2023.10.12
【藤井聡太八冠誕生記念 特別公開】第30期竜王戦ランキング戦6組 加藤一二三九段vs藤井聡太四段「天才の系譜を継ぐ者」
藤井聡太八冠誕生を記念して、将棋世界本誌に掲載した特集から厳選したものを将棋情報局で公開します!
奇跡の対戦
「囲碁は百年をつなぐ」。これは(故)橋本宇太郎九段の名文句である。
大正時代、9歳で碁を覚えた橋本は、十代でプロ棋士になった後、70年以上現役生活を続けた。69歳でタイトル戦七番勝負に登場し、72歳で名人リーグ入り。そして、87歳で亡くなるまで第一線の現役棋士として活躍した。
十代、二十代の頃は明治の長老と戦い、80歳を過ぎてからは自分より60以上若い後輩たちと戦った。百年どころか、百二十~三十年の時をつないだことになる。
将棋は囲碁に比べれば選手寿命の短いゲームだが、よく似た例はある。
大正12年生まれの(故)大山康晴十五世名人は十代の頃、あの阪田三吉の対局の記録係を務め、60歳をすぎた晩年は、自分より50歳近く年下の羽生善治や屋敷伸之らと対戦した。
そしていま、本当に百年の時をつなぐ棋士が将棋界にも現れたのだ。現役最年長棋士の加藤一二三九段と現役最年少棋士の藤井聡太四段の対戦。これはなんという対局か。
76歳の加藤は、1897年生まれの(故)村上真一八段や1899年生まれの(故)野村慶虎七段との対戦経験がある。そして、本局の藤井は2002年生まれ。つまり、加藤は19世紀生まれの棋士と21世紀生まれの棋士の両方と指した初めての棋士になったのである。
定刻まで余裕があるが、いまにも指し始めそう(撮影・常盤)
ご存じのように、加藤は70歳を過ぎてからテレビ界に進出し、「伝説の天才棋士・ひふみん」として人気を博している。そして、その加藤が持つ最年少棋士記録を52年ぶりに更新したのが藤井である。その藤井のデビュー戦が本局。さまざまな偶然と思惑が重なり、この奇跡的なカードが実現した。
第30期竜王戦ランキング戦6組
平成28年12月24日 東京「将棋会館」
(持ち時間各5時間)▲九段 加藤一二三△四段 藤井 聡太
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩
▲7七銀 △6二銀1▲2六歩 △4二銀
▲4八銀 △5四歩 ▲7八金 △3二金
▲5六歩 △4一玉 ▲6九玉 △5二金
▲3六歩 △3三銀 ▲5八金 △3一角
▲7九角 △4四歩 ▲6六歩 △7四歩
▲6七金右3△6四角1(第1図)
異常な空気
午前9時40分、将棋会館の特別対局室に入ると、そこには異様な光景が広がっていた。鬼のような形相で上座に着く加藤と学生服姿の藤井少年。駒はとっくに並べ終えられ、対局開始までまだずいぶん間があるのに、いまにも加藤は駒を持ち上げそうな気配。そして、その二人を50人を超える報道陣が取り巻いている。
「異常な空気ですよ」と知り合いの新聞記者が言った。旧知の関係者よりも初めて顔を見る人のほうが圧倒的に多い。聞けば、二人はもう10分前からこうして睨み合っているのだと言う。居並ぶテレビカメラを見て、私は藤井の運の強さを思った。
ちょうど1年前の秋、私は地元の新聞社から取材を受けた。藤井が奨励会三段になり、「愛知県から史上5人目の中学生棋士が出るか」と話題になり始めていたときだ。「藤井君が成功する条件はなんですか?」と聞かれた私は、「才能、努力、根性、運。才能と努力と根性はもう間違いないが、運が強いかどうかはこれから分かる。ここまで来たら絶対に中学生棋士になること。そして、十代のうちに羽生三冠とタイトル戦を戦うこと。この2つが実現したら、間違いなく大スターになる」と言った。
そのうち、中学生棋士になる条件はすでにクリアした。では、羽生三冠とのタイトル戦はいつ実現するだろうか?
