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羽生善治「永世七冠」への軌跡~将棋世界 最新2018年3月号(2/2発売)より

将棋世界2018年3月号(2/2発売)の巻頭特集は「祝 国民栄誉賞 羽生善治竜王」。国民栄誉賞受賞が決まった際の記者会見や、7つ目の永世称号獲得となった第30期竜王戦就位式の模様などをカラーページでお伝えします。本ページでは、ライター・鈴木宏彦氏による【羽生永世七冠「永世七冠」への軌跡】の一部をご紹介。永世称号、永世七冠とは何か? を丁寧に解説。そして、前人未到の偉業を、初めての永世称号獲得となった1995年の第20期棋王戦から振り返ります。

永世七冠って、ナニ?

 永世七冠とは何か。すでにご承知の方も多いだろうが、本題に入る前に改めて確認しておこう。

 将棋の永世称号は、現在進行形のものが8つ(名誉NHK杯選手権者を含む)。終了棋戦のものが2つある。現在の8タイトル戦のうち、永世称号があるものが7つ。そのすべてを獲得した初めての棋士になったのが羽生である。

 これまでの永世称号獲得者はわずかに10人。その内訳を見てみよう。

【永世竜王】
 獲得資格は連続5期または通算7期の竜王獲得。これまでの資格者は、渡辺明(2008年)と羽生善治(2017年)の2人。以下、かっこ内は資格獲得年。竜王戦の前身である十段戦と九段戦には、それぞれ永世十段と永世九段の称号がある。永世九段の獲得資格は、連続3期の九段獲得。資格保持者は塚田正夫(1954年)ただ1人。

【永世十段】
 獲得資格は、十段または九段獲得通算10期。資格保持者は、大山康晴(1988年)と中原誠(1982年)の2人。

【永世名人】
 獲得資格は通算5期の名人獲得。これまでの資格者は木村義雄(1949年)、大山康晴(1956年)、中原誠(1976年)、谷川浩司(1997年)、森内俊之(2007年)、羽生善治(2008年)の6人。

【永世王位】
 獲得資格は、連続5期または通算10期の王位獲得。これまでの資格者は、大山康晴、中原誠、羽生善治の3人。資格獲得はいずれも1997年。

【名誉王座】
 連続5期または通算10期の王座獲得。これまでの資格者は、中原誠と羽生善治竜王の2人。資格獲得はいずれも1996年。

【永世棋王】
 獲得資格は連続5期の棋王獲得。これまでの資格者は、羽生善治(1995年)と渡辺明(2017年)の2人。

【永世王将】
 獲得資格は、通算10期の王将獲得のみ。これまでの資格者は大山康晴(1973年)と羽生善治(2006年)の2人。

【永世棋聖】
 獲得資格は、通算5期の棋聖獲得。これまでの資格者は、大山康晴(1965年)、中原誠(1971年)、米長邦雄(1985年)、羽生善治(1995年)、佐藤康光(2006年)の5人。

 以上が現行7タイトル戦及び、終了2タイトル戦の永世資格者一覧である。これまでに永世称号を獲得したのは、木村、塚田、大山、中原、米長、羽生、谷川、佐藤、森内、渡辺の10人のみ。その中で羽生はただ1人、現行7棋戦の永世称号をすべて獲得したのだ。

 ちなみに、タイトル戦ではないが、NHK杯戦は、通算10回の優勝者に「名誉NHK杯選手権者」の称号を与えている。この称号を持っているのは羽生のみで、これを入れると羽生は永世八冠ということになる。

永世称号はいつ誕生した?

 それぞれの棋士の永世称号の資格獲得の年を見て、何か疑問を感じた方は鋭い。

 永世王位は、大山・中原・羽生の3人が同じ1997年に獲得している。名誉王座も、中原と羽生が同じ1996年に獲得している。考えてみるとおかしい。

 なぜ、こうなったのかといえば、名誉王座と永世王位の資格はそれぞれ1996年と1997年に新たに設定されたため、すでに獲得条件を満たしていた大山や中原がさかのぼって獲得したからなのだ。つまり、それ以前は永世王位や名誉王座の称号はなかったのである。

