雨宮編集長のコゴト@丸田祐三九段|将棋情報局

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雨宮編集長のコゴト@丸田祐三九段

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訃報が続く。
河口俊彦八段に続いて、丸田祐三九段が死去した。95歳の大往生だった。
引退してから20年近くになるので、若いファンにはなじみが薄いかもしれない。将棋界の昭和史を語るときには、はずせない重要人物なのだ。

棋歴は平坦ではなかった。奨励会員のときに招集されて軍隊へ。衛生兵部隊だったので、戦闘に参加したことはなかったらしいが、ほぼ6年間アジア各地にいて、一度も帰国できなかった。
終戦後はいきなり第1期順位戦に参加し、あっという間に八段へ。復興期の混乱を象徴するような昇進だが、肩書き負けすることはなかった。A級通算24年。名人挑戦も果たした。6年の空白があった上でのことと思えば、その地力は並みではなかったということだ。異名の「小太刀の名手」、ひねり飛車の「丸田流9七角」は歴史に残った。
なんといっても「77歳現役」という最高齢記録がすさまじい。60歳でB級1組、70歳でB級2組。72歳のC級1組では5勝5敗だった。

本領は将棋連盟の運営だった。戦後すぐに理事となり、会長、副会長を歴任。大山康晴十五世名人との名コンビで尽力した。
1952年の「陣屋事件」では理事、副立会人として現場で収拾に当たった。

「将棋世界」の2005年8月号から3号続けてロングインタビューが掲載されている。当時、昭和棋界の秘史を知る丸田九段に語ってもらわなければ、という空気があったことを覚えている。木屋太二さんによるインタビュー記事は読み応えがあった。当然、「陣屋事件」にも話が及んでいる。
今回、あらためて読んでみた。「すべて」を語ったのかどうかは、もう分からない。記憶違いがあるかもしれない。それでも、語ってもらうことに意味があった数少ない棋士だと思う。

ご冥福をお祈りします。
 
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