マナティ

仮想通貨の時代

第8回 2章:創世記(3)

『仮想通貨の時代』より「2章:創世記」の記事を連載掲載します。
WSJ記者らによるビットコインとブロックチェーン、仮想通貨に関わった人々へのインタビュー及び精密なレポートより「デジタル時代の新しいデジタル通貨」の正体に迫ります。

 当時53歳のハル・フィニーは、PGP社のトップディベロッパーだった。同社はフィル・ジマーマンという伝説的な仮想活動家が創業した会社で、皮肉っぽく名付けられたPretty Good Privacy softwareは、電子メールのための公開鍵暗号化システムを広めるのを助けたものだった。サイファーパンク運動の初期からの著名なメンバーであるフィニーは、色々な暗号の改革を自身でおこなった功績をもっており、その中には発信元を開示せずに電子メールを送ることができる匿名転送用プログラムも含まれる。2004年、フィニーは電子マネーのバージョンを公開した。フィニーのモデルはビットコイン同様デジタル通貨を作り、稼働に必要な処理能力を計算し、定量化するためのアルゴリズムを「プルーフ・オブ・ワーク(Proof of Work, PoW)」というコーディング機能(英国の暗号作成者アダム・バックによって1997年に導入)を使用している。(これはいくぶん複雑ではあるが、コンピュータのオーナーがいかに仮想通貨を「マイニング」してその作成に計算能力がビットコインの取引きの認証に費やされるか、すなわちプルーフ・オブ・ワークを理解するための重要な概念である。だが、今は基本的な概念のみを理解すれば十分である。すなわち、通貨を作成するという貴重な特権と引き換えに、コンピュータはタスク(この場合は難しい数式計算)を実行する必要がある。仮想通貨のブロックチェーンの成り立ちについては、第5章で詳しく取り上げる)

 仮想通貨のデジタル暗号とフィニーとの関係は、ビットコインの仮想通貨の中核をなしている。

 古代エジプトの時代から存在した暗号(cryptography)という名前がギリシア語の「隠れた:hidden」と「文書:writing」からきている※1様に、メッセージを秘密にしておくため言葉を符号化することにあった。以来暗号システムの大部分は、国家機密を保護して敵から物事を隠蔽する政府と軍隊によって用いられてきた。

 デジタル時代となりコンピュータが急激に発展を遂げ、暗号の主流になったとき、暗号をより複雑化するために精巧なアルゴリズムが開発され、その用途はより幅広くなり、個人、企業と政府情報を保護する方向に発展してきた。

 この時代には暗号作成の技術は多様化されて、標準化は困難になっていった。ある技術者は一般商業用に扱える方向で開発し、企業と政府が連携して進めることを自らの仕事とした。他に、暗号技術を自由と個人の権利のための争いに結びつけ、天職を見い出した技術者もいた。無政府主義でリバタリアンのサイファーパンクは、強力な暗号技術を広く利用することを推進する活動家集団で、その他の人々は社会的協調性を持っていた。しかし社会の変革に暗号で個人のプライバシーを強化し、生活のためのツールとしていた。暗号学者ハル・フィニーは仮想通貨の探索でこれを証明し、少なくとも我々が知るところではサトシ・ナカモトもそうしていた。

 こうして、フィニーはナカモトのシステムに興味をそそられた※2のである。ナカモトの電子メール・アドレスで、フィニーはメーリングリストのこの人物にメールを送った(ビットコイン創設者ナカモトは、公的に少なくとも3つの電子メール・アドレスを使い暗号化して使い分けていたため、ハッカーにも知られなかった)。2009年1月10日に、この2人は2週間のプロジェクトとして一緒に動き出した。

 ビットコインプロトコルを起動して実行し、電子メールで情報を共有した。創設者の指示により、フィニーはソフトをダウンロードしてウォレットを作り、50のビットコインのブロックをマイニングした。これにより彼がビットコインウォレットの第2 番目の所有者となり、ナカモトはテストとして10個のコインを彼のウォレットへ移して、フィニーはビットコインを受け取った最初の人となった。

 この2人の間の電子メールの交換を見ると※3、ビットコインの夜明けに向かって取り組む興味深い様子をうかがい知ることができる。それと同時に、彼らの事務的な対話には驚かされる。個人情報は一切交換されず、ナカモトの身元の手掛かりは何1つない。ただ金融システムの排除を志す2人の経験豊かなコーダー(暗号プログラマー)による事実のやり取りだけが記録されていた。

 フィニーはまず、ビットコインソフトのバージョン0.1.0のダウンロードから始めようとしたが、クラッシュしてしまった。ナカモトは今までそんなクラッシュする様な問題はなかったと驚いたが「バグを取り去った」と電子メールで返し、コーディングのアルゴリズムに戻って不完全なコード行を発見した。「コードの最後の部分だった」と彼は書き「あれだけのストレステストをやった後にこんなバグが出てくるなんて驚きだ」と付け加えた。

