細かすぎて伝わらない!『令和5年版将棋年鑑』藤井聡太インタビューの微妙なニュアンスの補足 第3回|将棋情報局

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細かすぎて伝わらない!『令和5年版将棋年鑑』藤井聡太インタビューの微妙なニュアンスの補足 第3回

(1)見れないテレビ
(2)純情な感情
(3)盤上の物語
(4)逃げない

お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中 皆さんこんにちは。「楽しんで無駄にした時間は、無駄じゃない」でおなじみの編集部島田です。

ようやく東山動植物園から舞い戻ってまいりました(第2回参照)。だいぶ妄想が暴走してしまったので「こいつ、大丈夫か?」と思われた方も多いと思いますが、この連載ではふいに妄想小説が始まることが稀によくありますのでご容赦いただければ幸いです。

さて、将棋年鑑の藤井聡太竜王・名人へのロングインタビューの細かいニュアンスをお伝えするこの企画、第3弾の始まりです。今回も清く正しく気持ち悪くまいりましょう。

今回のMENUは以下の通りです。
(1)見れないテレビ
(2)純情な感情
(3)盤上の物語
(4)逃げない

第3回も4つのテーマでお送りします。花・鳥・風・月と取り揃えておりますので、しみじみとした趣を味わっていただければ幸いです。

それでは(1)からいってみましょー!

(1)見れないテレビ
1番バッターは「見れないテレビ」です。これはタイトル戦振り返りの竜王戦のお話で現れました。将棋世界で挑戦者の広瀬章人八段が1日目の夜にテレビでバレーボールの試合を見た、ということを書かれていました。
そこで藤井先生も2日制のタイトル戦の1日目の夜にテレビを見たりするのかな?と気になりました。皆さんも気になりますよね?
島田が代表して聞いてみましたのでご覧ください。

――広瀬先生の自戦記に1日目の夜はやることがなくてテレビでバレーボールと見ていたと書かれていました。藤井先生も1日目の夜にテレビを見ることはありますか?
「あります」
――あるんですか! そうなんですね。
「まぁ番組次第なんですけど(笑)」

なんと、藤井先生もテレビを見るとのこと。ひたすら局面のことを考えているのかなと思っていたのですが、そうでもないのですね。「番組次第」と言われたからにはどんな番組か聞くしかありません。続きをご覧ください。

――どういう番組を見るんでしょう?
「これまではニュースを見ることが多かったんですけど、王将戦のときはテレビで王将戦が取り上げられていたのでその手が使えなくなりました」
――なるほど(笑)。
「なので王将戦の時は違う番組を見ていました。もちろん、必ず見るということではなくて、見ない時もありますし、場合によってという感じです」
――テレビのニュースで将棋が出るなんて数年前では考えられなかったですね。
「そうですね。大変ありがたいことではあるんですけど、ただ、その時はしびれました(笑)」

藤井先生が見ているのはニュースでした。でも王将戦の時はその手が使えなくてしびれたと。
実際、藤井先生が王将戦のニュースを見たからといって、対局のヒントになるような情報は流れてこないと思うのですが、万が一ということもありますからね。

島田の頭の中では、お風呂上がりの藤井先生がベットの上で髪の毛をふきふきしながらテレビをつけて、ぼんやりニュースを眺めているところに王将戦のニュースが流れてきて「あっ!」と慌ててリモコンを探してチャンネルを変える様子が0.1秒で脳内に浮かんできて、なんか微笑ましかったです。

あと、最後のやり取りのところで「そうですね。大変ありがたいことですね」と言って会話を終わりにするのも自然なところでしたが、「大変ありがたいことではあるんですけど、ただ、その時はしびれました」ともう一回テレビが見れない話をされたので、ニュースの時間を取り上げられたことを結構根に持ってる印象を受けました(笑)。ちょっとかわいかったです。



(2)純情な感情
初手からまぁまぁの気持ち悪さが炸裂したところで、勢いに乗って2つ目のテーマにまいりましょう。続いては「純情な感情」です。3分の1も伝わらないやつです。これも竜王戦の振り返りの中で出てきたお話で、広瀬先生が自戦記で、終盤に藤井先生ががっくりうなだれているのを見て優勢を確信したということを書かれていましたので、対局中に感情を出すことについて聞いてみたものです。
藤井先生は竜王戦に限らず、劣勢の時は誰が見てもわかるくらいがっくり肩を落とされます。これは相手に情報を与えることになるので、勝負としては不利なのではないかと思うのですが、その辺り藤井先生ご自身はどう考えているのか聞いてみました。

