年末年始感謝祭 オススメの1冊! 『内藤國雄のすべて』|将棋情報局

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年末年始感謝祭 オススメの1冊! 『内藤國雄のすべて』

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皆様こんにちは。将棋情報局編集部・藤井です。

年末年始感謝祭も、残すところあと数日(14日まで)。ここでは、私が割引販売中の本の中から独断で選んだオススメを1冊紹介します。

これです。


構成は以下のようになっています。

第1部 インタビュー編

最後のほうで、「以上、これが最後と思って、言いたいことを言わせてもらいました。老人の戯言と思ってお許し願いたい」とご自身が断りを入れていることからもわかる通り、忌憚のない語リ口で、大山、升田を始めとした先輩棋士の思い出や、現在の将棋界に思うことなどを述べています。

第2部 自戦記編 13局

第3部 観戦記編 3局

第4部 好局解説編 17局

第5部 詰将棋編 10番

内藤九段と言えば詰将棋。代表作を10番、解説付きで掲載しています。

第6部 必死編 10問

第7部 どっちが勝ち?編 10問+番外1問

第8部 エッセイ編 20編

書名どおり、総ページ数378の中に大棋士・内藤國雄九段の「すべて」が詰められております。


ここでは自戦記編の中から、特に興味深い対局を2局紹介いたします。


まずはこれです。

加藤一二三「三段」VS内藤國雄「5級」!

自戦記編の13局にはすべて、末尾に「対戦相手エピソード」がついています。 加藤一二三九段のエピソード冒頭は以下の通り。

 加藤さんは昭和15年1月1日の生まれ。私は14年11月15日生まれだから、年齢では私が45日先輩になる。が将棋のスタートは私が14歳6級で関西奨励会に入ったとき加藤さんは既に三段、将来の名人間違いなしと騒がれていた。
 一般の学校に当てはめれば、私は小学校1年生、加藤さんは大学4年生という開き――

同年代なれど雲の上のような存在である加藤三段と、あることがきっかけで対局が始まります。その冒頭をご覧ください。

 

前代未聞の一局

△三段 加藤一二三(飛車落ち)
▲5級 内藤 國雄

昭和29年

 初手からの指し手
△3四歩  ▲7六歩  △4四歩
▲4六歩  △3二金  ▲4八銀
△4二銀  ▲4七銀  △4三銀
▲5六銀  △5四歩  ▲4八飛
△3三桂  ▲3六歩  △6二玉
▲3七桂  △7二玉  ▲6八玉
△9四歩  ▲9六歩  △1四歩
▲1六歩  △3一角  ▲7八玉
△6二銀  (第1図)

【第1図は△6二銀まで】

▲5八金右 △6四角  ▲6八銀
△5二金  ▲2六歩  △8四歩
▲6六角  △8三玉  (第2図)

【第2図は△8三玉まで】

 昭和29年春、関西奨励会に6級で入会した私は規定の成績を挙げ2カ月で5級に昇級した。時刻は午後3時。午前の対局で快勝できたのである。奨励会の対局時間は午前9時から午後6時くらいまで。持ち時間は制度はなかったから1日1局の人もいれば、早指しで3局指して帰る人もいた。
 私はいつも2局と決めていたがこの日は帰りたい気持ちになっていた。初めての昇級がうれしくて藤内師と母に報告したかったのである(当時は電話が簡単にかけられなかった)。そのとき、背中から声がかかった。「内藤さん、ていうの? ボクと一番指しましょうか」。声の主は当時福岡のダイヤモンドと言われていた加藤一二三さんであった。
――そして奨励会の本番対局としては前代未聞の飛車落ち戦がはじまった。
 定跡通りの出だしで進んだが加藤さんは途中で△3一角と変化してきた。定跡通り組み上がると上手側からいえばその形は玉が薄く、粘りが利かないから真剣勝負には不向きである。△3一角には▲6五銀と棋書で見たがそんなことしなくても勝てると思った。

 

5級ながら三段に対し棋書通りに指さなくても勝てるという気の強さに、若さ、勝負師としての素質が垣間見えます。

この対局は形勢が二転三転、180手を超える大熱戦になり、そして、およそ想像がつかないような結末が待っているのですが・・・

気になりますか? 気になりますよね・・・

でも、ここまでです。ごめんなさい。

どうしても気になる方は、本書をお求めいただくか、結末を知っている人に教えてもらってください。

 

次の1局です。これも駒落ち戦です。

内藤國雄(31歳)VS谷川浩司(9歳)

昭和46年、神戸の地下商店街での席上対局でございます。

対戦相手エピソードには、この2年前、昭和44年に40面指しで相対した時のこともつづられています。

 勝敗予想ぴたり賞が用意されていて、大半が私の30勝以上、中には内藤39勝1敗というのもあって、ハンデはなくオール平手戦だと思われていたようだ。
 多面指しで上手が勝ち星を多くするには負けかかった将棋は粘らずあっさり投了して残った将棋に力を入れること。2時間を過ぎた頃、負け将棋が何局か出てきた。「一番ヤリ」賞をどの選手に渡そうかなと考えて、その中の一番年少の子がうまい手を指したときに私は投了した。その少年が谷川浩司君である。会場から大きな拍手が湧いた。あの頃は将棋ファンが実に多かった。
 初対面のときはこのような思い出しか残っていないが、その後の上達振りが素晴らしく、2年後同じサンチカタウンの席上で一対一の対局となったのである。

では、この対局のハイライトを・・・

 

光速の寄せの片鱗を見る

△上手 内藤 國雄(二枚落ち)
▲下手 谷川 浩司

昭和46年

【第8図は△7七銀まで】

 第8図以下の指し手
▲8九桂  △同成桂 ▲9八金
△9六玉  ▲8四銀 (投了図)
まで126手で谷川君の勝ち。

【投了図は▲8四銀まで】

 第8図で私は▲9六金△同玉▲9八竜は△9七香でよいから多分▲8九桂△同成桂▲9八銀△9六玉▲6七竜と進んで戦いはまだ続くだろう。観てくれているお客がそろそろ退屈されないかなあなどと心配していた。引き分けになって良かったという気持ちの緩みがまだ続いていたのである。▲8九桂△同成桂――次に銀でなく▲9八金と打たれた瞬間ハッとした。
 詰将棋では最終手に金を打つことが多く、またこの将棋では後に▲8九銀と成桂が取れるから、9八に打つのは銀だと決め込んでいたのである。△9六玉に▲8四銀(投了図)で受けなし。谷川は後に名人となり、"光速の寄せ"とうたわれるが、その片鱗がここに表れた。10手以上前から秒読みが始まっていたが、突然の終了で観戦の人たちも驚かれたようであった。

 

エピソードにはこうあります。

 前ページまでで見ていただいたのがそのときの将棋(※上記の二枚落ち戦)で、終局後私は「この子はプロ入りすれば名人になる」と記者さんに言った。

皆様ご存じの通り、この予言は見事に的中しました。

自戦記編にはこのほか、升田幸三、大山康晴、塚田正夫、山田道美、中原誠、羽生善治など、そうそうたるメンバーとの激闘、そして各棋士とのエピソードがつづられています。

年末年始感謝祭期間中、14日まで半額です。どうぞお見逃しなく。

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著者

藤井草平(著者)