藤井聡太の神業 「藤井の△6二銀」に見る勝負師の一面|将棋情報局

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藤井聡太の神業 「藤井の△6二銀」に見る勝負師の一面

『藤井聡太の詰み』第1章より

お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中 ここでは『藤井聡太の詰み ~デビューから令和3年度まで~』の一部を紹介します。

2019年3月27日に行われた第32期竜王戦ランキング戦4組、中田宏樹九段との一戦です。
 

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勝ちと負けはいつも紙一重だ。そのきわどい境界線上では、人間同士の激しい駆け引きが行われており、そこに私たちはドラマを見出すのだろう。
今でこそ序盤からリードを保って勝ちきるスタイルがすっかり定着した藤井だが、その奥底にはまだ熱い闘争本能が眠っていて、不利になった局面でそれが顔を出す。不利な局面においては、AI的な最善手には何の意味もないことを、藤井聡太はよく知っている。
本局は、そういう勝負師の一面を見せた一局だ。



問題図からの指し手
△6二銀!(第1図)



これが当時将棋界の話題をさらった一手。この手の背景には、ある詰み筋を巡る攻防が潜んでいる。それを追ってみよう。

問題図からの指し手②(仮想手順)
△6八竜!(第2図)



先手玉が堅く守られているようにみえるこの局面で、いきなり△6八竜と切る筋が実は相当の迫力。▲同玉、▲同銀はいずれも詰んでしまう。では先手はどうすればいいか。

第2図からの指し手
▲6八同金△8八角 ▲同 銀 △同 と
▲同 玉 △9六桂 ▲7八玉(第3図)



長手順進めたが、この対応が唯一の逃れ手順。ここからも△8九銀と迫ることはできるが、▲7七玉△7六金に▲同竜で詰まない。では、このときに最後の▲同竜がなければ? このことを、藤井は数手前から考えていたという。この読みの上に立って、藤井は勝負手を決断した。それが第1図の△6二銀だったというわけだ。

この手自体はもちろん先手に何か脅威をもたらしている手ではないが、先手の指し手もこれで格段に難しくなっている。もともと先手が直前に指した▲5四歩の狙いは、次に▲5三歩成と銀を取って、△同竜とさせれば自玉が安全になるというものだった。つまり詰めろにはなっていないわけで、終盤の速度争いの観点からは、先手玉に詰めろをかけるか、自玉に詰めろがかかるまでの手数を伸ばす手を指さなければならない。しかし、藤井は取られる位置を変えるためだけに1手を費やし、しかも▲同竜とした局面は後手玉が詰めろになっている。中田もおそらく、内心怪しさは感じつつ、このわかりやすい詰めろの誘惑に抗えなかったはずだ。

第1図からの指し手
▲6二同竜(第4図)



中田は2分残していた持ち時間を使い切り、▲同竜と取ってしまう。△6二銀に対しては、▲3四桂(第5図)が詰めろで先手勝ちだった。



しかしこの手は、桂を拠点にして上部を押さえていた流れからしても選びづらい手だ。また詰みの手順も決して簡単ではない。▲4二桂成△5四玉▲4三銀△5三玉▲5四歩以下、豊富な持駒を生かして詰むが、変化が広く読みきるのは大変だ。藤井の△6二銀は、心理的要素まで計算に入れた勝負術だったといえるだろう。

第4図からの指し手
△6八竜(第6図)



△6二銀と▲同竜の交換により、これで詰み筋に入っている。第6図の△6八竜に対して▲同金は前述の手順通りに進んで△7六金まで。▲同銀は△8八金▲同金△同と▲同玉△9六桂以下ほぼ同様の手順だ。そこで本譜は▲同玉と応じた。

第6図からの指し手
▲6八同玉 △6七香(第7図)



第7図では、①▲6七同金②▲7九玉③▲5七玉が考えられる。

①▲6七同金以下の変化
△同 馬 ▲同 玉 △5五桂 ▲5七玉
△5六歩 ▲4八玉 △4七金 ▲4九玉
△6七角 ▲3九玉 △3八金打(第8図)まで



6七で清算して△5五桂が急所だ。途中△5六歩に▲同玉なら△6七角▲5七玉△5八金まで。

②▲7九玉の変化
△6九香成▲同 玉 △5八角 ▲7九玉
△6七桂 ▲同 金 △7八金 ▲同 玉
△6七角成▲6九玉 △7八金(第9図)まで



この変化では、途中の△6七桂が急所。これで金を斜めに誘えば攻めが続く。この△6七桂に▲6八玉という手が気になるが、それには△6九角成!(第10図)が詰将棋のような捨て駒で決め手。



▲6九同玉には△5九馬までだし、▲5七玉には△5八馬右から詰む。

そこで、中田は△6七香に対して③▲5七玉を選んだ。

第7図からの指し手
▲5七玉 △5六歩 ▲同 玉 △4五金 (投了図)
まで藤井七段の勝ち



これには△5六歩から△4五金と決めてしまうのが明快で、中田の投了となった。投了図以下は▲5七玉に△3九角と打つのが急所の手。いったん▲4八歩と合駒をさせて△同角成とする。この1歩が大きい。▲4八同銀に△5六歩と打てるからだ。以下▲4七玉に△3五桂▲3七玉△2七馬(第11図)まで、1枚の持駒も余らずぴったり詰むのが美しい。



思うに、勝負と研究とはやはり違うものだ。将棋というゲームは、厳密には研究によって結論が出せるゲームかもしれない。それでも、そのゲームを二人の人間でするときには、そこで繰り広げられるのは研究発表ではなく、将棋を通じた人と人との戦いだ。だから、正解が指せなくて負けた、という減点式の発想ではなく、勝負術に優れたほうが勝った、と見るほうが正しい、と思う。

藤井の若手時代には(いまも十分若いけれど)、本局のように不利な局面から、相手との駆け引きの中で距離を詰めていき、抜き去る将棋が多く見られた。もちろん、その駆け引きを可能にするだけの膨大で正確な読みの裏づけがあってこそだ。本局でも、ここまで書いてきたような筋をすべて読みきっているからこそ、その筋の成立条件に向かって局面を誘導していくことができたのだ。

余談になるが、中田宏樹にも本局の△6二銀のように鮮烈な印象を残した手があった。
中田が26歳で当時の谷川王位に挑戦した第32期王位戦七番勝負第2局。終盤、谷川が打った△3八飛に対して中田はその飛車の隣に▲4八金!と打った。これが絶妙手。△同飛なら飛車の利きが3筋から逸れるため、詰むという仕組みだ。金駒の犠牲で飛車を動かして詰ませるということでは、本局に似ているものがある。これがキャリア唯一のタイトル挑戦となった中田は、2023年に鬼籍に入った。
目の前の若武者をどのように感じていたか、いまはもう聞くことができない。


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