第30話 既読スルー、上等!|MacFan

アラカルト FUTURE IN THE MAKING

第30話 既読スルー、上等!

文●林信行

ここ数年、よく「マネージャビリティ」というキーワードが頭をよぎる。今、目の前にあるテクノロジーは自己管理が可能か? ちゃんと手応えのある「手の延長」になっているのか、という問いが頭に浮かぶ。

残念ながら世のテクノロジーの大半は、手応えなく暴力的に力を増幅しているだけだ。

たとえば電子メールやメッセンジャだ。筆者は電子メールだけで1日4000通近く、メッセージも最近ではツイッター、フェイスブック、LINEで合計して100件以上は受信している。およそ「マネージャブル」ではない。

確かに電話の呼び鈴は、会議中であろうと睡眠中であろうと無遠慮に鳴り響き、そういう意味では「暴力的」かもしれない。しかし、その代わりに受話口から届く第一声は多くの場合「今、お電話よろしいでしょうか?」であり、人を気遣う文化はあった。

電子メールなどの電子メッセージは送信料もなければ、クリック1つで簡単に送れるからと、相手に思いを馳せるよりも前に、チャカチャカチャカチャカっと指を動かして、チョンとボタンを押せばすぐに送信完了だ。

ソーシャルメディア全盛の今なら、本当はメールを書く前にまずは相手のツイッターやフェイスブックを覗いて、相手が忙しそうにしているかどうかを確認し、想像してからメールを送るといったことも可能だが、ほとんどの人はそんな手間はかけない。(通知をオフにしていれば)音もならないから迷惑にもならないだろうと、メッセージを書いたら即送信するのが基本だ。

翌週のミーティング1つを設定するために4~5通のメール、十数回のメッセージのやりとりを交わす人もいる。丁寧でいいことに見えるが、丁寧なやりとりの原点は相手の気持ちをおもんぱかることだったはずだ。相手の状況を調べ、忙しそうなら早めに切り上げることこそが丁寧とも思う。

アナログの世界なら、目の前に紙の書類を山積みにして忙しそうに働いている人に対して、ゆっくりと回りくどい話し方をする人は少ないだろうが、メールでは相手の状況が見えない分、そうした配慮が欠けやすい。よくテクノロジーは可視化に優れているというが、これまで不可視だった情報を可視化している一方で、これまで見えていた情報の不可視化も多い。見えるのは自分の状況だけなので、1日に数通のメールのやりとりしかない人は、なかなか1日数千通のメールをやりとりする人が1通あたりのメールにどれだけの時間を割けるかまでは想像が働かない。

メールは、あまりにも簡単に送れるので「とりあえず仕事はしたので確認よろしく」とばかりに、やりとりには関係のない上司を巻き添えCCに入れる部下たちも増えた。上司の立場で考えれば、毎日、部下から送られてくる大量のCCメール全部に目を通していたら自分の仕事ができないので通せない。しかし、問題発生時に「CCに入れてあった」と責任だけ取らせられる。たまらない。

一方で「開封」通知があるために「既読スルーした」などといっていじめられている学生もいるという。かわいそうに。

こうした無思慮につくられたデジタルは人々を自由にし、幸福にするどころか、不自由を押しつけ不幸にしていることも多い。

膨大なCCメールと、膨大な丁寧すぎる「電子やりとり」と、膨大な既読メッセージが、人類から「もっと素敵なことをするために使えたはずの時間」をどれだけたくさん奪っていることか…。

こんな時代、我々は暴力的テクノロジーに反旗をひるがえす必要がある。

「既読スルー、上等」で、メールもLINEも気が向いたもの以外には返事すらしない。拒否反応を態度で示して「あの人はそういう人」というイメージを周囲の人たちにも定着させ、その人たちも同様に染めていく。

本当に大事な用事があって切羽詰まっているのなら「今、お電話よろしいでしょうか?」といって電話料金を払って電話をかけてくればいい。それだけの労力や料金を惜しむような相手からは情報提供も相談も不要、という態度を示さないと、テクノロジーで変に力をつけた人たちの暴力は止まらない。

と同時に、これからの時代、生活に関わるテクノロジーを作る人は、それが万人に定着したらどんな世の中になり、どんな手間が増えるのか、ちゃんとその技術が使われている風景まで頭に描いて作らなければならない。

これは何もコミュニケーション技術だけの話ではない。



 

Nobuyuki Hayashi

aka Nobi/IT、モバイル、デザイン、アートなど幅広くカバーするフリージャーナリスト&コンサルタント。語学好き。最新の技術が我々の生活や仕事、社会をどう変えつつあるのかについて取材、執筆、講演している。主な著書に『iPhoneショック』『iPadショック』ほか多数。