に選ばれし棋士であることを証明できた」とまで言い放って、ネット上で称賛された。おまけにその2週間前には王座戦の本戦で羽生善治九段に快勝し、本業でも乗りに乗っている。渡辺とは2000年春にそろって四段に上がった同期。最後の三段リーグでは17回戦で当たり、渡辺が珍しく飛車を振ったので話題を呼んだ。当時の飯島三段はリーグ屈指の研究量を誇り、渡辺が相居飛車戦では敵の術中にはまると見て変化球に出たのだが「いま思うと何も恐れる必要はなかったかも」(渡辺)というオチがつく。今シリーズの熱闘譜には、どんな名言が飛び出すのだろう。
▲6四歩△4五馬の局面は「悪いとは思いましたけど、ただどう明快に悪いのかはわからなかったですね」と渡辺。藤井の▲1八飛(第6図)に大いに驚いた。


 第6図以下の指し手
△5七歩7▲同 角3△4六金3▲1三飛成
△同 玉 ▲4六角 △2二玉 ▲1四桂
△2一玉7(第7図)
 
急転直下
 局後、藤井は△5七歩を軽視していたと明かした。▲5七同角に、飛車角両取りの△4六金が渡辺の狙いすました一着。「△5七歩はプロならみな大好きなはずですけど、藤井さんが全く読んでいなかったというのが意外でした。大多数の棋士と第一感が違うということなのかなあ。この歩の味がいいから▲1八飛を切り捨てるという人も多いと思いますけどね」
「△5七歩では△1一香▲1六飛という変化ばかり考えていました。△5七歩には▲8四桂や▲1九香が利くのか慌てて読んだものの判断がつかず、やむを得ず本譜を選びましたが、飛車を渡してしまうのが痛く、自信のない展開に陥ったような気がしました」と藤井は言う。
本譜は▲1三飛成に△同玉で、後手が強力な飛車を手に入れることに成功した。「急転直下だったので形勢はわからなかったですけど、こちらが悪いとは思わなかったです」と渡辺。しかし局面は不思議な均衡を保っていた。▲1四桂に△3一玉は▲1三角成△4二玉に▲6八馬が手厚いと見て、後手は△2一玉(第7図)とかわしたのであるが……。


 第7図以下の指し手
▲1二歩 △8六香20▲8七香 △同香成2
▲同 金 △1八飛1▲6八金 △3一玉12
▲7五香 (第8図)
 
AI的思考
 △2一玉には、有力なソフトは一斉に▲8七香を推奨。この手があるからさかのぼって△4六金では、後手は先に△8六香と打つべきだった(▲8七香に△同香成~△4六金)という説を唱えていた。
 だが渡辺は懐疑的だ。「▲8七香ってそのあと何を狙うんですかね。もちろん一瞬も読んでいないです。例えば△1八飛には? あ、そこで▲1二歩ですか。なるほど。でもこの歩自体がそれほど厳しいという発想もないし、▲8七香というのは堅くなっている感じがしないんですよね。△8六歩▲同香に△8五銀とかで当たってくるから、1手掛けてこの香を入れるほど価値のある手なのかなあ、という感覚ですね。苦しくて粘っている感じに見えちゃいますね。もっと早く△8六香とかもありえないんで。楽しみはあとに取っておくものなんです」と笑う。
 だが藤井の見解は少し違った。「△2一玉に▲8七香は攻めが細くなってしまう印象があって選びきれませんでしたが、先手玉の耐久度がかなり上がるので有力だったと思います」——。本譜▲1二歩より、香打ちがまさったというのだ。
▲1二歩の場面は、残り時間が▲7分対△42分で、後手は手駒に飛車があり、△8六香も残っている。いい条件だらけに思われたが、渡辺は▲1二歩を「さすがの一手」と評価。「この垂らしを見て、藤井さんがいきなり飛車を切ってきた意味がわかった気がしました」と振り返る。
 後手は20分を費やして△8六香を決行。▲7七玉が本線だったのでつい考え込んでしまった、と渡辺は言う。▲8七香には△同香成~△1八飛で後手好調のようだが、▲6八金が強い受け。「▲6八香か▲7八香かと思っていましたけど、それでは後手が安心しますよね。香を節約されて金引きが成立するようでは、まだ負けているのかとやや悲観しました」と後日の取材に渡辺は胸中を吐露した。


