iMacが創りiPadが拡張した「まなび」と「あそび」の境界線|MacFan

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iMacが創りiPadが拡張した「まなび」と「あそび」の境界線

文●山脇智志

マイコンをいじっていた少年は、年月を経て幼稚園の園長になった。キリスト教系幼稚園と知育アプリメーカーが進める幼児教育の新たな取り組みの現場には、新しい遊具の1つとしてのiPadで楽しく遊ぶ園児の姿があった。

 







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平成25年5月1日現在、園児総数199名が通う聖愛幼稚園。「子どもの『存在』そのものを100%肯定し、尊重する」を教育方針に掲げる。



武蔵野の地にあるその幼稚園を訪ねたのは、雨の降る肌寒い朝だった。駅から住宅地の中の道をほどなく進むとその幼稚園があることを示す看板があり、角を曲がると正面に十字架を抱く建物が見えた。私立聖愛幼稚園。その名のとおり、キリスト教系の幼児教育を行う幼稚園である。近づくほどに聞こえる子どもたちの歌声に穏やかな気持ちになった。それは聖歌ではなく童謡の類いのものだったが、子どもたちの歌声は天使の声だ。

そんなことを思いながら玄関に足を踏み入れると、そこには思いがけない光景が広がっていた。玄関先の広いスペースで園児が輪を作り、1人の子がiPadで「プレイ」するのを取り囲みながらiPadから流れる歌を皆で口ずさんでいたのだ。そして、その傍らには柔和な顔をした男性がその様子を眺めていた。その人物こそが、今回私を招き入れ、園児たちに「新しい遊具」を与えた張本人、聖愛幼稚園の園長・野口哲也氏だった。

 

マイコン少年が園長になるまで



東京都福生市にある私立聖愛幼稚園は、iPadを幼児教育に取り入れている。国内ではほとんど類を見ない先端的な事例だ。キリスト教系幼稚園とiPad。アンマッチングに見受けられるかもしれないこの取り組みの最大の特徴は、野口園長自身の歴史に拠るところが大きい。野口園長は、幼児教育とITにおける「特異点」ともいえる存在なのだ。

聖愛幼稚園は元々この地で農家を営んでいた野口園長の祖父母が1964年に設立した。野口園長で3代目。実家が幼稚園を経営していたため、野口園長は大学卒業後にそのまま聖愛幼稚園へと就職した。しかし教育免許を持っていたわけではないので「事務のお兄さん」としてスタートしたキャリアには当初さまざまな葛藤があったそうだ。

「自問自答しましたよ。『なんで俺はここにいるんだ?』と。稼業を継ぎたいと思っていたので早いほうがいいと思ったのですが、いざ入ってみると自分の存在
価値というものを考えさせられました」

だがある日、元「マイコン少年」だった野口園長は思いつく。園内の事務作業の非効率性さを自分の好きなコンピュータを使うことで解決できるのではないかと。そして「園だより」の作成をDTPで行うなど時代の趨勢に合わせたテクノロジーのチカラを借りながら自分の存在意義を高め、園の発展に貢献してきたのである。

 

昔はMac、そして今はiPad



実は聖愛幼稚園において「デジタル教育」を担ったのはiPadが初めてではない。その前にはiMacが導入されていたし、さかのぼればMacintosh「パフォーマ(Performa)」があった。

「当時のMacには、『キッドピクス(KidPix)』など子ども向けの良質なソフトがあったんです。Macの純正マウスはワンボタンでしたから右クリックができない子どもでも簡単に使うことができました。パフォーマは2台購入して誰でも使えるように玄関の横に設置しました。『じゆうにどうぞ』と書いて」

好奇心旺盛な子どもたちはMacを触り、わからないところは野口園長に聞いてきたという。ユーザインターフェイスがシンプルで使い易いことがデジタル教育では重要なことを体験として野口園長は理解していた。また、MacからiPadへと変更した理由を尋ねると、「昔からMacで使っていた子どもたちの『ソフト』が最新のOSに対応しなくなったから」という。最新OSに対応するソフトは他にあったが、それらに野口園長は納得しなかった。単にテクノロジーとしてコンピュータを導入することが目的ではなく、幼児教育の現場にテクノロジーが介在するならば、何が子どもたちにもっとも相応しいかを真摯に考えていることがわかる。

