米長先生の思い出 (小川の書籍レポート 第2回)|将棋情報局

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米長先生の思い出 (小川の書籍レポート 第2回)

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 米長先生が亡くなられた。
 米長先生は私にとって、あこがれであり、最強の棋士であり、人生の師だった。心の底から「先生」と呼ぶにふさわしい人だった。
 中学のころから私は大の米長ファン。中原名人にタイトル戦でやられるたびに歯がゆい思いをしたものだ。しかし、「矢倉は将棋の純文学」と称し、負けてもなお矢倉で挑む真摯な姿勢にあこがれた。


 週刊将棋に入って、最初のタイトル戦取材が米長棋王と森安八段の棋王戦。だるま流と泥沼流の長手数の激闘は泥沼流に軍配が上がった。それから編集部にいた10年間、先生が念願の名人位を手にした年まで、数え切れないほどの対局を取材させていただいた。コメントの一つ一つがウィットに富み、カメラを構えたときの仕草一つ一つが絵になっていたので、こちらもやる気をかき立てられた。


 引退後もあれこれ仕事をご一緒させていただいた。1980年に平凡社から出た「米長の将棋」は私の中でもバイブルで、文庫化は長年温めていた企画だった。先生は快諾してくれ、「よし、解説はこの6人にしよう」と羽生、森内、森下、丸山、谷川、佐藤康の名を挙げてくれた。


 会長になられた翌年の正月、私は週刊将棋編集長として新春インタビューをさせていただいた。そのときの言葉は今でもよく覚えている。
「経営は風を読まなければいけません。風はアゲインストでもフォローでも船は進みますが、無風は困ります。将棋に関心を持っている人が少ない、新聞に将棋欄がなくなって、週刊将棋もなくなっちゃう。そういうのは絶対に困るのです」
 この方針のもと将棋界にはさまざまな改革が打ち立てられた。風はずっと吹き続けた。将棋を指す子供が増え、将棋を観戦するファンが増えた。また名人戦問題、女流独立問題では周囲を驚かせる名解決を編み出し、そのつど感心させられた。将棋世界をマイナビに委託する話も最初は「どうせ、冗談だろう」と思っていたが、本当に実現した。我々を信頼してくれたことに感謝し、休むことなく新しい企画を打ち立てている。


 もう一つ感心させられたのが新しいものへの対応である。ブログ、ツイッター、ネット対局、電子出版、携帯中継、将棋文化検定。いいと思うことはすさまじい行動力で推進した。思えばこれは現役時代、自宅を米長道場として開放し、若手に将棋を教わったときから変わらぬ信念だったのだろう。


 最後に取材して一番心に残っている将棋を記しておきたい。当時三冠王の米長棋聖に名人を初防衛した直後の谷川名人が挑戦した棋聖戦第1局である。米長先生は相矢倉から手損を省みない指し回しを見せ、谷川名人に端を攻めさせた。強引とも思える引っ張り込む受けで囲いは崩壊したが、奪った桂を8六に打つや否や瞬く間に金銀四枚の谷川玉を寄せ切った。

打ち上げには内藤先生や芹沢先生も参加されていた。米長先生のさわやかな笑顔が今でも目に焼き付いている。
 心からのご冥福をお祈り申し上げます。
(株式会社マイナビ 小川明久) 

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