幼児教育のデジタル化 多忙すぎる業務の効率化|MacFan

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幼児教育のデジタル化 多忙すぎる業務の効率化

文●山脇智志

今回から2回に分けて、日米での幼児教育シーンにおけるデジタル化の実情を紹介する。
前半の今回は日本における事例を軸に、日本の幼稚園における有効性や課題を探っていく。

多忙な幼稚園の仕事効率化




「信学会の目指すところは『官を越えて教育を引っ張っていく』ということ。5年後には教科書もタブレットで提供されるようになるといわれている中で、我々は先にそれをやっておこうじゃないかということです」
学校法人信学会の小林経明理事は強く語る。現在進められているプロジェクト「NASE」の中間報告会での発言だ。
NASEとは「NAgano Super Education」の略称で、長野県佐久市にある佐久幼稚園において同園を運営する信学会と、筆者が代表を務めるキャスタリアが共同で実施しているデジタル教育プロジェクトだ。信学会は長野県を本拠とし、教職員が約800人、在籍幼児・生徒・学生1万6000人を抱える、大学を除く法人では日本最大規模の学校法人である。
NASEは信学会傘下の幼稚園から大学受験予備校までの全段階で、デジタルコンテンツおよびクラウドなどを利用したモバイルラーニング、タブレットラーニングの導入を行い、新時代の教育システムのデジタル化や学習効果の向上を目指している。
信学会は現在20の幼稚/保育園を運営し(2014年にはさらに1園増える予定)、幼児教育における改革は運営上の大きなテーマでもあった。現在、2012年4月から2013年3月までの1年間をかけて実証研究を行っている佐久幼稚園では職員の業務の効率化をモバイルによって実現しようとしており、それによってより幼児への時間を割けるようにすることも目的としている。
第一段階として約30名の教職員全員にiPodタッチ、iPadおよびiPhone端末を配布した。
 

幼児管理に特化した独自アプリ




NASEにおいて中核になるのは「ポチットログ(Pochit-log)」(通称ポチログ)と呼ばれるモバイル利用に最適化された情報管理システムだ。ポチログはこのプロジェクトのために独自開発されたWEBアプリであり、幼児の出欠および付帯する情報の一元管理が可能だ。
このWEBアプリにおいての最優先事項は、モバイル端末における使い易さだった。主なユーザである幼稚園の先生は、情報入力をPCで行うことがその作業内容からも非常に難しい。しかもデジタル機器に不慣れな人も多い。そのため、徹底的なUI/UX(ユーザインターフェイス/ユーザエクスペリエンス)デザインが行われた。
ポチログのデザインは元ヤフージャパンでモバイル向けサイトデザインなどを担当していた迫田大地氏に依頼された。迫田氏は現地に訪れて幼稚園の始業から終業まで先生たちの行動や作業を入念に見ることでポチログの画面や機能を設計した。迫田氏がデザインにあたってもっとも注力したのがモバイルにおける情報の入力方法と画面の親しみやすさだった。
「幼稚園の先生はとにかく時間の隙間なくやることが常にあるとは聞いていましたが、実際に拝見すると想像以上でした。その多忙さをデジタルによってどう削減できるのか。設計初期には、利用者が端末(iPodタッチ)の操作に慣れていない方ばかりだったので、ボタンなどの操作対象を極力少なくしました。また、主に女性が使うということ、子どもも目にするかもしれないというところから、積み木やラムネ菓子をイメージしたやさしい色調のデザインにしました。新しいデバイスに慣れていない方はわかりにくいUIを『怖い』と思う傾向にあります。色合いなどでそれを少しでも緩和できれば、と考えました」
また、ポチログはその課せられた使命上、「手で書くこと」と相対する。ある意味、ポチログにおける機能デザインは手で書く作業を規定することでもあった。
「『手で書くほうがどう考えてもやりやすい』という種類の作業はあって然るべきです。そうした作業も含めてポチログで代替していくというよりは、あくまで『では手書き以外のどの部分をポチログが担えば楽になるか』『手書きよりもデバイスを使ったほうが効率がいい部分はどこか』といったように、共存の形を模索するように心掛けました」(迫田氏)
最終的にポチログを含めNASE全体にこの思想は大きな影響を与えている。
ポチログの開発と同時に、プロジェクトを進めるにはもちろんいくつもの課題を解決しなければならなかった。
1つは環境の整備だ。佐久幼稚園には当初、30名の職員に対しコンピュータは3台しかなかった。これを改善するための方策が、モバイル利用環境の整備だった。佐久幼稚園は信学会内でも比較的大きい規模の幼稚園であり(全13クラス、幼児数350名程度)、校舎も2つに分かれていたりと敷地面積も大きい。そのすべてのエリアで通信ができるようにWi-Fi環境を整備し、そのうえで端末を配布した。
次は園スタッフに実際に使ってもらうこと。このためにはテクノロジーで解決できることは先の迫田氏によるデザインや機能面での改善を行い、開発を担当したキャスタリアのスタッフによるヒアリングやセミナーなどを行うことでの人的な解決が行われた。
そして最後は保護者への理解を求めることだ。そこでまずは保護者へ案内文で理解を求め、必要に応じて説明会などを開催した。
 