5時間の持ち時間はもちろん初めての経験だが、盤上に頭がかぶってしまうほど食い入るように読みふける対局姿を、最後まで貫いた。すごい集中力だ(撮影・常盤)
ちなみに、私は羽生三冠の四段デビュー戦も取材している。それは昭和61年1月31日の王将戦予選で、宮田利男六段(当時)との対戦だった。結果は羽生快勝だったが、このとき来た取材者は私一人だけ。あの羽生でも、デビュー時はそれほど注目されてなかったのだ。それに比べて、藤井のこの注目のされ方はどうだ。
もちろん、羽生はそのあと実力で大スターへの道を切り開いた。藤井がそれを追えるかどうかは、まだ未知数というほかはない。ただ、スターになる要素はすでに十分ある。それだけは間違いない。
第1図以下の指し手
▲3七銀 △3一玉 ▲6八角 △4三金右
▲7九玉 △2二玉 ▲8八玉 △9四歩1
▲1六歩 △9五歩13▲1五歩6△7三桂
▲6五歩63(第2図)
天才と天才
ご存じのように、加藤は14歳7ヵ月で四段になった。これがこれまでの最年少棋士記録だったが、藤井は14歳2ヵ月で四段になり、この記録を破った。
14歳のときの加藤は、いかにも天才らしい天才だったといわれる。「私が奨励会5級のとき、同じ年の加藤さんはすでに三段だった。奨励会員というのは120パーセントの力を出そうとして、冬でも暖房がいらんくらい必死で戦う。その中で加藤さんの周りだけは涼しかった。美人と天才は涼しいもんだと思った」という内藤國雄九段の話を聞いたことがある。
では、14歳の藤井少年はどうか。棋才については疑いようがない。まごうことなき天才少年であろう。ただ、周りが涼しくなるような雰囲気は感じない。話だけ聞いていると、一見どこにでもいる平凡な少年のようだ。同じ天才でも、加藤とはタイプが違う。
将棋は矢倉になった。加藤の得意戦法を藤井が真正面から受けた形だ。「せっかく加藤先生に教わるのだから、矢倉で教わりたいと思っていた」と藤井。こういうところにも好感が持てる。そして、第2図の▲6五歩が出た。
まだ昼食休憩だというのに△6四角と指した加藤。この一局に懸ける闘志が伝わってくる(撮影・常盤)
第2図以下の指し手
△5三角15(昼食休憩) ▲4六銀3
△6四歩44▲5五歩4△同 歩10▲同 銀3
△6五桂 ▲6六銀上△6三銀1▲3七桂2
△8五歩2▲5四歩33(第3図)
新手が呼んだ戦い
▲6五歩のところ、▲3八飛や▲1七香なら一局。▲6五歩は角をどかして4六から銀を強引にさばく狙いで、昨年9月に堀口一史座七段が初めて指した手だ。この新手を加藤は研究していたらしい。
「この形で▲6五歩を突くと、いずれ後手の△6五桂を呼び込むことになる。リスクもあるので、かなり思いきった打開手段です」と控室の佐藤康光九段。
ちなみに加藤は、「いまの私は名人時代よりはるかに勉強している。その割に結果が出ないのは、自分でも腑に落ちないところがある」とユーモラスに語っているが、76歳になってこの情熱はすごい。
盤上は必然的に、激しい攻め合いに突入した。ただ、一歩先に攻めているのは加藤のほうだ。第3図。加藤が全体重を乗せて歩を打ち付けた。
第3図以下の指し手
△5四同銀37▲同 銀1△同 金▲6三銀2
△4三銀▲2五桂70△2四銀5▲1三桂成5
△同 銀 ▲1四歩 △同 銀▲5四銀成7
△同 銀 ▲5五歩 △4三銀29▲1四香
△同 香 ▲5四銀 △同 銀4▲同 歩
△3一角2▲6五銀15△同 歩1▲4六角
△8三飛1▲2五桂4(夕食休憩)
△1二歩19▲4一金2(第4図)
加藤、猛攻
午後の控室には、渡辺明竜王も現れた。「藤井君の偵察ですか?」と聞くと「そんなわけないでしょう」と言いながらも、興味深そうに継ぎ盤をのぞく。
そして、テレビのインタビューに答えて、「加藤先生の気合を感じる仕掛けですね。先手の駒はすべて働いているので、これを切らすのは容易ではない。後手が勝つには、どこかで攻め合いに出る必要がある。そのタイミングをつかむことができるかどうか」と言った後、「藤井君ですか? 14歳で四段ですからね。ここからどこまでくるか注目しています」。
繰り返しになるが、新四段の将棋がこんな扱いを受けるのは極めて異例だ。それに応えるべく、対局も熱戦になる。
▲6三銀のところ、▲1四歩△同歩▲同香△同香▲5五歩の攻めも見えるが、以下△4五金▲同桂△同歩で、先手が攻めきるのも容易でない。
控室の佐藤九段は△2四銀に▲3五歩を本線と見て検討していたが、以下△同歩▲5四銀成△同銀▲4六角△4三銀打▲6五銀△同銀▲6三金△3一角▲6四金に△6二飛(A図)と回る好手があって、先手も大変だという。
実戦の加藤が選んだのは、最もシンプルな攻めだ。第4図の▲4一金が強烈。全盛期の加藤は、こうした力技で中原誠や米長邦雄を攻め倒してきた。では、藤井聡太はどうか?
