マラソン大会の安全を陰で支えるモバイル救護隊|MacFan

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マラソン大会の安全を陰で支えるモバイル救護隊

文●木村菱治

大規模なマラソン大会では1万人以上のランナーが参加し、約40キロメートルもの長い距離を走る。そこで行われる救護活動には、正確で迅速な情報伝達が何よりも重要だ。一般社団法人ABCRescueは、iPhoneを駆使することで質の高い救護活動を提供している。

AEDモバイル隊が命を救う


2013年11月に開催され、約1万6000人が参加した「第2回富士山マラソン」。全国から集まったランナーが走るコースの脇には、大きな赤いバッグを背負い、自転車にまたがった2人組が待機していた。彼らは一般社団法人ABCレスキューの「AEDモバイル隊」。走行中に体調を崩したり、怪我をしたランナーのもとに素早く駆けつけて救護活動を行うボランティアスタッフである。ABCレスキューは、看護師や救急救命士を目指す学生を中心とした約200名ほどの団体だ。応急手当活動の普及や指導員の育成のほか、各地のマラソン大会で救護活動を行っている。

救護活動を行うモバイル隊のバッグには、応急手当キットに加え、心肺蘇生処置のためのAED(自動体外式除細動器)が収められている。同団体の理事長を務める国士舘大学大学院体育学部スポーツ医科学科教授の櫻井勝氏は、モバイル隊について次のように語る。

「大規模なマラソン大会では、1万人に1人か2人の割合で、急に心停止を起こす人がいます。心停止から1分経過するごとに約10%ずつ救命のチャンスを失っていくといわれており、一刻も早くAEDを使った心肺蘇生を行う必要があります。AEDを持って、少しでも早く現場に駆けつける方法として考え出したのが、自転車に乗ったモバイル隊でした」

ABCレスキューでは、これまでに7度、AEDを使った心肺蘇生を経験し、救助された全員が社会復帰を果たしている。今回の富士山マラソンでは幸いにも心停止の事例はなかったが、モバイル隊と救護所を合わせて443件の救助対応が行われた。

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Mac Fan│February│190「トリアージ」とは本来、事故や災害などの緊急事態において、医師が負傷者の重症度によって優先順位を付けることを指す。RAS forFMGOのトリアージは、必ずしも優先順位を付けるものではないが、患者の容体を判断する目安として、重症度を3色で示している。
トリアージ山梨県で行われた「第2回富士山マラソン」では、コース全体で47のAEDモバイル隊を配置。ほかの団体や現地ボランティアも含め362名の救護スタッフが大会をサポートした。湖の周りを走る富士山マラソンでは、要救護者の搬送にボートが大活躍したという。

 

救護に欠かせないのはiPhone


モバイル隊にとって、もう1つの欠かせない装備がiPhoneだ。モバイル隊の持つiPhoneには、イエスウィキャン社が「ファイルメーカーGo(FileMakerGo)」をベースに開発した救護活動支援アプリ「RAS forFMGO」がインストールされている。隊員はこのアプリを使って傷病者の容体をチェックし、指示を仰ぐ。どのようなアプリなのか、実際の救護活動に沿って見てみよう。

まず、傷病者のもとに駆けつけたモバイル隊は、アプリのトップ画面にある[トリアージ開始]ボタンをタップする。ここでいう「トリアージ」は、容体判定といった意味だ。画面には「肩を叩いて声をかけて下さい」「反応はありますか」「呼吸はありますか」といった具体的な指示や質問が表示される。隊員は回答を順に進めていき、心肺蘇生が必要であれば、すぐにアプリからAEDの使用を促される。それと同時に救護本部へ電話が発信され、医師のサポートを受けることができる。ちなみにモバイル隊は2人1組で形成されており、1人が傷病者を介抱し、もう1人がiPhoneの操作を行う。役割分担ができているため、アプリの操作に気を取られて救護が疎かになることはない。

救護本部では、モバイル隊からの電話連絡よりも早く、手元のMacで情報を把握している。トリアージを開始した瞬間に、アプリが位置情報などをサーバに自動送信しているためだ。Mac上のマップには、モバイル隊がいる位置が表示され、そのあと、傷病者は重症度によって「赤」、「黄」、「緑」の3色で区分される。そして救護本部は、必要に応じて応援部隊の派遣や救急車の要請を行う。

