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歴代最年少名人 芝野虎丸の軌跡

第2局 竜星獲得の一局 -対 余正麒七段 ④

2019年10月に、史上最年少の19歳で囲碁の名人位を獲得した芝野虎丸名人。新星誕生のニュースは、囲碁界の枠を飛び出して大きく駆け巡りました。
人前で言葉を発することがほとんどなかったというシャイな少年・芝野虎丸は、いかにして碁界の頂点まで登り詰めたか。
名人を一番近くで見続けた兄、芝野龍之介二段が、その幼少期から名人戦までの戦いを振り返りながら、その才能と人柄に迫ります。

プレッシャー

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上辺を連打されましたが、逆転にはまだ程遠いです。93から左上に味をつけに行きました。固く勝ちにいっています。

虎丸は、以前はプレッシャーに弱いタイプでした。私はこのことに気づいていませんでしたが、父に指摘され、そうなのかと思いました。虎丸がプロになってから、アマチュアや院生との手合い対局のとき、負けていることが多かったです。また、プロ試験のときに私に負けたのもプレッシャーがあったのかもしれません。ずっと一緒にいる私が気付いていないことに気付く父は本当にいつも私たちのことを考えてくれているのだなあと思います。

今ではあまりプレッシャーを受けているようには感じません。虎丸はおそらく自分がなりたいと思ってプロを目指したわけでも、強くなりたいと思って勉強し続けたわけでもありません。自分の意思ではなく誘導された方に自然と流されていく感じなので、そこがプレッシャーを受けない仕組みであり、強みなのだと思っています。周りの言う通りにすれば悪いことにはならない環境であり続けていることは大きな成功要因であるのかもしれないと思います。

抜かされること

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左上に手を残し、97,99と確実な大場にまわって行きます。勝ち切り方の参考になります。

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白がまだまだ暴れまわっていますが、黒は全部譲っていて勝てそうです。

余先生から見たら虎丸は年下です。年下に負けるというものはとてもつらいです。これはプロ棋士までなった人には大体当てはまると思うのですが、囲碁を始めてから棋力的に他人を超える経験はいっぱいしてきています。しかし、抜かされるという経験はほぼないはずです。今までずっと上を見て目指してきていたのに、下から追い抜かされると、追い抜き返すことができないのではないかという不安や、下にも目を向けるようになってしまいこれから抜かされる一方なのではないかという不安などが生まれます。抜かされたと信じてしまうともうおしまいで、まだ抜かされていないと信じ続けて心を保つのが精いっぱいだと思います。

白の粘りには気持ちの整理の付かなさが良く表れているようで、そう考えるとつらくなってきます。

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右下が劫になりそうでしたが、ここも譲っていて黒勝ちの形勢。

虎丸は洪道場に通い始めてから、抜かされるという経験はまだしていないです。一度院生Aクラスくらいの時に私が虎丸に、「道場に行き始めてから虎丸以外の誰にも囲碁の実力で抜かされていない自信がある」と言ったことがあります。それに対して虎丸は「なんで言い切れるんだ」と返してきましたが、そんなことはないとは言ってこなかったので、可能性は高いと思っていたでしょう。

私が虎丸に抜かされたときに囲碁をやめたりしなかったのは、ずっと接していて徐々に認めていったからでしょうか。私が小6のときに出た団体戦の時点ですでに虎丸の方が強いと思っていましたが、絶対負けるというわけでもなく、決定的な差がないままプロ直前までくらいつき続けてきました。また、そうすることで他の人は抜かし続けて自分の目標であるプロは着実に近づいていました。囲碁への強い思いがあったおかげで、あまり気にしないことができていたのかもしれません。

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中央で黒が勝勢を築き、何事もなく勝ち切った碁でした。

165手完黒中押し勝ち

お祝い

史上最年少で竜星のタイトルを獲得し、その記録は178ヶ月22日です。先ほど述べた私の史上最年少の記録は、アマチュア本因坊のタイトルで178ヶ月21日です。プロとアマなので比較してもしょうがないですが、ほぼ同じ年齢の時に似た記録を樹立しているのはなんだかおもしろいなあと思います。ちなみに私の記録は、この対局が行われた3週間後ほどに塗り替えられてしまっています。

一つ優勝するためには相応の実力は必要です。これは私の持論なのですが、二つ目の優勝をしてようやく実力が証明できると思っています。二つ目から難易度が跳ね上がり、一つだけの優勝とは比較にならない大変さがあると思っています。一つ優勝するのでもとても大変なのですが、例えば、たくさんいる優勝候補に食らいつくことができる程度の実力だけど運よく勝てて優勝した、というようなケースもあります。また、逆にすべての棋士に対して80%で勝てる絶対的な優勝筆頭候補だったとしても、最低5連勝は必要なことが多いので、多くても3回に1回程度しか優勝できません。トッププロの世界でそんなに勝てる人はそもそもいません。これらを考えると1回目の優勝から2回目の優勝はとても遠いのではないかと考えています。私はアマチュア大会では一度しか優勝しておらず、自慢はできますが実力だったとは言い切れないなと思っています。なので、この虎丸の優勝も喜びはしましたが、これだけで終わらないでくれという気持ちも結構強かったです。

私はこの対局があった日は学校に行っていてその後も用事があり遅い帰りだったのですが、家に帰ると虎丸がいました。いつも通りネット対局中だったので、あまり邪魔しないように「おめでとう」とだけ声をかけておくと、「おう」とだけ返ってきて、何にも変わらないなあと思いました。少しだけテンションが高く、嬉しそうに見えました。

私はしばらく舞い上がり気味で、弟をわかりやすく自慢できるようになったのでいろいろな形で自慢をしていました。新記録なのだからアピールとして情報発信もしなければならないと思い、気合を入れて頑張ることもしました。授業中だったと思いますが、こっちの方が大事と心の中で言い訳をしていました笑。

テレビ取材も入るようになりました。囲碁界からではないテレビ取材もあり、家にも来ていて私もついでに撮られるので、アピールできる場が多くうれしかったです。一緒に取材を受けることで、虎丸が普段から思っていることの再確認もできるし、取材で言っていたことが本当なのか等の質問ができるとか、共通の話題も増えました。伝えることは苦手なので、聞き出す側にかなり苦労させてきてしまっていると思うので、その面でも虎丸のサポートができるくらいには私も修行したいなあと思います。

七段昇段ということで、この時に家でお祝いをしました。私が企画に携わったイベントのクイズコーナーの解答として、その時の写真を公開したところ、思わぬ反響がありました。問題は、「七段昇段ということでお祝いにあるものを七段に積み上げました。それは何でしょう」というものでした。答えはアイスです。我が家では毎週2回、家族の人数分アイスを買うのが習慣になっていました。アイスを七段に積み上げるというものはネタとして誰かが提案したのだと思いますが、本当に実行することになるとも、それが一般に知れ渡ることになるとも考えてもいなかったと思います。七段アイス(28)ですが、一週間もかからずに全部なくなりました。


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著者プロフィール

芝野 龍之介(著者)