「iPadは初代モデルから利用していたので、使いやすさの面で迷いはなかった」と野口園長。自身のiPadを園児に触らせて、少しずつ反応を見ていった。そして導入の決め手となったのが、園長自らがダウンロードしてその有効性を確信した、スマートエデュケーションの知育アプリだった。
 







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園内に入ってすぐの一角にiPadが1台置かれ、子どもたちが集まる。このiPadは主に年少・年中の園児向け。iPadにはアクセスガイドがかけられており、1つのアプリしか起動しない。違うアプリに切り替えたいときは園児が職員室まで行き、先生に変更してもらう。



 

アプリに感じた「こだわり」



「幼児用のアプリなのに、ものすごい作り込んであるんです。アプリから流れる楽器の音は実際に生音を録音したものを利用するなど、製品に対する『こだわり』や会社としての『気合い』を感じたんです」

主に教育・知育アプリの開発を手がけ、「世界中の子どもたちの生きる力を育てたい」を社訓に掲げるスマートエデュケーションは4台のiPadを聖愛幼稚園へ貸し出し、同社開発の7つのアプリの教育効果の実証研究を聖愛幼稚園と共同で行っている。

iPadを園児が利用できるのは、全園児が登園するまでの8時半から10時の間の自由時間。そこで何をするかは園児たちの自主性に任せられる。自由時間の間は、先生は一挙手一投足を仕切ることなく、特に指導を行ったりはしない。だが、それは決して「放任」を意味しない。iPad導入当初はケンカが起きたことがあったというが、園児たちは徐々に使い方のルールを自分たちで決め、協調性を身につけていくそうだ。

「幼稚園は教育施設なので指導要領があり、それに則って指導していく必要があります。ですが、その前に幼稚園という場所が楽しくなければ、何も始まりません。子どもたちが毎日楽しく通える環境を作るための1つの施策がiPadなのです。自由時間にiPadを使う子もいれば、積み木や折り紙、ジャングルジムで遊ぶ子もいます。iPadも子どもたちの可能性を広げるための1つの『遊具』です。iPadを入れたからといって『さぁ、デジタル教育をしよう!』ということでは決してありません」

また、スマートエデュケーションの井上篤氏は実証研究の狙いをこう語る。

「聖愛幼稚園での取り組みのような実証研究を現在は6つの幼稚園・保育園で行っています。我々のサービスは『親子で使ってもらう』ことがコンセプトです。こうした実証研究は、アプリを通したデジタル教育の有用性を保護者の方に知ってもらうタッチポイントであるのと同時に、遊びと学びの境界線が難しい園児教育において最適解を探すためでもあります。子どもたちの創造性を伸ばすことができるアプリを開発していきたいです」最後に、現場の先生や保護者の反応はどんなものだったのか聞くと、野口園長はこう答えてくれた。

「iPadの導入は、先生方にも保護者の方々にも理解してもらっています。僕は『機会』を作ってあげたいんです。iPadは園児や先生、そして保護者に、デジタルならではの世界と大きな可能性を見せてくれています」
 







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聖愛幼稚園の園長である野口哲也氏。「現時点では、まだ一遊具としての扱いですが、将来的にはスマートデバイスならではの機能を活用した保育の展開も視野に入れています」と語る。
 

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年長のクラスには1クラス各1台のiPadがあり、自由時間に使うことができる。iPadはサンワサプライ製のケースで保護されており、これまで園児が落として故障したことはないそうだ。
 








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iPadを取り合うことなく、自分の順番を待つ園児たち。2人で操作できるアプリは横に並んで一緒に楽しむ。先生と一緒に輪を作りながら、皆で楽しんでいる姿も印象的だった。







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「らくがキッズ」は、指先でカラフル&簡単にお絵描きできるアプリ。描いたものをプレイバックできたり、顔写真を撮影して世界中に作品を公開できる。
 

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もっとも園児に人気なのは、リズムゲームアプリの「おやこでリズムタッププラス」。人気の歌に合わせて、リズムよく画面をタップしたり、フリックしたりすることで楽器遊びが行える。
 




『Mac Fan』2014年1月号掲載