 第8図以下の指し手
△7五同銀2▲1三角成1△2二銀2▲同桂成1
△同 金 ▲3三銀2(第9図)
 
異次元の角成り
 ▲7五香(第8図)に、当然の一手にも映った△同銀がよくなかった。最善は△8六歩▲同金に△6七香。これを▲7八金とかわすのは△8五銀で後手の勝ち筋になる。▲7二香成なら△8六銀が詰めろだ。「△6七香には▲5八金打△6八香成▲1三角成△4二玉▲6八馬と進みそうですが、これでは先手自信なしという気がします」とは藤井の感想である。
 △7五同銀に「▲同銀は△6五香と打たれると後手の攻めが速くなって悪いと思った」と話す藤井は、銀を取らずに▲1三角成とした。「△2二香なら▲7五歩、△4二玉なら▲7五銀と、相手の手を見て応手を決める狙いでした。詰将棋における打診を参考にした手で、自分らしさが出たかもしれません。本譜△2二銀は、後手がこれらの変化を嫌えば指される可能性はあるかと思っていました」
渡辺は「△8六歩~△6七香は気づかなかったですね。でも▲1三角成は不可思議な手だと感じました。本譜のように△2二銀とぶつけられたときに、それで先手が本当に勝ちかというと普通は瞬時に読みきれないと思うんですよ。馬がいなくなれば先手は6八金が完全に浮き駒になって、かなりのリスクが生じますから。後手玉が寄っているのかという問題も簡単ではないはずだし。本譜の▲7五香に代えて▲1三角成なら後手は△4二玉と上がる一手で、そこで▲7五香が普通なんだけど、それだと△2四銀と上がられて▲同歩△6八飛成▲7八金に浮いている銀を△6六竜と取られるような筋を警戒しなくてはならないということですね。だから折衷案で▲7五香△同銀としてから▲1三角成というわけですが、△2二銀で後戻りできなくなり危険極まりないので通常は選ばない順だと思います」——。急所の場面を一気に解説した。
さらに続けて「残り▲6分対△5分と逆転したところから2分使って△2二銀ですけれど、とりあえず自玉がどう寄るのかがわからなかったので勝負になったと思いました。大駒を4枚全部手にできる見込みが立って、▲3三銀(第9図)と打たれただけで後手玉がすぐに寄るとも思わなかったので。先手の攻めが基本的に細いのではと判断したんですけど」。


 第9図以下の指し手
△1三飛成▲4二金 △2一玉▲2二銀不成
△同 玉 ▲3二金打△1二玉 ▲7五銀
(第10図)
 
すれすれの攻防戦
 いよいよ大詰め。▲3三銀では▲3三金の選択肢もあったが、藤井は「金打ちだと△1三飛成▲4二銀△2一玉▲7五銀に、受けに回られるのがイヤでした」と言う。が、あとから考えると攻めのターンが続きそうなので▲3三金のほうがよかったと思う、とのことだった。
渡辺も▲3三金を予想しており、本譜は十分な勝負形になるのではと感じていた。けれども藤井は、既におぼろげながら勝利のイメージを抱いていたのだ。「▲7五銀(第10図)の局面は、見た目としては先手が余せそうと思っていました」


 第10図以下の指し手
△6五香▲1四歩1△同 竜▲2二銀

(第11図)
 
際どい変化
 渡辺の△6五香では、△6七歩と打つ攻め筋もあった。これだと本譜と同じように進んだとき、第11図以下の△6八香成に代えて△6八歩成と迫ることになるのだが、先手に香を渡さずに済むので1八竜に▲6八香の合駒が利かず、恐ろしいことに先手玉が即詰みとなるのだ。
「ただ実戦だと△6五香と打ちたくなりますよね。先手の玉が7七に上がるような変化になった場合に、6六に逃げられるルートを消している意味合いも生じそうで、一見するとよく利いているし。後手は香2枚の持ち駒がダブっている感じもするのでためらいもないですしね」と渡辺。「対局中はわかっていませんでしたが、△6七歩には▲2一銀△同飛▲1四歩△同竜▲2一金△同玉▲5二飛と攻めれば先手が勝ちそうです」というのが後日、藤井から届いた結論である。
 本譜は竜頭をたたいて△同竜に▲2二銀(第11図)が、後手玉をがんじがらめにして確実に討ち取る好手順になった。


