村山聖君がいた街 森信雄七段|将棋情報局

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村山聖君がいた街 森信雄七段

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『聖の青春』 (大崎善生著) 映画化記念企画 「村山聖九段の追憶」より
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村山聖君がいた街
あの日あのとき――思い出の福島区・北区界隈を歩く

【インタビュー】森信雄七段
【構成・写真】田名後健吾(将棋世界)
1982年(昭和57年)の秋、プロ棋士を目指して故郷の広島から初めて大阪へ出てきた村山聖は、将棋人生の大半を、福島区・北区で過ごした。
最初に森信雄師匠と1年にわたる共同生活を送った「市山ハイツ」。空腹を満たすため、毎日のように足を運んだ「更科食堂」、膨大な量の本に囲まれて晩年まで独りで住み続けた「前田アパート」。将棋会館からアパートまで、わずか500メートルの距離をとぼとぼと時間をかけて歩いた道。あの日、あのとき、村山はどんな風景を見ていたのだろうか。
昨秋、森信雄七段とともに思い出の地を歩いた。



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更科食堂
『聖の青春』で一躍有名になったのが、大阪環状線福島駅のガード下にいまもある「更科食堂」である。村山がこよなく愛した食堂で、亡くなって17年たつ現在も全国から多くのファンが立ち寄っている。店主と女将さんも話に加わってもらい、思い出を語っていただいた。

「どうもしばらくです。村山君はここの焼き魚定食が好きで、特にサバが好きでした。だから今日はサバ定食をお願いします。村山君は魚の食べ方がびっくりするほどじょうずで、いつもきれいに骨だけ残すんです。僕はいまでも真似できないんだけど(笑)」
女将「村山さんが初めて来たときは、森先生と一緒でしたかねえ?」
森「そうですね。村山君が奨励会に入る1年前です。僕のアパート(市山ハイツ)で共同生活をしていた頃は、毎日のように一緒に通いました」
女将「うちはあまり子どもさんが来られないので、よく覚えています。先生が村山さんに『薬飲んだか? あれ飲みや』と仰っているのをよく見ました」
店主「いや、その前に一度、お父さんと二人で来はったことがあるよ」
女将「あらそうだった? 誰か他人と間違えてない?」
店主「4番席(入り口側)に座って食べてくれた。絶対ここやった」
「それは知らんかったね。だとすると中学に入る前後かなあ」
店主「まだ小さかったです。お父さんが聖さんに『将棋上達したら、お父さんに教えて』って言っていたのが、いちばんの思い出です」
 
「このお店は何年くらい続いていますか? 当時は新しかったと思います」
店主「40年です。村山さんが初めて来た頃は10年目くらいだったかなあ」
女将「うちは、最初は将棋会館に奨励会のお弁当を持って行っていたんです」
「ああ、そうそう、思い出しました。昔は昼飯をほとんど更科に頼んでいたんですよ。当時の奨励会は平日で、僕は幹事をやっていたんです」
女将「村山さんは何でも食べていましたけど、お一人でいらっしゃるときはニラもやし定食もよく注文していましたよ」
「病院の食事は味がしないから、いろんなものを食べたかったんやろね」
女将「でも、必ず『薄味にしてちょうだい』って。薄味にしてお出ししてもまだ塩辛いみたいで、お皿を斜めにして汁を端へ除けながら食べてました」
「医者から塩分の取りすぎに気をつけるようにいわれていたからね」
女将「ふだんはラフな格好で、漫画雑誌を持って来られて黙々と読みながら食べていましたが、棋士になってからは、たまにパリッと背広を着て来られることもありました。対局の日だったんでしょうけど、当時は将棋のことはよく知りませんでしたので、ずいぶん立派になられたんだなと思いました。また、後輩の人を連れてきてご飯をおごってあげて、お会計のときに『領収書をください』と仰られたときは、偉くなられたんやなって(笑)。店を出られたあと、店内にいたお客さんが『いま帰りはったお兄さん知ってるの? あんな偉い方とふつう同じ空間でご飯を食べられないんだよ』って教えてくれました」


今や福島区の名所になった更科食堂


「ここであまり(お酒を)飲んだりすることはなかったんでしょ?」
女将「うちでは飲まれませんでしたけど、たまにお友達を連れて奥のほうからぞろぞろと歩いていかれるのを見かけて、ああ、飲みにいかれたんだなと思ったことが何回かありましたわ」
「近くに雀荘や寿司屋があるからね」
女将「村山さんの訃報はテレビのニュースで知りました。顔写真を見てびっくりしました。痩せていなかったし、そんなに体が悪いとは思ってないかったので」
「1年くらいは、皆に隠して広島の病院に入院していたんです。僕はご両親から聞いていたんですけどね」
女将「長いことお見えにならないなと思っていたときに、わっとニュースに出ましたからびっくりしました。まだお若かったのにねえ」
店主「いいお方でしたわ。いつも物静かでね」
女将「村山さんの本(『聖の青春』)が出た頃から、将棋ファンの方が全国から来てくださるようになりました。こんな感じで、思い出話をして差し上げたら喜んでくさだって(笑)。亡くなられてもう17年ですか、早いですねえ」
「『聖の青春』がドラマになったときに、ここで撮影をしましたね。冬の寒い時期でしたが、懐かしい思い出です」

