【旧細川刑部邸】
細川(長岡)刑部家(刑部少輔家)は細川家三代(肥後藩初代)・忠利公の弟、刑部少輔興孝が正保三年(1646年)に二万五千五石を与えられて興したものです。
興孝は、延宝六年(1676年)に子飼(熊本県東子飼町)にお茶屋を作り、後に下屋敷としました。その後元禄年間や宝永年間にも造作がおこなわれ、一門として格式を整えました。刑部家は代々「刑部」(ぎょうぶ)か「図書」(ずしょ)を名乗り、家禄一万石で活躍しました。
明治四年(1871年)熊本城に鎮西鎮台が置かれ、場内の武家屋敷は城外に移るようにとの令により、時の刑部家の当主興増は、同六年(1873年)子飼に移り、下屋敷を本邸として整えました。昭和六十年に熊本県重要文化財に指定されています。
(熊本城総合事務所パンフレットより抜粋)
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