 第11図以下の指し手
△7九角1▲同 玉 △6八香成▲8八玉
△7八成香1▲同 玉△1八竜 ▲6八香1
△6六桂 ▲同 銀 △6九銀 ▲同 玉
△5八金 ▲7八玉 △6八金 ▲8八玉 
△6七金 ▲9七玉 △8五桂 ▲8六玉
△7七桂成▲7五玉 △7三香 ▲6五玉

△6六金 ▲5五玉 △5三香 ▲4四玉 
△5四馬 ▲3四玉 △1四竜 ▲2四桂 
(投了図)まで、157手で藤井七段の勝ち
(消費時間=▲3時間59分、△3時間59分)
 
大激闘の終焉
 ▲2二銀の詰めろに△1三歩の防ぎなら、藤井はとりあえず▲2一銀不成とするつもりだったという。△1一玉と引かれると▲1五歩と打つよりないのだが、△6八香成が詰めろにならないので「その変化は先手の勝ちだと思います」。
 玉頭を塞ぐ△1三歩では勝ちが出ないとすれば、後手はもはや先手玉に激しく迫るしかない。△7九角は、▲9八玉なら△6八角成でこの馬が自陣に利いて逆転という読み。▲同玉には△6八香成~△7八成香が迫力満点で、さあ先手玉は詰むや詰まざるや、だ。渡辺はこの成香寄りで一分将棋に突入。藤井は▲6八香に1分を費やし、両者残り1分になった。
 「△6六桂のあたりでは、本譜の進行で△7七桂成の開き王手が利くので先手玉が詰んでいてもおかしくないと思っていたんです」と渡辺。「ただ△8五桂と跳ねるあたりで、やっぱり詰まないのか、と」——。△6六桂から▲9七玉までの約10分で、渡辺は敗戦を悟ったという。本局がどれだけの大激闘だったかは、投了図の駒の配置が如実に物語っていよう。


 藤井は感想戦終了後の記者会見で、先手玉の不詰めを一体いつ読みきったかを尋ねられ「▲9七玉のところです」と答えたという(筆者自身は会見を欠席)。
 しかし、そんな謙遜話を誰が信じるだろう。百歩譲って▲9七玉で勝ちだという認識を対局中に抱いたとしても、それがいつの時点のことであるのかが質問の 核心であるはずなのだ。「正直にお答えいただければ幸甚です」という後日の私の問いかけに、藤井の返答はこうだった。「▲2二銀には△7九銀以下、本譜同様に進む変化手順を読んでいたとき、おそらく詰みはないだろうと思いました」
やはり藤井の詰ますスピードは傑出していた。△7九銀には▲9八玉で明快に先手勝ちだが、それを▲7九同玉と取って先手玉が詰まないのがわかっていたとすれば、本譜の△7九角などという手で詰むはずはない。後手は高い駒を残したほうが有望なのは自明であるからだ。
 「感想戦で思ったんですけど、藤井さんは6八に成香であれ、と金であれ、何か成駒がいる形で、後手の持ち駒に何があれば詰むのか、どんな持ち駒なら詰まないのかということを、全く読まなくても部分的な形で熟知している雰囲気がありました。僕なんかだとそれが詰むのか詰まないのかをきちんと読むのに何分も掛かりそうなところを、藤井さんは瞬く間に判別できていましたね。8一の飛車がいなくなった場合には先手玉がどうなのかも、全部読みきりでした」と渡辺。
 この一局を藤井は「(第4図1手前の)▲6六銀と引いたところでは先手がいいと思ったのですが、少し過大評価したかもしれません。その後しばらく先手ペースで推移しましたが、(第6図以下の)△4六金以降は互角あるいは後手ペースだと感じていました。(第8図以下の)▲1三角成で再び指しやすくなった気がします」と総括。「かなり際どい終盤戦だったので、先勝できてほっとしました。第2局以降も最善を尽くします」と快活な調子で、なお一層の健闘を誓った。
 大激戦に敗れた渡辺の口からは率直な言葉が漏れた。「終盤の手の作りというか、勝ち方が異次元ですよね。詰むか詰まないかの見極めが超人的。それにこの将棋に関していえば、▲1八飛(第6図)が印象に残りました。こういう普通の人が指さない手を指して、それが敗因になる可能性が藤井さんにはあるということですね。負けるときには、そういう手が敗因になりやすいんでしょう……」
ではそういう展開に誘い出すことは?「そんな高等技術は無理ですよ」——。渡辺は楽しそうに断言して笑顔を見せた。


