ジョブズ本発売記念! Appleの時空漂流①|MacFan

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ジョブズ本発売記念! Appleの時空漂流①

文●編集部








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常識に"No"と言い続けた不世出の天才ジョブズと、時価総額"No.1"にまで登りつめたアップルの成功の本質的な理由を紐解いた『スティーブ・ジョブズとアップルのDNA ~Think different. なぜ彼らは成功したのか?』が発売中です。皆さん、お買い求めいただけましたか?


本書は大きく分けて「ジョブズのDNA」と「アップルのDNA」という2パート構成になっていますが、ところどころに「Appleの時空漂流~古今東西の格言に見るアップルの軌跡」という記事を掲載しています。エジソンやレオナルド・ダ・ビンチなどの格言から、ジョブズやアップルの本質を解き明かすものです。ここでは、本書には収録できなかった記事を特別に公開したいと思います。

Appleの時空漂流~古今東西の格言に見るアップルの軌跡



●A danger foreseen is half avoided. --Thomas Fuller
(予知できる危険は、半分避けられたも同然である。 --トーマス・フラー)

 トーマス・フラーは、17世紀初頭のイギリスの牧師で、いくつかの有名な格言を残している。中でも、特に知られている(そして、誰の言葉なのかを知る人が少ない)のは、「結婚前には両目を大きく見開き、結婚後には片目を閉じよ」というものだろう。
 おそらく彼の格言というのは、教会での説教などの際に、聖書のエピソードや自らの経験を基にして、処世の知恵をわかりやすく話したことをまとめたものだと思われる。しかし、スティーブ・ジョブズの前には、フラーの名言もほとんど意味を持たなかったようだ。

 元来ジョブズは、危険を顧みず、常に新しいことに挑戦することを好む人物である。そもそも1977年のアップル設立自体も、まだ海のものとも山のものともわからないパーソナルコンピュータに、自らの人生を賭けたようなものだった。
 というのも、幼い頃に養子に出されて育てられた彼には、自分のアイデンティティの欠如に悩み、まさに「何事か」を成し遂げて「何者か」であることを証明するために生きていたようなところがあった。実際のところ、それはアップルを設立したあとにも、そして'80年代になって実の親を捜し当ててからも続き、ジョブズにとっては自分探しの旅が、一種のライフワークと化していったのだ(ちなみに、彼の実の妹は、スーザン・サランドンとナタリー・ポートマン主演で映画化された「地上(ここ)より何処(どこ)かで」(原題"Anywhere But Here")の原作者でもある小説家のモナ・シンプソンである)。

 また、1983年には、当時のペプシコーラ社長だったジョン・スカリーを「一生砂糖水を売って過ごすつもりですか。それより僕と世界を変えてみませんか」という有名なセリフで口説き落とし、アップルの社長兼CEOに据えたが、これは経営の専門家ではなかった自分自身に足りない部分を補おうとする大胆極まりない決断といえた(その結果、2年後に2人は対立して、ジョブズのほうが同社を追われることになった)。
 さらに、そのスカリーに「復讐」するために高等教育向けのワークステーションを開発・販売するNeXTコンピュータ社を設立した際にも、確固たる事業計画なしに、彼自身が理想とするインターパーソナルコンピュータ(人と人とを結びつける、ネットワーク化された情報環境)の実現に邁進し…そして、失敗した。
 こうした長年の経験は、持ち前の強運でアップルに復帰したジョブズにそれなりの分別を与え、定評ある直感力に加えて深い洞察力を授けることになった。しかし、初代iMacで見せたレガシーI/Oポートの廃止(それまでの周辺機器との互換性を絶って、他メーカーが躊躇していたUSBなどの新世代の入出力バスを採用して成功)や、2000年に発表したPower Mac G4 Cube(コンパクトで静かな高性能マシンとして、画期的な電動ファンレスの立方体デザインで登場させたが、割高感があって失敗)などを見る限り、彼のチャレンジ精神は健在であったことがわかる。

 ところが、さすがのジョブズも、過去に1度だけ、もし危険を予知していたら踏み込まなかったに違いない事業があった。それは、CGアニメーションスタジオの「ピクサー(Pixar)」社である。
 今でこそピクサーは「トイストーリー」や「モンスターズ・インク」などの大ヒット作品で知られる優良企業だが、1986年の2月にジョブズが同社を買い取ったときには、元のオーナーのジョージ・ルーカスが彼自身の離婚に伴う財産分与のために、破格の1千万ドルで処分した、金食い虫の厄介な事業部だった。その後もジョブズは、年間1千万ドルずつの赤字を出し続ける同社に投資し続けたが、それはつぎ込んだ資金の元を取ろうとしてやけになった結果に過ぎない。
 結局、彼の粘りと頑固さが功を奏してピクサーは最終的に成功を収めたものの、フォーチュン誌のインタビューでは意外なほど率直に次のような心情を吐露した。「もし1986年の時点でピクサーを維持していくのにどれだけのコストがかかるかわかっていたら、あの会社を買収していたかどうかは疑問です」と。
 それでもジョブズは、iPodやiPhone、iPadを見てもわかるように、前人未踏の領域に果敢にアプローチし続けた。彼にとっては、リスクをとらないことこそが最大のリスクだったのである。