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挫折からよみがえった男たち 【今泉健司編】|将棋世界2019年12月号より

瀬川晶司六段、今泉健司四段、折田翔吾さん。この3人を結び付けるキーワードは、ずばり「プロ編入試験」である。
瀬川六段が1944年の故・花村元司九段以来、61年ぶりの特例による編入試験を受けてプロ棋士になったのが2005年。その翌年には正式に制度化され、14年には今泉四段が現行制度初の合格者になった。
その試験に今年、新たに挑むことになったのが折田さんである。この3人はどんな挫折を乗り越えてプロになったのか、また、なろうとしているのか。それぞれの人生を語っていただいた。
【司会・構成】鈴木宏彦
【撮影】弦巻勝

オリンピックに勝ったぞ!

—  今泉さんの復活ストーリーは瀬川さんにも増して劇的です。94年に三段昇段。11期のリーグ通算で101勝97敗と勝ち越した。その間、2度次点を取っているんですね。ところが、「次点2回でフリークラス編入」の制度ができるのはそのあと。このときは適用されなかった。

今泉 結果的に、次点2回でプロになれなかったのは僕と指導棋士になられた小池裕樹さんの2人だけだと思います。

— 今泉さんは99年、やはり年齢制限で奨励会を退会された。そのときのお気持ちはいかがでしたか。

今泉 死にたくはなかった。死ぬつもりはありませんでした。ただ、無になって、この世から消えたかった。3ヵ月くらいはその状態です。でも、地元の福山市には私を応援してくださる方がいて、ある方から「今泉さんのこれまでの人生は決して無駄ではない。人生に無駄なことなんて一つもないんです」と言われて、前向きな気持ちになれた。僕は将棋が嫌いになってやめたわけじゃない。自分のことを認めてくれる人がいたことがありがたくて、それならアマチュアのタイトルを総なめにしてやるかと。そういう気持ちになれた。人との出会いが人生を変えました。それからは将棋講師をやり、運転免許を取り、バイトもしながらアマ大会に参加する。そんな日々が始まります。

— 今泉さんのアマ大会での活躍は目覚ましく、06年には3つのアマ棋戦で優勝し、秋山太郎さんとともに07年に創設された三段編入試験の第1号適用者になった。試験は二段陣を相手に6勝1敗で合格。再度三段リーグに参加することになりました。三段編入試験とプロ編入試験は、名前は似ていますが別物です。三段編入試験は「6つのアマ棋戦のうち1つで優勝し、そして二段との試験将棋に8戦で6勝」が条件です。

今泉 当時、すでにプロ編入試験はあったんですよ。でも、「プロ相手に10勝5敗」なんて考えられる数字ではなかったから、全く頭になかった。目の前にあったチャンスが三段編入試験でした。

— しかし、二段相手に8戦6勝というのもすごい数字です。その後、何人かのアマ強豪が三段編入試験を受けましたが、合格者はこれまで今泉さんだけ。33歳で再び三段リーグに臨むときの気持ちはいかがでしたか。

今泉 二段陣との試験将棋の最初の対戦相手が吉田正和君(現・渡辺正和五段)でした。対戦相手の中では彼がいちばん強いと見ていたので、これを勝てばなんとかなると思ってその通りになった。もちろん、三段リーグはやってやろうと思った。僕は将棋が弱くて退会になったわけじゃない。たまたま年齢制限という規定にかかっただけなんだと思っていましたから。1期目、僕は9勝2敗と突っ走った。そのまま何も考えずにいけばよかったのかもしれないけれど、ふと「おかしいぞ」という気持ちが頭をよぎったんです。「こんなにうまくいっていいのか」という弱気な気持ちが湧いた。そこからがたがたになりました。

— あと一歩の壁を破れなかった理由はどこにあるのでしょう。

今泉 自分が甘かった。結局、我々の世界は結果がすべてなんです。その結果に結びつけることができなかったのは甘かったとしかいいようがない。

— 最初の三段リーグのときと2度目のリーグのときとでは、今泉さんの実力は上がっていたのでしょうか。

今泉 僕は20歳の頃、自分はむちゃくちゃ強いんじゃないかと思っていた時期がある。でも、いま考えると大したことない。むしろいまのほうが、それなりに経験を貯めこんでいて強いんじゃないかと思うこともある。だから、33歳のときもそれなりの強さはあったと思う。

— 09年、2度目の奨励会も退会。このときの心境はいかがでしたか。

今泉 プロになるのはきっぱりあきらめました。あとはのびのび楽しくアマチュアとして指していただけです。プロ編入試験は頭の片隅にもなかった。だって、県代表になるのも大変なのに全国大会で優勝や準優勝するのがどれほど大変なことか。それからプロに10勝(5敗)もするなんて現実的な目標じゃないんです。

