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藤井システムはいかにして生まれたか? |序盤完全ガイド 振り飛車の歴史(1)

「今、プロの間でどんな戦法が指されているのか?」「なぜ流行しているのか?」「その手の意味は何なのか?」
ネット中継を見ていてもわからないそんな疑問に上野裕和五段が正面から向き合って、初級者でもわかるように徹底して噛み砕いて解説します。

まずは、「なぜ現在ゴキゲン中飛車や石田流が流行しているのか」という問いに答えるため、振り飛車と居飛車の歴史を振り返っていきましょう。

1、人気の四間飛車対急戦

振り飛車には、中飛車から向かい飛車まで幅広い選択肢があります。その中でも、昭和の時代の人気ナンバーワンは四間飛車。三間飛車も中飛車もよく指されていましたが、四間飛車の人気にはかないません。理由の一つに、大山康晴十五世名人と森安秀光九段、二人のトップ棋士が好んで指していた影響があります。

そして、居飛車の対策は人気の急戦を筆頭に、玉頭位取り、左美濃、5筋位取り(5筋に位を取り、中央の厚みを主張する指し方)など、さまざまな選択肢がありました。第1図は四間飛車対急戦の代表的な局面です。
 
【第1図は▲4六銀まで】

第1図は▲4六銀と出た局面で「斜め棒銀」とも呼ばれています。次の狙いは▲3五歩で、3筋から攻めていきます。第1図以外でも、青野照市九段が開発、米長邦雄永世棋聖が多用して流行した「鷺宮(さぎのみや)定跡」(第2図)、加藤一二三九段が現在も愛用する「棒銀」など、急戦定跡が進化していきます。
 
【第2図は▲3五歩まで】

第2図の鷺宮定跡は、▲3八飛と寄って3筋を攻めるのが特徴です。
こうして、振り飛車対急戦の戦いが繰り広げられます。互角の戦いが続くのですが、居飛車側はせっかく急戦に成功してリードを奪っても、勝負は終盤。振り飛車の美濃囲いの堅さに逆転負けを喫し、涙をのむケースが後を絶ちませんでした。

2、居飛車穴熊が猛威を振るう

華々しく急戦で挑むけれど、美濃囲いに対して勝ち切れない。
このもどかしい状態の中で、革命的な考えを持つ棋士が現れます。田中寅彦四段(当時)です。

田中は美濃囲いの堅さに対抗するために、より堅さに勝る「居飛車穴熊」(第3図)を開発し、上位の振り飛車党をどんどん負かしていきます。穴熊自体は昔からある囲いですが、当時は「穴熊は王道ではない」という考えが根強く、指す棋士は限られていました。

 
【第3図は▲7八金右まで】

 
しかし、田中の快進撃を見るにつれ、多くの棋士が穴熊を採用し始めました。すると、面白いくらいに居飛車側が勝ってしまうのです。
採用する棋士が増えるにつれ、更に穴熊の戦い方に磨きが掛かりますから、穴熊が猛威を振るい、ついには棋士の振り飛車党が激減する、という事態に発展します。
正確にいえば、純粋な振り飛車党はともかく、居飛車と振り飛車、両方を指す棋士は、振り飛車を捨て、居飛車一本に絞ったのです。振り飛車側も、石田流や向かい飛車にして速攻を挑む指し方など、試行錯誤を繰り返しましたが、なかなか結果は出ません。
こうして振り飛車が減っていく中、逆に居飛車穴熊に立ち向かった棋士もいます。小林健二九段はもともと矢倉を得意とする棋士ですが、昭和の終わりから平成の始めにかけて、「スーパー四間飛車」を開発し、居飛車穴熊対策を多数発表して対抗します。

小林が開発した数々の手法は一定の成果を収めたものの、穴熊全盛の流れの中で、根本的な穴熊退治はできずに終わっています(ただし、小林の研究、視点は次の世代に引き継がれています)。

さらに、振り飛車党にとって悪い知らせがもう一つ。天守閣美濃の研究が進み、これも頭痛の種になりました。
特に第4図の天守閣美濃四枚バージョンが強固であり、高橋道雄九段や南芳一九段、森下卓九段など、持久戦を好む棋士が愛用し、白星を重ねました。
 
【第4図は△5四歩まで】

 急戦に対しては、美濃囲いの堅さという武器で互角以上に渡り合った振り飛車ですが、ここにきて自軍よりも堅い囲いを築かれ、主張をかき消されてしまいます。
 振り飛車にとって、苦しい時代です。

3、藤井システムの華麗なるデビュー

一つの戦法が猛威を振るえば、必ず対策ができるのが将棋界の歴史です。
藤井猛四段ら、振り飛車党の棋士は生き残りを懸けて、天守閣美濃と居飛車穴熊、二つの対策を模索します。
その結果、天守閣美濃の弱点を探り出し、ほぼ壊滅状態に追い込むことに成功します。
代表的な実戦例(平成7年1月 室岡六段―藤井五段・順位戦C級1組)を確認しながら、ポイントを押さえていきましょう。盤面の細かいところは気にせず、急所のみを見ていただけたらと思います。
まずは、第4図の四枚バージョンにがっちり組まれるとまずいので、6五の位を取ります(第5図)。
 