以下のやり取りをご覧ください。

――第5局では藤井先生ががっくりとうなだれているのを見て、広瀬先生が自分が勝っていることを確信した、と自戦記にありました。がっくりするのは相手に情報を与えるデメリットもあるのかなと思うのですが。
「ただ、自分から見てはっきりダメだという局面は、相手の方がそう思ってないということは相当ないはずなので」
――なるほど(笑)。ではこれは広瀬先生のリップサービスですかね。
「そう思います」

この「相手の方がそう思ってないということは相当ないはずなので」というわかりにくい二重否定の表現がいかにも藤井調。
つまり、自分が劣勢だと思ってるときは相手もそう思ってるから問題ないのだということですね。

ただ、この回答をしているときの藤井先生はちょっと照れ隠しをしているようにも見えたので、自分ががっくりしている様子を見られるのは恥ずかしさもあるのかなと思いました。

島田としては藤井先生が対局中に感情を表してくれるのはとても好きなので、これからも続けてほしいなと思いました。なので、話はこのように続きます。

――対局中に感情を出してくれることは観る側としてはありがたいことですので今後も続けていただけるとうれしいです。
「そうなんですか(笑)」
――将棋の先生は有利でも不利でも動じないというか、感情を表に出さない方が多いじゃないですか。
「確かに。広瀬八段はほとんどわかりませんでした」
――観ている方は対局者が有利だと思っているか不利だと思っているかわかったほうが楽しいので、これからもぜひ出していってください。

照れながらの「そうなんですか(笑)」が可愛いらしくて気絶しそうになりましたが、なんとか思いは伝えられました。

連載の第1回で羽生先生が「そのまま進んでいいんだよ」ということを伝えてくれた、という話を書きました。それには遠く及びませんが、私も「そのままでええんやで」と伝えられたので、満足です。



(3)盤上の物語
さぁどんどん行きましょう。続いては「盤上の物語」です。ここまで竜王戦のお話が続きましたが、これは詰将棋パートで現れたお話になります。

會場が「詰将棋と指し将棋の共通性」について質問したところです。以下のやり取りをご覧ください。

――先生は「盤上の物語の価値は不変」と語っておられます。同時に、詰将棋においても「ストーリーのある手順が好き」とおっしゃっていました。指し将棋における物語と詰将棋におけるストーリーにはつながっている部分がありますか?
「指し将棋であれば対局者、詰将棋であれば作者になりますが、その人の意図が指し手や作意に反映されているのが好きということはあるかなと思います」

この連載を読んでいる皆様には説明不要かと思いますが「盤上の物語の価値は不変」というのは藤井先生の名言の中でも屈指のものですね。島田的にも一番好きかもしれません。AIの方が強くなってしまった現代において、棋士が将棋を指す意味について藤井先生が意見を述べたものです。
人間の指す将棋には物語があり、その物語の価値はAIが出てきても変わらないのだということですね。実際、我々は藤井先生が紡ぎだす盤上の物語に魅了されています。

藤井先生は詰将棋でも指し将棋でも人間の意志(意図)が感じられるものが好き、ということですね。話は続きます。

――意図が重要、ということですね。そうなると指し将棋の物語と詰将棋のストーリーはほぼ同じ意味という理解であっていますか?
「そうですね。ただ詰将棋のストーリーというのは作者のしたい表現としてありますけど、指し将棋においてはそれぞれの対局者の考えが積み重なったものが結果的にストーリー的に構成されるということなので、少し異なるところはあると思います。指し将棋においては観る人によってどういうふうに解釈するか変わってくるところは面白い部分かなと思います」

う~ん。深いです。
詰将棋は作意があらかじめ作品に込められているのに対して、指し将棋は対局者二人の意図が積み重なって物語が生まれるのだと。指し将棋には最初から狙った意図がないので偶然性のある物語になるのですね。