 ちなみに、大山の永世王将も1973年の獲得だが、通算10期の獲得資格を大山は1965年にすでに得ていた。

 これらのことから、早い段階(1949年~1965年)から永世称号を制定していたのは、名人戦、九段戦、棋聖戦の3つだということが分かる。

 名人戦は1935年の創立以来、毎日新聞社が主催していたが、1949年に朝日新聞社へ移った。それを機に当時の日本将棋連盟は、終身名人位制の復活を宣言したのだ。以下は、当時の朝日新聞の記事である。

 「第十三世名人関根金次郎氏以来、終身名人位制は廃止されていたが、日本将棋連盟では今後この制度を復活させることになった。すなわち名人戦において名人位を五期以上得た人が名人位を退いた場合は、連盟に審査会を設け、人格、識見、功労などを審査のうえ、終身名人位を贈ることとしたもの。したがって現名人木村義雄氏がもし名人位を退いた場合は、すでに同氏は名人位を六期得ているので、第十四世名人となるものと予想される」

 これが、将棋界と囲碁界を通じ、すべての永世称号の始まりである。その意図は、名人戦の権威を高めると同時に、一時代を築いた木村の今後の処遇を配慮したものに違いない。

 木村は戦前戦後を通じ、20年近く無敵の王者として将棋界に君臨した。もっと早く名人戦ができていれば、ずっと多くの名人位を獲得していただろう。その功績を評価して永世称号が創られたのだ。

 九段戦、および王将戦の創設経緯は複雑で、簡単には説明できないが、どちらも名人戦を強く意識して創られたことは間違いない。

 当初の王将戦には、三番手直りの指し込み制があり、実際に升田幸三が木村義雄、大山康晴という時の名人を「半香」に指し込んだのは有名だ。升田の対局拒否で知られる「陣屋事件」は、将棋ファンならどなたもご存知だろう。

 九段戦も、3連覇した塚田正夫が初の永世九段となったのが1954年だが、このとき名人の大山康晴はまだ九段ではなかった。大山は著書の中でこう書いている。

「(1958年)四月十七日、『名人三期以上在位した者、在位二期でも順位戦の成績抜群の者』という規約により、塚田さんに次いで二人目の永世九段の資格を得た。升田さんも該当者であったが、当時は名人在位者であり、この日は私だけが永世九段を許されたのであった」

 つまり、当時は九段戦で3連覇するか、名人を3期以上取らなければ(在位2期でも順位戦の成績抜群の者という規定は升田のために作られた特例だ)、段位としての九段は名乗れなかったのだ。

 なお、大山は名人3期以上の規定で九段になったため、九段戦3期優勝による永世九段資格者は塚田のみと、現在では規定されている。

 九段戦に続いて永世資格を創ったのは棋聖戦である。1962年に創設された棋聖戦は、タイトル戦としては初の1日制、初の五番勝負、初の年2期開催、そして通算5期で「永世棋聖」獲得というスピード感を売り物にした。つまり最短2年半で永世称号を獲得できるのである。

 当時の産経新聞社、水野成夫社長は大の升田びいきで、病気がちの升田にタイトルを取らせるため、こうした規定を創ったといわれている。だが皮肉にも、棋聖戦は大山が第1期から7連覇して、あっさり永世資格を得た。升田は一度もそのタイトルを取ることなく終わる。

初代永世棋王

 羽生が初めて永世資格を獲得したのは1995年3月10日、第20期棋王戦第3局の森下卓八段戦である。

 第1図は、先手が8六の銀を7七に引いたところ。控室では「形勢難解」と見られていたが、ここから羽生の妙手順が出る。

【第1図は▲7七銀まで】

 第1図以下の指し手
△5四角▲7六歩△3六角▲同 馬
△1九竜▲7八飛△8六香

 まず△5四角が好手。次に△8七角成が厳しいので、先手は▲7六歩と受けるが、そこでそっぽの銀を取り払い、先手で香を取るのが絶妙の手順なのだ。相手の森下は、「角を打たれても、まだ何をやられるのか分からなかった」と言っている。それだけ気づきにくい順だが、△8六香からは明快な寄り筋だ。このあと、羽生は棋王の連覇を12にまで伸ばす。旅の途中での永世称号獲得であった。


この記事の全文は将棋世界2018年3月号でご覧いただけます。


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