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 関西将棋会館
「村山君と初めて会ったのが、関西将棋会館の道場でした。変わった子やなあ、というのが第一印象でしたが、じっと見ていると不思議な魅力を感じて、弟子に取ることにしました。自分にとって初めての弟子でしたが、迷うことはなかったですね。まさか一緒に住むことになるとは思わなかったけど(笑)」

「奨励会に入るまでの1年、村山君は毎日この道場に通っていました。中学校が終わったらここへ来て夕方まで指し、僕が来ると一緒に更科食堂で夕飯を食べ、僕は雀荘へ。村山君はまた道場へ戻って閉館まで指し続ける。その後、村山君が雀荘へ迎えに来て一緒に帰るという生活パターンでした。道場での村山君は昇級ストッパー役で、強いお客さんがいると村山君が相手をする。誰も真似できないよな、かなり凄い勝率を残していると思いますよ。ほとんど負けてなかったんじゃないかな」

「奨励会に入ってからの村山君は、毎日のように将棋会館の棋士室にいて、主みたいな存在でした。いつも棋譜を並べていましたね」


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市山ハイツ跡地
「村山君が奨励会に入って、僕と一緒に住んだのが『市山ハイツ』でした。あれから30年以上もたってこの辺もずいぶん変わりましたね。アパートがあった場所はいまは会社が建っています」

↑市山ハイツがあった場所を見上げる森七段

「村山君のお母さんは最初、一つ道路を隔てた向こうにあるマンションを借りて一緒に住んでくれませんかと言いました。なぜかと言うと、当時は道路の向こう側が大淀区、こちら側が北区の境目になっていて学区が分かれ、お母さんの勧めるマンションなら、徒歩5分くらいの中学校に通えるからなんです。でも、家賃が高くて当時の自分には無理な話でした。
市山ハイツからだと、歩いて30分以上もかかる遠くの中学校に通わなければなりません。何とか通えないか聞いてみたのですが、「学区が違うからダメ」と断られました。
バスも少ないし困ったなあと思いましたが、自転車で通わせようと、近くの小さな公園(大淀南公園)に練習に行きました。村山君は自転車に乗れなかったんです。僕が2、3日付き添ってやって、後ろから押していたときはいけそうかなと思ったのですが、独りで練習に来たときに転んで足を怪我をしてしまったようで、包帯姿でやってきて「僕はもう一生、乗りません」と言ってやめてしまいました(笑)。
結局、区役所に相談に行き、そこで働いていた知り合いに相談したところ、『規則があってダメだけど、養護学級なら』と許可され、無事に入学できました」

村山少年と自転車の練習をした公園

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前田アパート

森師匠との共同生活を終え、一時広島に帰った村山は、約1年半後に大阪に戻ってきた。1985年(昭和60年)の8月から、独り暮らしをするために借りたのが、「前田アパート」である。関西将棋会館から500メートルほどの距離だ。

村山九段が晩年まで住み続けた前田アパート
いまは閑散としている


「村山君が独り暮らしを始めるのは、中学を卒業してからです。思ったより大胆というか、男らしさを感じました。彼は自分の気持ちに対して回り道しないでズバッと急所を突いてくるところがある。お母さんも医者も反対していたようですが、将棋漬けになるため、将棋連盟のそばに住んで毎日通う生活を考えていたんでしょうね。村山君にとっては将棋が1番で、学校のこととか体のことは2番目、3番目なんです。いまの子たちは、将棋だけが1番ではなくて、それ以外のことも大事にしているからややこしい。
僕が大きな病気を抱える立場だったとしたら、村山君と同じことはできなかったと思います。その大胆なところが村山君独特の真っ直ぐさなのかもしれませんね。あんまり周りに影響されない。こうやるんだと決めたらマイナスのことを考えない。そういう分かりやすさがありました。もしかしたら、その頃から人生の残り時間を考えていたのかもしれない。どういう状況でもあまんじて受けるというか、与えられた運命の中で何とかやりくりするみたいなところがあったような気がします。