私がこの答えの中でいいなと思ったのは最後の「指し将棋においては観る人によってどういうふうに解釈するか変わってくるところは面白い部分」というところです。

藤井先生の広い心を示しているような発言かなと思いました。

よく級位者の方や観る将の方に「将棋わからんくせに」と揶揄するような発言をされる方がいますけど、将棋は棋力に関係なく誰が見てもいいものだし、見た人の数だけ別の物語が生まれるのは面白い部分だと藤井先生は言っています。

「将棋観戦の自由」を宣言したような発言で素晴らしいなと思いました。

将棋界のトップオブトップの方がこのような寛容な方で良かったなと感謝したいです。
藤井先生、いつもありがとうございます。

と、いうことでこれからも藤井先生が生み出す盤上の物語を、島田なりに気持ち悪く解釈していく所存です。



(4)逃げない
ここまでが長かったので、すでにお腹いっぱいという方もいるかもしれません。しかし、最後に一番気持ち悪いテーマを持ってくるのがこの連載の真骨頂でございます。
今回の最後のテーマは「逃げない」です。これはまたしても竜王戦の振り返りで出たお話です。
今期の竜王戦で藤井先生は広瀬先生の用意した作戦に苦しめられました。藤井先生曰く、特に後手番の時にうまく対応できなかったとのことでした。で、今後同じような作戦で来られた時にどうするか、という質問でございます。以下のやり取りをご覧ください。

――後手番での対応、ということについて、今までうかがったお話から考えると、相手の研究まで網羅しようということではないんですよね。
「そうですね。もちろん全部を定跡でカバーするというのは現実的ではないです。ただ、今期の竜王戦の第3局で▲4五歩という仕掛け方を知らなくて、知らなかったと言うか気づかなくて見えなかったので苦しくなってしまいました。これも局面のポイントを押さえていないので気づかなかったということなので、そういう手筋を知っておくのは必要だと思います」

この部分、ちょっと複雑なことを言っているので真っ当な意味で「インタビューの補足」をさせてください(;^_^A

まず、対応するといっても相手の研究まで全部網羅しようというのは現実的ではない、というのが前提としてあります。例えば「新村田システム」を村田先生と同じレベルで研究する、みたいなのは無理ということですね。

ではどうするかというと、似たような戦型において汎用的に現れる部分的な手筋(局面のポイント)を押さえておくことで、そこから相手の手を類推して対応する、ということです。

その一つの例として「竜王戦第3局の▲4五歩」という手を挙げているわけですね。この発言の中で「▲4五歩という仕掛け方を知らなくて、知らなかったと言うか気づかなくて」と言い換えてますが、この言い換えは実は大事なポイントだと思っています。

つまり、▲4五歩の仕掛けを知らなかったこと自体は問題ではないのです。そうではなくて、局面のポイントを押さえていなかったために、▲4五歩という仕掛けを類推できず、その手に気づけなかったことが問題なのだということですね。

ここで私が何を言いたいかといいますと、藤井先生の課題に対する姿勢カッコいいということです(貫く藤井愛)。

自分が失敗をしてしまった場合、「〇〇を知らなかったから」で済ますのはとても簡単なことです。自分の心も傷つきませんし、諦めも早くつきます。
これは将棋でもそうですし、ビジネスの場面でも当てはまることですね。

しかし、その考え方に逃げないのが藤井流。

「○○」を知らなかったとしても、「△△」を押さえておけば、そこから類推して考えることができたはずだろと。なんでそれができなかったかと、自分に厳しく反省するスタイル。

こういう姿勢で将棋に取り組んでいるから、どこまでも強くなれるんですね。

「知らなかったと言うか気づかなくて」という言い換えに、藤井先生の生き方が表現されていると思いました。

こういう自分への厳しさは藤井先生の好きなところで、カッコよすぎてもう、一生ついていけます。



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はい。以上で連載第3回は終了となります。
読んでくださった皆様、ありがとうございました。

あれ?今回は妄想パートなかったな、と思ってしまった方は相当この連載に毒されてますね(笑)

おかげさまでインタビューの補足も3回続きました。次でラストにするか、次の次でラストにするか思案中ですが、書けそうなら長く書いていきたいと思いますので、読んでやってください。

それでは霧の中の第4回でお会いしましょう。

また逢う日まで、さようなら(^^)


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