最終手が逆王手という作ったような美しい終局図。記念すべき初陣を白星で飾った藤井は、後手番となる第2局ではどんな戦いを見せるのか


 
終局後の藤井七段の記者会見
●初めてのタイトル戦、第1局は勝利という結果でしたが、改めていまの心境を。
「まず先勝できてよかったと思っています。第2局までしばらく間があるので、しっかり勉強したいと思います」
●熱戦でした。王手が続く場面もありましたが、ご自身としてはヒヤヒヤしたところもあったのでしょうか。
「そうですね。かなり際どい展開になって、時間もなかったので、最後のほうはわからないまま指していました」
●勝利を意識した場面は?
「えっとそうですね。△6七金に▲9七玉と上がった局面で、おそらく詰まないかもという風には思いました」
●4日前に挑戦権を獲得して、すぐに今日の対局を迎えました。服装は和服を予想していた人もいたと思いますが。
「あ、はい。そうですね。第1局まであまり時間がなくて。和服自体は師匠にいただいた物があったんですけど、少し勝手がわからなかったので。第2局以降で着られればなという風に思っています」
●スーツでいこうと決めたのは、いつのタイミングでしょうか。
「4日の挑決に勝った時点で、第1局に関してはスーツでと思っていました」
●それは、どなたかに相談してでなくご自身で決めたということなのでしょうか。
「師匠に相談して、和服は第2局以降でという形にしました」
●五番勝負の第1局に勝ったことで、初タイトル獲得に一歩近づきました。
「はい、そう……ですね。まあ何とか1つ勝つことができて、ほっとしたというところはあります。ただ、何というかまだまだ先が長いので、第2局以降もしっかり指していければと思っています」
●3月以降、連勝が続き、トップ棋士の方を相手に非常に素晴らしい内容で勝たれていると思いますが、現在の好調をどのようにとらえていますか。
「最近はトップ棋士の方々と公式戦で対局できる機会も多くて、自分としては充実しているなという風には感じています」
●渡辺棋聖もすごく充実した状況の棋士ですが、タイトル戦という場所で相対して指してみて、何か感じる場面は?
「長い持ち時間での対局というのは、渡辺棋聖とは初めてだったんですけど、中盤でいくつかこちらが思いつかない手を指されて……。うーん、何というか、そういったあたりのところを、こちらも見習わなければならないという風に感じました」
●6月2日から対局が再開になって、4日に挑戦者決定戦、そして今日と、1週間に3局の大勝負と非常にきついスケジュールだったと思うんですけれども、ご自身としては体調管理を含めて何か特に気をつけていたところとか、意識していたところはあったのでしょうか。
「ここまで大事な対局が続くというのはあまりなかったことなので、やはり体調管理には気をつけて、休むときはしっかり休もうという風には思っていました」
●いろいろな大勝負を経験されてきた中で、今回、これがタイトル戦なんだなと思った場面はございましたか。
「やはりタイトル戦は、ふだんの公式戦以上にいろんな人に携わっていただいて対局が実現しているんだなと感じました」
●いまのご様子を見ていて、ふだんの対局後と変わらない印象を受けるのですが、タイトル戦の舞台に向かううえで、例えば前夜であるとか、移動しているときであるとか、何か違う高揚するものはあったのでしょうか。
「対局についてはふだん通りで臨むのがいちばんいいかなと思っていました」
●内容が素晴らしくて、これぞタイトル戦という将棋であったと思うんですけれども、指しながらいままでにないような充実というか、この将棋を指している間に思っていたこと、いままと違う思いみたいな部分はあったのでしょうか」
「今日の将棋は最終盤でかなり際どい展開になって、それについては自分の中では充実感というのはありました」

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