掌編小説「言葉」シリーズ

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【第8回】『聞き上手』

2014.10.04 | 岩村圭南

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 誰かに話を聞いてほしい時もあるのです。

『聞き上手』

 長年の生活習慣は一朝一夕に変えられるものではない。改めてそう思う。
 二ヶ月前に四十年近く勤めた上げた会社を定年退職したが、しばらくの間は朝六時になると条件反射のごとく体が自然に目覚めてしまった。妻も私に合わせていつものように早起きし、食事の支度をしてくれていた。
 時間に縛られない悠々自適の生活にもようやく慣れ、ゆっくり起きて新聞を読みながらのんびり朝食を楽しむようになったのは、つい最近のことである。
 悠々自適と言えば聞こえはいいが、のんべんだらりと退屈な日々を送っているに過ぎない。こんな状態のままでいいのだろうか、と独り言のように自問自答を繰り返す。
 暇を潰すための趣味や娯楽がないからといって、何もせず一日中家でゴロゴロしているのは精神衛生上よくない。気分転換も必要である。三十分ほど歩いたところにあまり人けのないこぢんまりした公園がある。気が向くと運動不足解消を兼ねてそこまで散歩するのだ。お昼前に家を出て、途中でコンビニに立ち寄る。公園に着くとベンチに座り、一人で好物のおかかと明太子のおにぎりを頬張る。時には学生時代に読んだ文庫本のページを繰りながらうたた寝し、ゆるい一時を過ごす。
 何度か足を運んでいるうちに、ひょんなことから話し相手ができた。こちらが一方的にしゃべり、それを聞いてもらうのだが、お陰で充足した時が過ごせ、その上、気晴らしにもなる。相手も嫌な顔一つせず話を聞いてくれている。迷惑だとは思っていないようだ。口数が極端に少ないというか、ほとんど何も言わず聞き役に徹してくれる。聞き上手なのだろう。私は調子に乗って、偉そうに自分の人生観を滔々と語ったりする。
 ここ数日は雨模様だったが、今朝は昨日の土砂降りが嘘のようにからりと晴れ上がり雲一つない。爽やかな晴天に誘われ、何日かぶりに公園に行ってみようと思い立った。いつものコースを辿り、今日は来ているだろうか、と内心期待しながら普段より早足で公園を目指した。
 入口で立ち止まりベンチに視線を向けると、日向ぼっこをしている姿が目に入る。手を挙げぺこりと頭を下げて挨拶した。気づかなかったようだ。
 ゆっくりと歩み寄り「こんにちは」と声をかけた。その言葉に反応したかのように薄目を開けこちらをちらりと見たが、押し黙ったまま動かない。気持ちよさそうに柔らかな陽光を浴びている。
「よっこらしょ」と小声で言いながら同じベンチの端に腰を下ろした。
「いいお天気ですね」
 改めて話しかけた。返事はない。
 横目で様子を窺う。眠気を振り払うように目を擦りながら大きくあくびをし、穏やかに微笑んでいる。
 世間話を始めると、どこか達観したような表情を浮かべ、日だまりの中で心地よさそうに黙って耳を傾けてくれている。それに気をよくして一方的にしゃべり続けた。
 しばらくすると突然すっくと起き上がり、背中を丸め「く」の字型になって伸びをして、ベンチから勢いよくひょいと飛び降りた。とりとめのない長話にいい加減飽きたのだろうか。何も言わずに軽い足取りでどこかへ行こうとする。
「それじゃまた」
 私が声をかけると、振り向くでもなくそのまま一鳴きして姿を消した。
「ニャー」(了)

 楽しい週末を。Have a nice weekend.


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