雨宮編集長のコゴト@生麦事件|将棋情報局

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雨宮編集長のコゴト@生麦事件

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 吉村昭の『生麦事件』という歴史小説を文庫で読みました。幕末に起こったイギリス人殺傷事件を発端に、当事者である薩摩藩や長州藩、徳川幕府の動きを追ったものです。当時の外交交渉などが生々しく描かれ、たいへんおもしろい小説でした。

 吉村昭の作品は好きなので、ずいぶん読みました。『生麦事件』と同じ時代を書いたものも多くあります。自身の歴史観を長々と述べたりせず、事実を淡々と積み上げていく手法に迫力を感じます。

 幕末から明治維新にかけては、とても短い期間なのです。いろいろな取り方があるようですが、例えば1853年の黒船来航から1868年の明治元年までとして、わずか15年です。その間にどれだけ濃密な変化があったかは、多くの研究や、その時代を題材にした小説や映画などで描かれています。

 ところで、この時代に将棋はどんな状況だったのでしょう。残念ながら、この時期の将棋に関わる話は聞いたことがありませんし、文献を見たこともありません。

 おそらく娯楽としての将棋は指されていたでしょうが、家元は悲惨な状況だったろうと思います。最大の庇護者である徳川幕府が存亡の淵にたっていたわけですから、お気楽な生活をしていたわけがありません。家元制度は崩壊しました。多くの人々と同様に、時代のうねりの中で翻弄され、日々の糧を求めたのだと思います。

 地方でも藩主一族や高級官僚、大商人など富裕層のお相手をする「上手」はいたでしょうし、ひょっとしたら「将棋指南」などと看板を掲げて道場を開いている人がいたかもしれません。そういう人たちも「将棋どころではない」の一言で、消えていったのでしょう。

 ところが、1879年の明治12年、八代目伊藤宗印が十一世名人に襲位しました。前々年には西南戦争があり、前年には緋村剣心が志々雄真実と戦い(あ、これはフィクション)、まだまだ荒々しさが残っている時期なのです。名人襲位といっても華々しいものではなかったでしょうが、将棋そのものが持つ生命力を感じます。関根金次郎、阪田三吉というスターが活躍するまでにはまだまだ年月を要しますが、その土台となった名も無き将棋指しは、どんな人たちだったのでしょうか。

だれか小説にしてくれないかな。
 
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