【人気連載第2回!】将棋ガールズ|将棋情報局

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【人気連載第2回!】将棋ガールズ

お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中 ここでは青山学院大学将棋部に所属する現役女子大生、多々納光さんによるエッセイを掲載します。毎週金曜日更新予定です。
今回は第2回分を掲載します。 →第1回分はこちら

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将棋ガールズ ~青学将棋部女子部員の打ち明け話~

谷川治惠先生との出会い

私が将棋女流棋士五段の谷川治惠先輩に初めてお会いしたのは、今から10年ほど前、私がまだ小学生だった頃のこと。先生は若いお母さんふうの出で立ちで物腰柔らかく、指導対局をお願いする、うるさいガキんちょの私に、上品に優しく話しかけてくれた。その谷川治恵先生が、今は大学将棋部のOGとして親しく声をかけ、気にかけて下さることになるなんて、その頃はまったく思いもしなかった。


※青山学院大学将棋部OB会。
下部中央が谷川治恵女流五段、その右隣が多々納さん

現在は荻窪に移転した荻窪将棋サロンの席主の新井さんは、当時は吉祥寺で将棋サロンを運営されており、春休みと夏休みに子ども将棋大会を開催していた。私は家から近かったこともあり、兄や弟と一緒にたびたび参加していた。そこへ指導対局に来られていたのが谷川治惠先生である。

子どもがプロの先生に指導していただくのはとても貴重な機会だったのに、私はおしゃべりばかりで、きちんと将棋を習うよりも先生と身近に話をするほうが楽しいと思っていた。今思えば、もったいない子どもだったな~と反省。

研修会に入っていた兄の真似をして、将棋のルールも知らない私が、杉並区の阿佐ヶ谷にある子ども将棋教室『棋友館』に通い始めたのは小学四年生のとき。その頃、運動が得意で頭よりも体を動かすほうが好きだった私には、およそ似合わない習い事だった。

棋友館には脳トレによいとか礼儀作法が身につく、落ち着いて考える癖がつくなどの効果を求めて、親子連れがやってくる。館長先生は小田切秀人指導棋士五段。おはじきや蛍光ペンを使って駒の動かし方から教えていただいた。わりと厳しく対局姿勢やしつけから指導なさる。だから、ちゃんと通っているうちに、だんだんと将棋が指せるようになった。ところが私ときたら(子どものころですよ)、将棋の教本は難しいので貸していただいても全然読まず、詰将棋も大嫌いだった。「もっと考えて指しなさい」「盤面は詰んでいるから詰ませてごらん」なんて言われると、考えるふりをしながら早く時間が過ぎないかなぁと思っていた。先生には見抜かれていた気がする(汗)。こんなふうに、子どもの頃の私にとって将棋は、真剣に取り組むものではなく、たくさんある遊びの中の一つに過ぎなかった。

そんな私が今も将棋を続けている一番の理由は、高校時代の将棋を通したさまざまな思い出が、かけがえがないものだから。それは間違いない。


※当時の教室対抗戦

中学生になると小学生の時とは違って、公式の大会が男女別になった。スポーツなら男女別に勝負するのは当たり前のことなのだけれど、文化部門では男女別は珍しい。書道、華道、音楽などでも、コンクールはふつう、男女混合で採点されている。
男子と混ざって戦わなくてもよくなったのだから、本当ならすごいチャンスのはずなのに、私は中学では三年間とも東京都代表になれず、山形県天童市で全国大会が開催される中学選抜に参加できなかった。中学選抜全国大会は、将棋をやっている中学生なら、誰でも出てみたい一年にたった一度の憧れの大会。天童市特産の将棋の飾り駒に、参加者の名前が書いてある、立派な縦長の駒の形の参加札がうらやましくて、すごく欲しかった。将棋大会には女子の参加者は多くないにも関わらず、私は毎年毎年、次点で代表になれないことに、かなり気持ちがへこんで、もう将棋なんかやらない!と腹を立てた。中学三年生の七月初旬、千駄ヶ谷の日本青年館で行われた中学選抜の東京都予選に敗退するやいなや、私はすっかり将棋とは決別して、高校受験勉強に完全に没頭する日々に突入していった。


※取れなかった天童の飾り駒。写真は兄のもの。

(第3回、高校編へ続く) お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中
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