第4図以下の指し手
△6九銀15▲3一金2△同 金▲6四角打26
△8六桂12(第5図)
ギアチェンジ
先手に攻めるだけ攻めさせておいて、突如、後手が反撃に回った△6九銀。驚いたことに、この一手ですでに後手の勝ち筋に入っているのである。
「△6九銀に▲6八金引なら、△7八銀成▲同金△6六桂とするのが藤井君の読み。ただ、そこで▲3三銀(B図)と放り込む手があって後手も相当に怖い。B図で△3三同桂は▲1三銀で先手勝ち。△3三同飛も▲同桂成△同桂▲4三銀△同金▲3一金△同玉▲6四角で先手相当。しかし、B図で△3三同金▲3一金△6九銀▲3三桂成△同飛▲3二金打△同飛▲同金△同玉▲6七銀△7五桂▲同歩△7六銀(C図)で後手勝ちというのが藤井君が感想戦で示した順。この読みには心底驚きました」と佐藤康九段。
序中盤の藤井の指し手はごく常識的で、オーソドックスである。丁寧に指して受けに回るのを苦にしない。ところが、いったん寄せに入ったら、突然読みがギアチェンジする。勝ちになったら、最短の勝ちを目指す。羽生とも違う。渡辺明とも違う。藤井聡太の世界だ。
第5図以下の指し手
▲6八金引16△7八桂成2▲同金△同銀成1
▲同 飛5△6七金7▲6九銀7△8六銀3
▲3一角成2△同 玉▲6四角 △4二香
▲7七銀4△8七銀成1▲同 玉2△8六銀
▲同 銀 △同 歩 ▲同 角 △同 飛
▲同 玉 △6四角 ▲7五桂1△8五歩
▲同 玉 △9四角(投了図)
まで、110手で藤井四段の勝ち
(消費時間=▲4時間48分、△3時間47分)
華麗なる収束
第5図の△8六桂は詰めろではない。だが、銀がもう1枚入ると先手玉が詰む。例えば▲1一銀△同玉▲3一角成なら、その瞬間△7八銀成▲同飛△同桂成▲同玉△3八飛▲6八銀△6九銀以下詰む。
「その形は詰みますね」と藤井。詰む詰まないの読みの速さはケタ違い。実戦も△8七銀成以下、正確に詰まして藤井が勝ちきった。
終局午後8時43分。文字通り、押し寄せた報道陣を前に、加藤は興奮気味に、そして藤井は遠慮気味に語った。
「途中は指せてると思っていたんだけどね。じっと△4三銀と打って指せるという感覚がすごい。△4三銀はなかなか指せない手だよ。渋い手とシャープな手の両方指された。素晴らしい才能の持ち主であることは間違いない」と加藤。
「長い持ち時間を有効に使えました。加藤先生に教えてもらえるのは光栄ですし、自分の力を出しきることを考えました。最後はなんとか勝ちになっていました」と藤井。
この対局の様子は囲碁将棋チャンネルとニコ生放送で中継され、さらにテレビの全国ニュースでも流された。大先輩の加藤を破ることで、藤井聡太の名前はますます有名になった。この次の大勝負が待ち遠しい。もちろん、藤井の棋士人生はまだ始まったばかりだし、これから若手ライバルや先輩棋士たちは全力で藤井つぶしにかかるだろう。
かつての羽生がやったように、藤井がそれをはねのけてスターの座をつかむことができるかどうか。これからの戦いが見ものだ。
百戦錬磨の大豪に勝ち、デビュー戦を白星で飾った藤井四段。彼の将棋人生はこれからだ (撮影・中野)
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