業務効率化の真の目的




小林理事は2012年4月に米国メイン州オーバーン市の幼稚園を視察した際に現地の職員とした会話が鮮烈に記憶に残っているという。同市は2年前から市内のすべての幼稚園で幼児一人ずつにiPadを配布してタブレットでの教育を行っている。
「この視察で私がもっとも感動したのは、先生方とのミーティングで『iPadを使う=すべてデジタル』ではないとの話を聞いたことでした。むしろ『教育は最終的には人間だ』と。デジタル技術は用いること自体が目的ではなく、その効率性により最終的に子どもにかける時間を増やすことができるということです。加えて幼少のころからデジタル機器に触れ合うことによって、子どもたちの抵抗を少なくし、将来それらを活用できる素地を養成することもできます」
佐久幼稚園は2012年10月からiPadを使った教育、そしてスクールバスの運行状況のロケーションサービスの実証を開始した。施行に当たってはオーバーンでのやり方を踏襲し、保護者への説明会を開くなど十分な準備を行った。
驚くべきは子どもたちの順応性だ。iPadを開いて数分後には完全に使い方を認識していた。使い方がわからない子へ、わかる子が教えている姿はまさにソーシャルラーニングの体現である。
長野の一つの幼稚園での取り組みは、単なる端末の導入だけに拠るものではない。デジタルやモバイルのもたらす真の恵みを追い求め、結果として先生も幼児も保護者にもその恩恵をもたらしてくれている。

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信学会の小林理事。信学会は長野県を本拠として幼稚園・保育園から中学・高校の中等教育、大学受験予備校、さらにはカルチャースクールや成人英会話教室など教育機関のほとんどをカバーする学校法人。岩手県石巻市での教育支援も活発に行っている。

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iPadを使った教育では有志の幼児21名を募集し、毎週月曜の午後に30分間の授業を行っている。現在は既存アプリを用いてのひらがなの書き方や、動物図鑑などを教材にしている。

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支給されたiPodタッチを先生は肌身離さず持ち歩き、幼児の状態を常に把握・管理できる。「もっとも大きな声は、幼児の状況が職員室まで行かなくても確認できるようになったというものです。ポチログを確認することで広い校舎を移動しなくてもよくなったのは内部でもかなりの評判です」(小林理事)。

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入念な現場でのリサーチをもとにデザインされたWEBアプリ「ポチットログ」。デジタルデバイスに慣れていない先生でも取っ付きやすいよう、一目でわかる操作方法やボタンのデザインなど、徹底的に考え抜かれたインターフェイスを完成させた。なお、同アプリはNASEプロジェクト専用に開発されたもので、将来的には外部への提供も検討している。


文:山脇智志
ニューヨークでの留学、就職、企業を経てスマートフォンを用いたモバイルラーニングサービスを提供するキャスタリア株式会社を設立。現在、代表取締役社長。近著に『ソーシャルラーニング入門』(日経BP社)。

『Mac Fan』2013年1月号掲載