雨宮編集長のコゴト@天野三段|将棋情報局

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 2000年10月23日は、レディースオープン・トーナメントの決勝三番勝負第2局の対局日だった。還暦の関根紀代子が清水市代と戦う決勝として注目されていた。第1局は清水が勝っていた。

 この日の朝には驚きがあった。清水が右腕を包帯で巻き、三角巾でつって現れたからだ。大事な利き腕の負傷について、清水は多くを語らなかった。
 もうひとつ、記事にならないトラブルがあった。記録係の奨励会員が遅刻したのである。代役を別の奨励会員が務め、対局は滞りなく始まった。
 遅刻した記録係は、詰襟の制服を着た中学生だった。途中で代役と交代し、終局まで無難に務めた。くりっとした目の強さが印象的な少年だった。

 対局は清水が勝ち、優勝が決まった。ささやかな打ち上げの席で関係者が両対局者をねぎらい、さまざまな話題で座はにぎやかだった。そんな宴席の中で、記録係の少年は部屋の隅で正座のまま、食べ物にも飲み物にも手をつけようとしなかった。朝の失態を恥じて頑なな少年を、みんなでなだめすかして、ようやく箸を手にさせた。
 これが天野貴元初段の顔と名前が一致した日だった。

 それから2年後。週刊将棋では「平成のチャイルドブランドが来る」と題した特集を組んだ。10代半ばの少年が大挙して二段、三段に上がってきた現象を、羽生世代の「チャイルドブランド」にちなんで名づけたものだ。
 そのときの新三段に、広瀬章人、佐藤天彦、中村亮介とともに天野貴元の名前があった。追う二段陣には戸辺誠、高崎一生、金井恒太、長岡裕也、村田顕弘の名がある。
 彼は特集用のアンケートに、「みんなライバル」「3期以内に卒業」と答えていた。

 平成のチャイルドブランドは、特集で持ち上げたほどには勝てなかった。それでも1人、また1人と四段になり、さらにあとから上がってきた糸谷哲郎、中村太地、豊島将之らが駆け上がっていった。
 天野貴元は三段リーグを19期戦い、退会した。彼の奨励会同期入会者は、1人も四段になれなかった。

 彼は名記録係でもあった。これは奨励会時代が長いということでもあり、本人にとってはうれしくない呼ばれ方だろう。
 そんな本人の気持ちとは別に、取材するときでも、運営側にいるときでも、記録係がしっかりしているのはとても安心感がある。
 彼には何度も助けられた。感想戦を聞いていて良くわからなかったところを、ていねいに解説してくれた。終局に間に合わなかったときには、初手から並べて教えてくれた。彼の同期入会には、そんな名記録係がほかにも何人かいた。

 奨励会退会後は、接する機会があまりなかった。だから自分のなかでは、彼は「天野三段」のままだった。くりっとした目の力は、最後まで変わらなかっただろうか。

ご冥福をお祈りします。
文中、敬称の省略をご容赦ください。
 
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