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歴代最年少名人 芝野虎丸の軌跡

第1局 院生時代  -対 許家元 ②

2019年10月に、史上最年少の19歳で囲碁の名人位を獲得した芝野虎丸名人。新星誕生のニュースは、囲碁界の枠を飛び出して大きく駆け巡りました。
人前で言葉を発することがほとんどなかったというシャイな少年・芝野虎丸は、いかにして碁界の頂点まで登り詰めたか。
名人を一番近くで見続けた兄、芝野龍之介二段が、その幼少期から名人戦までの戦いを振り返りながら、その才能と人柄に迫ります。

独特の感覚

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3譜

36はすごい手。無理に見えるけど厳しい発想。
ただ左辺の白石を生きるだけでは不満だったということですね。

外側をどうしても破りたくてひねり出した手であるように見えます。先に地でかなり損するのでなかなか思い浮かばない手なので、当時から独特の感覚を持っていたのだなあと思います。

洪道場

私と虎丸は院生研修でも同じクラスにいることがかなり多かったため、よく当たっていました。真剣な場での対局を兄弟間で積み重ねてきているので、対局時に何かを感じるということは全くなくなっていました。私が虎丸に全然勝てなかった時期もあれば、逆に私が全然負けなかった時期もあり、やや虎丸の方が強かったですが毎回勝負そのものを楽しめていました。また、帰りの電車の中で棋譜をつけていたのもあり、その日打った碁の検討をすることもよくありました。

洪道場では院生研修の碁の検討を毎週しており、私と虎丸はいつも月曜日の放課後に検討をしていただいていました。そのとき検討を横で一緒に見ているので、お互いの碁のことはかなり良く理解していましたし、どの院生がどんな碁を打っていてどんなことに気をつけると勝ちやすいかまでわかっていました。検討してくれる先生も何人かいて、それぞれの先生の検討の仕方の特徴などを面白半分で真似たりして考え方の復習をしたりもしていました。

当時洪道場は市ヶ谷にあり、院生研修が行われる日本棋院のすぐ近くにあったので、土日は洪道場に結果報告をするためだけに寄ってすぐ帰っていました。妹も洪道場に通っていたので妹の迎えの意味もありました。

人見知り

洪道場に向かうときなのですが、私と虎丸はいつもバラバラで行っていました。一緒に行く意味がなかったからです。私はいつも終わってすぐ道場に行って成績表をコピーして先生に渡し、それから本を読んだり詰碁をやったりして虎丸が来るのを待っていました。虎丸はゆっくりしていたわけでもないと思いますが、急ぐことはせず私より10分くらい遅く来ていることが多かったです。なんで一緒に来ないのかよく聞かれていましたが、私たちからすると一緒にいる必要性がどこにも見つからないから質問の意味が分からないといったところでした。ちなみに道場や院生研修中のごはんもお互い弁当でしたが一緒に食べることはなくて、当然これもなんで一緒に食べないのかよく聞かれていました。道場から一緒に帰っていたのは、家の最寄り駅まで車で迎えに来てもらっていたからという理由があったからと説明できます。

ただ、今考えてみると一緒にいる時といないときの大きな違いに気付きました。それは周りに知っている人がいる可能性があるかどうかです。私と虎丸はどちらもかなりの人見知りでした。私は道場に通い始めてすぐに道場内で話すことはできるようになりましたが、虎丸はプロになってしばらくたつまで外で話すことはほとんどありませんでした。私と一緒にいると話すことはいくらでもあるのですが、周りに人がいると喋っているところを見られるのは恥ずかしくて話せず、私も虎丸がそうであることはわかっているのでどうせ話せないなら一緒に行動する意味がないと感じていたのだと思います。なので、一緒に帰るときも電車に乗るまでは離れ気味に行動していたりもしました。道場や院生研修でも近くにいることは少なかったです。周りに人が現れる可能性がなくなってからはかなり喋っていましたし、家では虎丸は勉強中によく歌っていたので外で喋らないのはかなり不思議ではありました。

喋らない虎丸

虎丸が外で喋らずにどう過ごしていたのかですが、そこに関しては周囲の理解とサポートのおかげであるところがかなり大きいです。例えば洪先生が検討をしてくれている時、洪先生から虎丸への質問は必ずイェスノーで答えられるものしかしていませんでした。