— とはいえ、今泉さんはアマ大会で勝ちまくった。全国大会優勝7度。14年には朝日アマ名人戦で5連覇中だった清水上徹さんを破って史上2人目のアマタイトル大三冠(アマ竜王戦、アマ名人戦、朝日アマ名人戦)を達成。第4図がタイトル獲得を決めた将棋ですね。

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今泉 清水上君は歴代最強アマの一人。彼に勝つことは一つの目標だった。自らの弱点でもある桂頭からどんといく。善悪はともかく気持ちが出ていますよね。結果的に、この優勝で朝日杯公式戦の出場資格を得られたのが大きかった。

— 13年9月の銀河戦まで、今泉さんは対プロ公式戦9勝4敗という成績を残した。あと1勝で受験資格が得られるわけですが、次の対局がなかなかなかった。やっと指せることになったのが第5図。14年7月、星野良生四段との朝日杯です。

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今泉 さっきもいったように、対プロ戦7勝、8勝の時点では編入試験のことは全く考えていませんでした。アマチュアの自分がプロ相手に星勘定をするなんて不遜ですから。それがあと1勝になって、初めて考えた。この対局は忘れられません。対局は公開対局で行われ、対局場の関西将棋会館に僕の応援団が集まってくれたんです。序盤で失敗したが、図の△9五桂で逆転の手ごたえを感じた。この手を指すとき、汗で駒が手から離れなかったのを覚えています。

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一回り以上も年齢の離れた新鋭四段たちとの五番勝負は過酷だったが、悲願のプロ入りを果たす。41歳の新四段はもちろん最年長記録(撮影・週刊将棋)

— そして編入試験。対戦相手は当時の宮本広志四段、星野良生四段、三枚堂達也四段、石井健太郎四段、竹内雄悟四段の5人。今泉さんは1、2、4局に勝ち3勝1敗で合格を決めた。第6図は3勝目の石井戦です。

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今泉 仲間から「飛竜の陣」と名づけられた局面です。この将棋は自分らしさが出ました。

— 合格の瞬間のお気持ちは?

今泉 ウソみたい。その一言です。自分が勝つことで周りの人がものすごく喜んでくれた。そしてテレビも新聞も取材にきてくれた。僕の合格のニュースがオリンピックの報道より先にテレビに流れたんです。思わず「オリンピックに勝ったぞ」と叫んでました(笑)。

— 今泉さんがご覧になった奨励会、アマの世界、プロの世界の違いは?。

今泉 奨励会では、鎖で縛られて将棋を指していた。そこで強くなるんだけど、力を出せない人もいる。アマチュアの人は皆、とにかく将棋が好き。プロより勉強していると思う人もいる。プロの世界は、当たり前だけど皆強い。自分もやれると思う気持ちもあるけれど、まだ結果を残せていない悔しさもある。僕はまだ八大タイトルのリーグや本戦に1度も進んでいない。それが1つはほしい。自分はこれからだと思っています。

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◆ 瀬川晶司プロフィール
1970年3月23日生まれ。神奈川県横浜市出身。安恵照剛八段門下。84年、6級で奨励会入会。92年に三段昇段。三段リーグは8期在籍したが、年齢制限(26歳)のため96年に退会。2002年にアマ王将、翌年も準アマ王将となり銀河戦に2年連続3度目の出場。公式戦で通算17勝6敗の好成績をあげ、05年に将棋連盟に嘆願書を提出。61年ぶりにプロ編入試験が実施され3勝2敗で合格。プロ四段となる

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◆今泉健司プロフィール
1973年7月3日生まれ。広島県福山市出身。87年、6級で奨励会入会(当時は小林健二九段門下)。94年に三段昇段。三段リーグは11期在籍したが99年に退会。その後はアマ棋界の活躍で三段編入試験に合格し三段リーグに復帰したがまたも挫折。しかし竜王戦・朝日杯・銀河戦などプロ公式戦で好成績をあげ、2014年にプロ編入試験の資格を得る。編入試験五番勝負は3-1の成績で合格し、15年4月1日付でプロ棋士に(桐谷広人七段門下)

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◆折田翔吾プロフィール
大阪市出身。29歳。2004年10月、6級で奨励会入会(森安正幸七段門下)。11年に三段昇段。16年3月、年齢制限のため奨励会を退会。17年に準アマ王将となり、銀河戦への出場権を得る。19年2月、第27期銀河戦で決勝トーナメント進出。同年8月、対プロの規定成績を満たし編入試験の資格を得る。YouTubeの「アゲアゲ将棋実況」チャンネルで将棋動画配信活動中


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