現場のモバイル隊は引き続きゼッケン番号などの情報をアプリ内に入力。救護活動の詳細な情報はサーバに収集されていく。こうして集められた情報は、あとで活動の評価や分析を行うための貴重な資料となる。

使用するiPhoneはスタッフ個人が所有するものなので、導入コストを下げることができる。なおサーバーに蓄積されたデータは、大会終了とともに各iPhoneからのアクセスをブロックすることができるため、あとから個人情報を得ることはできない。個人情報の保護には細心の注意を払っている。

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マラソン大会では、怪我をしたり体調を崩した参加者が次々と救護所にやってくる。ここでの対応にもRAS for FMGOが使われている。

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モバイル救護隊が背負っているバッグは、ABCレスキューが特注で作ったものだ。AEDのほか、応急手当キットなどが収められており、必要な機材を素早く取り出せるようになっている。
 

救助する人も「1人にしない」


RAS for FMGOの大きな特徴は救助場所や発生時刻、トリアージ結果といった情報が自動的にサーバに送信されることだ。櫻井氏の教え子であり、同団体の幹事長を務める板垣毅氏は、この機能を次のように語る。

「緊急対応では、正確な情報伝達がとても重要です。モバイル隊、救護本部、大会本部ではそれぞれ重要視する情報が異なり、このミスマッチが大きなトラブルを生む原因となります。この問題を解決するために、情報の自動送信機能を備えたシステムを作りました」

救護活動時において、現場の隊員は自分が今、何をすべきなのか知りたい。一方、救護本部では発生地点を、大会本部では誰が倒れたのかを知りたいのである。こうしたミスマッチが自動送信システムによって解消され、実用性が大きく高まったという。

ABCレスキューには、「救助される人はもちろん、救助する人も1人にしない」というポリシーがある。モバイル隊が常に2人1組で行動しているのも、その理念のためだ。

「泡を吹いて倒れている人や血を流している人に突然遭遇した場合、医療のプロでさえ冷静に対処することは難しいです。そのような場面では、たとえ訓練を受けていても、本当にAEDを使ってよいのか、胸を強く押してよいのか、1人ではなかなか決断できません」(櫻井氏)

RAS for FMGOにも、このポリシーは反映されている。アプリによって急病人の容体が判断でき、医師と電話が通じ、位置情報に基づいてすぐに応援部隊が派遣される。救護者が孤立することはなく、勇気を持って心肺蘇生を行うことができる。

システムが大きな威力を発揮したケースがあった。あるマラソン大会で、2件同時に、しかも同じ橋の両端でそれぞれ心停止に陥るという事態が発生したのだ。「このとき、2人とも救うことができた大きな要因は、我々が正確な情報を伝達するシステムを持っていたことです。人間が言葉で伝えていたら、情報が錯綜して、適切な対処ができなかったかもしれません」と櫻井氏は振り返る。

データベースや個人情報保護、自動送信など、さまざまな要素を上手く組み合わせたこのシステム。マラソン救護に限らず、幅広い分野に応用できそうだ。
 







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「トリアージ」では、シンプルな質問に答えていくだけで、傷病者の状態が把握できる。アプリの操作は簡単なので、10分程度のレクチャーで誰でも使えるようになるという。

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RAS for FMGOアプリのトップ画面。[トリアージ開始]をタップして救護活動を開始すると、自動的に位置情報などがサーバーに送信され、救護本部に情報が伝わる。隊員は処置に集中できる。


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救護本部のファイルメーカープロの画面。モバイル隊がトリアージを開始すると、地図上にピンが現れる。右側のリスト下段には時系列順の傷病者リスト、上段にはトリアージによって重傷者、状態悪化が危惧されると判断された傷病者が表示される。データベース化することにより、情報の整理や分析が瞬時に行えるようになった。







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ABCレスキューの板垣毅幹事長(左)と櫻井勝理事長(右)。同団体は、板垣氏が大学在学中に応急手当普及活動を行うために設立したサークルが前身となっている。




『Mac Fan』2014年2月号掲載