「タイムカプセル」
「大丈夫、だいじょうぶ。だめでもまた頑張ればいい」。
音のない張り詰めた空気の中で少し痛む胃にそっと手をあてて、そう呪文を唱える。敗北は終わりではなく始まりで、結局どちらにしても私はただ一所懸命に勉強して、
精一杯戦うことしかできない。
きっとその繰り返しなのかもしれないな。
イチョウの黄色い絨毯を歩きながら、そんなことを思った。
対局室に入り、座布団と駒台を盤に合わせて、飲み物を買いに行った。
「カメラが3台もあるんだ…」それはネット中継を意味していた。
自分の指す将棋が全国へと配信される。
もちろん、それはとっても嬉しいこと、
でもその分恥ずかしい将棋は指せないというプレッシャーも大きい。
ふと後ろから「頑張れ~!」と会館道場の常連の方々が、エールを送ってくださった。それをギュッと真空パックに閉じ込めて、対局室へと戻った。
その言葉がいつも、重たい背中を力強く押してくれる。
矢倉戦になることはほぼ間違いないと思っていた。
村田初段はもともと育成会時代、右玉オンリーだった。
しかし、プロなってから矢倉も指すようになり、私は前回矢倉で負かされてしまった。
その印象が強すぎて、矢倉対策にばかり力を入れていた。
そして事件は前日に起きた…。
村田初段の最近の棋譜を調べたら、そのほとんどが右玉を採用していたのだ。
それに気付いたのはそろそろ寝なければならない2、3時。
もちろん、その後遅くまで対策を練りに練ったのは言うまでもない(笑)。
その一夜漬けの努力は報われず、結局矢倉になった。
少しだけホッとした。
村田初段は育成会が同期で、昔から仲良くしてくれている。
明るくて、優しくて、それは今も少しも変わっていない。
私が智穂ちゃんの家に泊まりに行った日も、恋愛や仕事の悩みを、嫌な顔一つせず夜中までずっと聞いてくれた。
そして、答えなんて見つかるはずもな悩みを、一緒に考えてくれる。
だから、仲の良い女流棋士と対局する時はスイッチの切り替えが本当に難しい。
でも、気付くとそれすらも忘れているから、将棋の魔力はすごい。