前田アパートは、村山君が自分で探して借りたんです。急な階段を上った2階の奥の四畳半の部屋で、引っ越し作業は僕も手伝いました。最初は荷物も大したことがなかったけれど、すぐに寝る場所もないほどの量になってびっくりしましたけどね。万年床で足の踏み場もなく、押し入れに足を突っ込んで寝ていました。たまにお母さんが広島から来て掃除をしていたみたいです。ぼくもたまに本を片付けたりしましたが、漫画雑誌は読んだら捨てるものだと思うでしょ? でも、勝手に捨ててあとですごく怒られたことがありました(笑)。散らかっていてもなくなっているのが分かるんですね。


「窓から公園の緑が見えるし、静かでいい環境ですね。ぼくは当時、ここから歩いて5分くらいのマンションに住んでいて、映画のビデオを借りによくレンタル屋へ行っていたんですけど、自転車でこの前を通るたびに下から窓を見上げて様子を窺っていました。窓の明かりがついているときは体調がいいんだなとか、逆に暗いときは明日見に行ってやらなあかんかなとかね。
たまに会いに来ても、居留守を使って出てこない。いるのは分かっているので大声で延々呼び続けて、ようやくゴソゴソと出てくる。
このアパートはもともと、前田さんというお婆さんが大家さんでした。とてもいい方でね。不思議な話なんですけど、村山君が亡くなって『聖の青春』が舞台になったとき、劇団の人とここに来たことがあるのですが、偶然にもその日が前田さんのお通夜の日だったんです。近所の人に『きっと森さんを呼んだんだよ』って言われました」

「いまはアパートの住人はいません。下の田中さんという方が管理をしてくれています。この人もとてもいい方で、いまも部屋を掃除してきれいに保ってくれているんです。
村山君は結局、このアパートに15年くらい住んでいた。A級に上がってから、近所に研究用のきれいなマンションを借りたんですけど、なぜかそこでは寝泊りせずに、必ずこのアパートに帰っていた。後年、1年ほど東京で暮らしていたときも、村山君はこのアパートを引き払わず、大阪に来たときのために残していました。愛着を持っていたんですね。僕は彼が一生住み続けるんだろうと思っていたのですが、亡くなる半年くらい前、突然アパートを引き払うと言い出したときには、虫の知らせというかちょっと嫌な予感がしました。家賃は2万円もしないし、『このままずっと置いといたらどうや』と言ったんですが、彼は『いや、もういいんです』と。いま思えば、自分はもうここに戻れないということを悟っていたのかもしれないですね」


 
村山聖の魅力
「以前、山崎君(隆之八段)が何かに書いていたけど、『僕も村山さんに影響されて、村山さんも僕に影響されて、どっちがどっちか分からなくなっているんじゃないか』と。それを読んで、自分ももしかしたらそうかもしれんなとハッとしました。僕が少々のことでめげないのは、村山君の影響が大きいですね。彼を見ているとめげちゃいけないと思うし、それが自然になりました。逆に村山君のほうも、無謀な行動ばかりしていたのが、途中で振り返るというか、ちょっと立ち止まってみるということができるようになったのは、ぼくの影響のような気がします。
村山君のことに関して嫌だと思ったことはこれまで一度もありません。どんなに手間と面倒をかけさせれられ、神経を使わせられても。最初に弟子になったときでも、奨励会入りのいざこざがあったときでもそうですけど。「なんで森さんは村山君のためにそんなにエネルギーを使うんですか」といわれたこともありましたが、自分でもよう分からなかったんです(笑)。実際、一時は自分は棋士を辞めてもいいと思ったこともあったしね。知らない間に村山君と一緒に動いているような感じでした。阿吽の呼吸でね」

前田アパートと将棋会館を結ぶ通り道にあるシンフォニーホール前の桜並木

「僕と村山君が出会ったことは不思議な経験でした。偶然のはずなのに、そうでないような。村山君のおかげで自分の生き方や考え方も変わったし、鍛えられたような気がする。村山君がいた時代はある意味一瞬ですから、いなくなってもう17年もたつのかとびっくりします。
いまでも村山君のことが多くの人の胸を打つのは、将棋に向き合う姿勢だと思うんです。ふだんはゆっくり歩いたり布団の中でじっとしているけれども将棋に関しては常に突っ走っていましたから。それが魅力なんだと思います。
いろんな人から、村山君はもしも病気でなかったらタイトルを取っていたでしょうかとよく聞かれますが、僕はそういうことはあまり興味がないですね。取ったかもしれないし取らなかったかもしれないけど、それが本線じゃない気がします。村山君にとって大事だったのは、ただ将棋に勝つことと強くなること。それをエネルギーが続く限り果てまで追いかけていくことが生きる目的だったような感じだったから。その結果としてA級には行けたわけなので、それは素晴らしいことだと思いますね」   (おわり)
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