実は一回洪先生がしゃべる練習をさせようとしてどういう考えでこの手を打ったのかというような質問をして答えを求めたことがあるらしいのですが、それに対して虎丸が泣き出してしまったので洪先生が反省したそうです。
他の先生の検討等でも、同じようなことがあって先生側が虎丸に配慮をしてくれるようになったり、私が見ている時は私が虎丸の考えていそうなことを代弁してみて切り抜けたり、なんとかなっていました。院生研修で教えに来てくれた先生に検討してもらっている時に虎丸が泣き出して、先生もなんで泣いているのかが理解できなくて大変だったとかいうこともありましたが。
洪道場でのあいさつだけは徹底させられていたのと、言う単語がいつも同じだから考えなくてよかったのとがあっていつも発声していましたが、本当にそれ以外では虎丸は口を開いていませんでした。何年も道場に通っているのに虎丸の声を聞いたことがないという人が多数いたくらいですからね。
今でも道場生の中では虎丸の取材されたテレビなどを見て、虎丸がしゃべっているということに驚いている人までいます。それだけ虎丸の声はレアなものとして扱われていました。

一度虎丸がなんで全く喋らないのかがわかったと虎丸に言って来た人がいます。その人の推理はこうでした。私の滑舌が少し悪いから、虎丸も声に何かしらコンプレックスがあって聞かれたくないのだろう、だから喋ることができないのだろう、と。
私は幼少期に耳が悪かった影響で発音がうまくできず、滑舌を直すために病院に通っていたこともあり、うまく舌が回らないことがあるのは家族の中では知られていることでした。
虎丸は先ほどの推測を披露されたということを私に言って来て、私のせいで変な推測されているぞ、どうしてくれるんだということをふざけて言ってきました。私はそれを聞いて、私自身も人見知りだったこともあって虎丸の声を出したくない感覚は理解していたので、的外れもいいところだと笑っていました。
滑舌に関しては遺伝的な要素はないから兄がどうとかは関係ないのになんで絡めてきたんだとか、自信満々に間違った推測を披露してきたことが面白いとか、二人で笑っていた記憶があります。
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4譜

52まで、おそらく予定通りの進行で、隅で先にかなり損しましたが、代わりに外に出てうまくさばいたかと思います。

54がまた無理そうな手。自分の方が弱い場所だとは思っていなさそうです。

布団の中の対局

虎丸とは院生研修や道場のリーグ戦ではよく当たっていましたが、家ではあまり打っていませんでした。しかし、布団の中で対局をしていた記憶はあります。私たちは布団の中に入ってからよく1時間近くおしゃべりをしていました。
囲碁に真剣に取り組むようになってからは寝付くまでが早くなっていきそこまで喋らなくはなりましたが、その中でもお互い全く寝られないときもあり、いつ頃だったかは覚えていませんが、どちらからか囲碁打とうぜと持ち掛けたのです。
布団の中なので碁盤も碁石も使えません。なので、両者脳内の碁盤で、座標を言い合っての対局です。19路盤だと終わる前に寝てしまうと思ったので、9路盤で対局が始まりました。虎丸が5の5と言い、私がそれに対して7の5と返し、その手はどうだとかなんだその手はだとか、座標間違えてるよそれとか、わちゃわちゃと言いながら打っていたように思います。
確かその日は2局打ち、次の朝起きてから実際に碁盤に並べて検討していました。私の記憶の中では布団の中での対局はこの一日のみの出来事です。これ以外にも、対局と称してほんとにしょうもないことを言い合っていた思い出もあります。
19路での対局を私が持ちかけたのです。5手くらいまでは座標を言い合っていたと思います。しかしそこから、面倒になったのか虎丸が着手をしなくなりました。私が「早く打て」と急かすと、虎丸は「打った」と答えます。どこに打ったのかといくら問い詰めても、「打ったって言っているだろ」というふうに返されます。仕方がないので私も「打った」と返すと、虎丸も即行で「打った」と返してきます。「どこ打ったか分からないから対局が成り立たないじゃないか」と言いつつもこの攻防は続きます。
決着がつかないように見えるこの勝負ですが、しばらくはしっかり勝ち負けが付きました。
1局目は確か途中で私が「パチン」と言いました。それに対して「打った」と答えてきたため、「今のこっちは碁盤の裏に石をたたきつけただけだからそっちは二手打ちしたことになって反則だ」となり、虎丸は「マナー悪すぎじゃないか」と言いつつも負けを認めました。
2局目は虎丸が途中で「ぶった」と言い、私はそれに違和感がありつつも聞き間違いだと思い「打った」と返して虎丸に「今こっちぶっただけだからそっち二手打ちだ」と言われ「対局中にいきなり相手ぶつなんて何しているんだ。どういうことだ。」と言いつつ負けを認めました。
最終的には「打った」と言ってしまった後も今のは着手したんじゃなくて頭を打っただけだから二手打ちではないだとか、バットで碁盤を打っただけだとか(それはそれで反則負けにされてもおかしくない行為だと思うが)、言い訳をするようになって勝負がつかないようになったのでこの遊びは終わりました。
囲碁は関係ないですが面白い思い出です。

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著者プロフィール

芝野 龍之介(著者)