 彼らは引き続きバージョン0.1.2で進めたが、フィニーがナカモトのコンピュータからのメッセージを受けた後、また問題に遭遇した。プログラムのデバックがまた別の箇所のデバックを作り出すというソフトの問題点を見つけたのである。そのためバージョン0.1.2はクラッシュし、続くバージョン0.1.3もクラッシュした。ナカモトは慎重にコードに目を通し、問題となるエラー・メッセージを検出し初めからもう一度プログラムコードを書き換えた。

「0.1.3では解決した」と、ナカモトはクラッシュの後に書いてよこした。それから、面白いコメントを彼は残した。それはナカモトの見解では、興味深いことにどうも誰かが密かにこのソフトをダウンロードして、2人に連絡することなくビットコインをマイニングしようと企てていたことを示唆するコメントだった。「それほど多くの不可解なゾンビ・ノードが出てきていて、自分に届いたどのメッセージに対して返事をすればよいのか苦労していた」と語った。その後、またシステムは再びクラッシュした。

 フィニーは1~2週間ビットコインのマイニングに費やして、およそ1,000個のコインを得た。しかし、ソフトはMicrosoft Wordの様なプログラムとは違う。コンピュータが安定した強力なデータ処理ができるかを心配していたし、クラッシュするかもしれないという恐れもあった。その上冷却用の大きいファンも、極限まで稼働させられ、マシンがダウンするのではないかと次第に不安が募った。そして、彼はマイニングを止めてしまったのである。

 フィニーは、2013年3月に彼のコインがおよそ6万ドルの価値があったときマイニングを止めたという自身の判断を振り返り「今思えば、もっと長く続けていれば良かったのかもしれない。でも、私はその場に居合わせたことをとても運が良かったと考えている。これは見方の問題なんだ。うまくいけば、それらのコインが私の相続人に何らかの価値を与えられればと願っている」。※4フィニーの将来への財産は、最初にナカモトと連絡を取ってから10ヶ月後、重要な資産となった。フィニーはALSと診断されたのである。筋萎縮性側索硬化症またはルー・ゲーリック病と言われる難病を患い、我々が連絡をとったときは車椅子に固定されて、彼は完全に妻のフランと息子のジェイソンに日常生活の支援を受けて生活していた。そして2014年8月、彼は亡くなった。ビットコインの先駆者の1人が世を去ったのだ。彼の願望と「常に将来に対して楽観的だった」という妻フラン・フィニーの言葉にならって、フィニーのビットコインのプール金は、アリゾナの施設で彼の身体を極低温保存するための資金となっている。ALSが根絶されたあかつきには、彼が復活するかもしれないという望みを持って。

出典
※1 古代エジプトの時代から存在した暗号暗号(cryptography)という名前が: Alfred Menezes, Paul van Oorschot, and Scott Vanstone, Handbook of Applied Cryptography (CRC Press, 1996), http://cacr.uwaterloo.ca/hac/about/chap1.pdf
※2 こうして、フィニーはナカモトのシステムに興味をそそられた: Hal Finney, interviewed by Paul Vigna, March 18, 21, and 27, 2014.
※3 この2人の間の電子メールの交換を見ると: Hal Finney and Satoshi Nakamoto e-mails provided to the authors by Hal and Fran Finney,March 21, 2014.
※4 「今思えば、もっと長く続けていれば良かったのかもしれない: Hal Finney, “Bitcoin and Me (Hal Finney),” Bitcoin Forum, March 19,2013,https://bitcointalk.org/index.php?topic=155054.0

著者プロフィール

ポール ヴィニャ(著者)
ウォール・ストリート・ジャーナル(The Wall Street Journal、WSJ)のマーケット・リポーター。WSJのMoneyBeatブログに書き込み、MoneyBeatショーの司会をつとめ、“BitBeat”デイリー・コラムを更新する。ヴィニャはダウ・ジョーンズ経済通信(Newswires)のコラム「Market Talk」の執筆、編集もつとめる。妻と息子と一緒にニュージャージーに住んでいる。
マイケル J ケーシー(著者)
MIT Media Labのデジタル通貨イニシアティブのシニアアドバイザー。かつてはWSJで世界金融に関するコラムニストをつとめ、『Che's Afterlife: The Legacy of an Image』:“ミチコ・カクタニによる2009 年の本トップ10”選出、『The Unfair Trade: How Our Broken Global Financial System Destroys the Middle Class』の著作がある。妻と2人の娘と一緒にニューヨークに住んでいる。