【第5図は▲7七銀引まで】

次に、天守閣美濃の弱点である玉のコビン、7六の地点を攻めます(第6図)

【第6図は△7五歩まで】

第6図は△7五歩と突いた局面です。2二の角の働きで、7六の地点を攻めようとしているのがお分かりでしょうか。
そして、第7図。△7六歩という大きな攻めの拠点を作ることに成功です。
 
【第7図は▲8八銀まで】

第7図以下は、△8四歩~△8五歩と天守閣にいる玉を直接攻めて振り飛車が快勝。
ここまでのポイントをまとめると、

 1、6五の位を取る
 2、玉のコビンを攻める
 3、玉を上から直接攻める

の3つになります。
こうして天守閣美濃は衰退していきます。
現在では、天守閣美濃は以前のように猛威を振るうことはなく、一つの戦い方、振り飛車の形によっては使用する戦法、というのが棋士全体の共通認識になっています。
さて、次は本丸である居飛車穴熊退治です。
藤井ら振り飛車党は、穴熊のある大きな欠点に目を付け、それを突くことを穴熊退治の軸に据えます。その欠点とは、

「穴熊に組む直前が不安定な状態である」です。

第8図をご覧ください。居飛車穴熊に組む直前の部分図です。
 
【第8図は▲9八香まで】

今、▲9八香と上がった局面で、ここから「▲9九玉」「▲8八銀」と組めばひと安心。
しかし、何やら3三の角と7三の桂が不穏な動きを見せていますね。
第8図では、△8五桂▲8六角に△6五歩と攻められると先手玉が危険な状態に陥ります(第9図)。
 
【第9図は△6五歩まで】

この角筋を生かした攻めは、玉が穴に潜る直前だからこそ、効果が大きいのです。
第9図でもし▲9九玉、▲8八銀の2手が入っていたら、この攻めが全く怖くないのはお分かりいただけるでしょう。この辺りの関係を藤井はユニークな言葉で表現します。
「▲9八香の局面は10円。
 ▲9九玉の局面は500円。
 ▲8八銀の局面は1万円。」

無類の強さを誇る穴熊も、▲9八香の時点では10円の価値しかないのです。

以上の発想をもとに、振り飛車党は試行錯誤を重ねます。その延長線上に編み出されたのが、「居玉で戦う藤井システム」です。
藤井システムの歴史を振り返るときに、必ず紹介されるのが有名な藤井六段―井上慶太六段戦です(第10図・平成7年12月・順位戦B級2組)。
 
【第10図は▲5六銀まで】

井上には毎回気の毒ですが、これも将棋ファンの皆さんのためです。
第10図の振り飛車の駒組みは、従来の発想にはない形です。玉を囲うという概念はまるでなく、未完成の穴熊に総攻撃を仕掛けることにすべてを費やした仕様です。そして、第10図から18手後の局面が第11図。
 
【第11図は▲4五角まで】

第11図の両軍の駒をご覧ください。先手が攻めて攻めて攻めまくった様子がなんとなくお分かりいただけるかと思います。
そして、第11図で歩頭に打った▲4五角が決め手。▲1二角成と▲6三歩成を見せ、後手は対抗する手段のない状態です。以下6手後に後手が投了。総手数47手、振り飛車の快勝譜でした。
居玉という発想は当時にしてみれば画期的、というより皆が唖然としました。
しかし、その感覚が段々と浸透してくると、「穴熊を縦から攻めるときに戦場になるのは、1筋から4筋方面である。だから、そちらに玉を移動させずに5筋に待機させるのはむしろ道理である。また、玉の移動よりも攻撃態勢に手をかける方が良い」
という共通認識に変わります。
そして、勢いに乗る藤井は平成10年竜王戦にてタイトル戦初出場。谷川浩司竜王をなんと4―0のストレートで破り、竜王位に就きます。

以上、簡単に穴熊や天守閣美濃に組めないことが分かると、居飛車党は再び急戦に活路を見出します。しかし、実はこれこそが振り飛車党の望むところ。新しい急戦対策を次々と打ち出し、急戦を撃破していきます。
当時、筆者は奨励会員でしたが、藤井の活躍を目の当たりにして、居飛車党から振り飛車党に転身する奨励会員を多数目撃しています。居飛車穴熊が猛威を振るったころとは逆の現象が起きたわけです。
(続く)

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※本記事は、上野裕和五段著「将棋・序盤完全ガイド 振り飛車編」から一部を転載したものです。
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著者

上野裕和(著者)
1977年4月13日生まれ、神奈川県厚木市出身
1991年6級で安恵照剛八段門
2000年10月1日 四段
2007年4月1日 五段
2009年~2010年 日本将棋連盟理事

将棋の序盤の分類、研究が有名。また子どもの講師を務めるなど、普及にも熱心。