河口先生の思い出|将棋情報局

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河口先生の思い出

お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中 私が初めて河口先生にお会いしたのは約3年前。書籍の打ち合わせのときです。
 
といっても打ち合わせは早々に済ませ、中華街の先生いきつけのお店で雑談と相成りました。天才と呼ばれた過去のプロ棋士たちがいかにすごかったか、というお話だったと記憶しています。
 
それから私は「最後の握手」「羽生世代の衝撃」と2冊、先生とお仕事させていただきました。両方とも過去に先生が執筆されたものをまとめた書籍ですが、どれを収録するか、先生と一緒に検討したのは、何物にも代え難い時間でしたし、純粋にとても楽しかったです。
 
私の知る限り、先生はいつも元気でした。
いろいろな話題を次々に、しかもはっきりとしゃべっておられました。
最近の若手棋士はだらしないという話をするときは特に生き生きしていたように思います。私は苦笑しながら聞いていました。
 
先生は1月30日に亡くなられましたが、私は1月20日に先生と会っていました。
次回書籍の打ち合わせのためです。
 
「羽生世代の衝撃」が大変好評でしたので、あれの続編をやろうよ、と先生も乗り気でした。「新・対局日誌」から羽生先生が七冠を取る直前から、渡辺先生のデビューまでの記事を本にするという企画。「あとがきで渡辺について書き足したいことがあるんだよ」と先生はおっしゃっていました。
書籍のタイトルは「羽生と渡辺 -新・対局日誌傑作選-」と決まっていました。
 
その時も例によって打ち合わせは短く、「寿司でも摘まもう」と軽いノリで、お寿司をご馳走していただきました。ありがとうございました。おいしかったです。
 
「ゲラできたら連絡してよ」と、いつものように別れたのが最後になりました。
 
今回のことはあまりにも突然すぎて信じられない気持ちもあります。電話を掛ければ「あぁ、あれさー」と気軽に書籍の打ち合わせができるような気さえします。残念です。
先生、お疲れ様でした。ありがとうございました。
 
 
・・・私が先生の文章の中で特に好きなところを一つ。
先生の文章はドラマチックな場面をドラマチックに書くぞ、と見せかけてあっさり終わらせてしまうようなイメージ。だから次から次に読みたくなるのだと思います。
 
 私が紹介したいのは「新・対局日誌」第1回目の出だしの文章です。
 
 
少し長いですが、引用します。
 
 十月のある夜、私は順位戦を戦っていて秒読みに追われていた。といっても頭に血が上っていたわけではない。負けとあきらめているので、妙に醒めていた。
 深夜、午前零時を過ぎると、大広間のあちこちで戦いが終り、感想戦が聞えてくる。「ひどいことをやった」「バカだなあ」「こう指せばボクが勝っていただろう」などなど、終ったときの第一声はだいたい同じようなものだ。
 ボヤキ声が前後左右から聞え、だいぶさわがしくなった。いつものことなので気にならなかったが、向うの部屋の丸山五段の笑い声が耳についた。悔んだり嘆いたり、自慢したり、の声のなかでの笑いに、ある種の違和感のようなものが感じられたのである。
 そのうち、思いもかけぬ「静かにして下さい。ここはまだ終ってませんから」の一声が出て、あたりは静まった。しかし丸山の笑い声は変らなかった。
 私は丸山が笑っていることをとやかく言っているのではない。彼のマナーがわるいわけでもない。盤をはなれれば、だいたい笑い顔で、話しかけられれば、あいづちがわりにちいさく声を立てて笑うが、そんな日常の姿とまったく変らない。
 丸山に負かされた西村八段が「受けがしっかりしているね」と言えば「ハァ、ハッハッハ」「二十四連勝もしたんだからね、強いはずだよ」には、やはり「ハァ」と幼児のごとく無邪気である。それが対局中の私に、不協和音のように聞えたのはどうしてだろう。なんとなく、丸山の勝ちまくっている理由の一つが判ったような気もした。
 かつて、内藤王位対高橋五段、中原王将対中村六段、中原棋聖対屋敷四段、等々で若者が勝ち、ファンを驚かした。私等も上位者達の負けっぷりに首をかしげた。どこかおかしいのである。
 もちろん理屈を言えば、盤上で悪手を指したからに決っている。だが、どうして誤ったか、指し手の流れからは理解できない。なにか上位者に苛立ちのようなものが感じられ、それがミスの原因のような気もするが、対局者が言わぬかぎり、勝手な憶測にすぎない。
 たとえば、若者達に気に食わぬ所作があり、それを先輩が口に出して怒れるのなら、かえってさっぱりする。ところが将棋の強い若者は、常に優等生である。なにか気に障ることがあったとしても、非難したり怒ったりすることができない。かくかくしかじかの事があったと他人に打ち明ければ、かえって馬鹿にされるだろう。私が、丸山君の笑い声で頭がおかしくなった、などとぐちってもはじまらない。こちらが笑い者になるだけだ。
 そうして、ベテラン達の怒りは内にこもり、自分から負けてしまう。今の、谷川と羽生の対決にも、そんな気配が感じられないだろうか。
 どうも書いていてすっきりしない。事柄はあまりに微妙にして曖昧である。しかし、その訳の判らない所に、将棋界の味がある。
 順位戦の首のかかった大一番で、必敗も必敗、大必敗の将棋を拾ったある男が、平静をよそおって感想戦をやっていたが、ついにこらえきれず、手洗いに駆け込んでクスクス笑った、という話がある。クライなあ、正直に笑う丸山の方が、よほど好感が持てるが、なんであれ、喜怒哀楽をおもてに出さぬのがこの世界のエチケットとされている。
 ここで思い出したが、大山名人も勝った後、めったに笑わなかった。きっと帰りの車の中で、ニヤリとしていたのだろう。
 なにはともあれ、対局室には感動的な出来事や、肚をかかえて笑ってしまうような話もある。そちらに目を向けて、雰囲気をお伝えしたいと思っている。
 
 
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右にも左にも行きつかないような文章を続け、ついに「どうも書いていてすっきりしない。事柄はあまりに微妙にして曖昧である」と自白、しかしそこで開き直って「しかし、その訳の判らない所に、将棋界の味がある」で収めてしまう辺り、かっこ良すぎます。
 
先生はこの文章を読んで「だらだらと長いんだよなー」とおっしゃっていましたが、「いや、これは是非入れましょう」と私が言うと「そう?」。
 
新・対局日誌傑作選の出だしは、これで決まりでしょう。

書籍編集部 島田修二
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