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歴代最年少名人 芝野虎丸の軌跡

第1局 院生時代  -対 許家元 ①

2019年10月に、史上最年少の19歳で囲碁の名人位を獲得した芝野虎丸名人。新星誕生のニュースは、囲碁界の枠を飛び出して大きく駆け巡りました。
人前で言葉を発することがほとんどなかったというシャイな少年・芝野虎丸は、いかにして碁界の頂点まで登り詰めたか。
名人を一番近くで見続けた兄、芝野龍之介二段が、その幼少期から名人戦までの戦いを振り返りながら、その才能と人柄に迫ります。

言い争い

2010年の10月に、私と虎丸は同時に院生に入りました。
当時の院生試験は棋譜審査を経てから実戦での試験がありました。試験を受けた時は私も虎丸もプロに二子程度の実力でした。私は試験時中学1年だったのですが、院生に入るにしてはやや遅めだったので、通らない可能性もあるだろうというところでした。
当時の師範だった中小野田九段と対局をしました。私は二子置いて虎丸は三子置いての対局でした。虎丸は時間内に勝利して終わり、私は優勢ではあるけど勝ち切れるかは不明なところで打ちかけとなりました。
軽く検討をしていただいたあと、反省点がまあまああったので、なんとなく負けたかのような気分になっていました。

試験から帰っている途中虎丸に、負けたから落ちるかもな、とからかわれました。
言われた瞬間は負けたから何も言えないなあと思っていましたが、少し経ってから打ちかけで負けてはいなかったことを思い出しました。
「そう言えば負けてないぞ」と言い返すと「負けた気分になっていたのだから負けたようなものだろう」「局面はどっちかというと勝ちだった」「でも勝ってはいない」といった小競り合いがはじまりました。このような軽い言い争いを楽しんでいた記憶があります。

理解しがたい感覚

虎丸が院生の時の棋譜を紹介していきます。
対戦相手は第43期碁聖の許家元さんです。この棋譜の時は虎丸が中学1年生ですね。虎丸は院生のAクラス、私は院生BクラスとAクラスを行ったり来たりという実力でした。運が良ければプロ試験に合格できることもありそうというくらいの実力です。虎丸はまだこの時は入段までは全く意識していなかったと思いますが、私はプロ試験の厳しさをあまり分かっていなかったのもあって、現実味がないのに自分の入段できる道筋をよく想像していました。
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1譜

6手目に関してですが、この時期二間高カカリは少なかったです。よく打たれていたのはAのオオゲイマカカリです。そちらはかなり研究が進められていた手で、当然虎丸含め院生の人たちも詳しく知っていました。しかし、虎丸は流行りではない手を積極的に使っていたように思います。これに関しては詳しい理由はわかりませんが、自分の土俵での戦いに引きずり込みたいのではないかという印象を受けていました。

当時二間高カカリを一つだけ打って放置するのは一般には理解しがたい感覚で、私も虎丸にこれで放置するメリットはどこにあるのかと聞いたことがあります。何冊かの本で解説があって私も読んではいたのでこの手に関してよく知ってはいましたが、どうも納得はできていなかったのです。
私の質問に対して虎丸は、コゲイマシマリさせているからどう見ても得だろといった感じで返してきて、私はコゲイマシマリさせているからどう見ても損といった感じで言い返すので、納得いくことは最後までなかったです。

院生研修

対戦相手の許家元さんですが、院生に入った月が私たちと同じでした。
院生研修は、私が入った時は一番上がAクラスで、そこからEクラスまでの5つに分かれていました。入った時は一番下から始まり、毎週土日集まって対局を行い、4週間ごとの成績でクラスの昇降格が発生する仕組みでした。AクラスとBクラスの間、BとCの間は3人ずつの入れ替え、それ以下のクラスは4人ずつの入れ替えです。また、この時は一緒に入ったのが他に5人、私たちと許家元さんを合わせて8人いて、院生の総人数は70人でした。
Aクラスが10人、Bクラスが10人、Cクラスが12人、Dクラスが14人、残りが全員Eクラスという内訳です。その時はプロ試験が行われていてそこに合同予選を抜けた院生が4人入っていたこともあり、Eクラスの人数は20人でした。
院生研修の対局はクラスによって持ち時間が違い、一日当たりの対局数もクラスによって異なります。具体的には、AクラスとBクラスは4週間の8日のうち6日が2局、残りの2日は1日3局、合計18局で総当たりを2周する仕組みでした。Cクラスは毎日3局、Dクラスは3局の日と4局打つ日があり、Eクラスは毎日4局打って組み合わせ表の通りに対戦していました。
入って最初の月は確か許家元さんが31勝1敗でEクラストップ、虎丸は28勝4敗くらいで3位でDクラスに昇格、私は7敗くらいして5位で上がれませんでした。許家元さんはこの時から強くてそのまま毎月昇格をしてAクラスまで行き2011年2月に1位を取っていましたが、私たちはCクラス前後の実力しかなかったのでAクラスまでは少しかかりました。それでも見返してみると虎丸は2011年の12月に、私は2012年の2月にAクラスに在籍しているのでかなりの速さで強くなっていたのですね。Bクラスに上がった時点でもかなり嬉しかった記憶はあるので、Aクラスにすいすい上がって行っているように見えるのは自分のことなのに驚きました。

予選落ち

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2譜

14から激しい戦いが始まり、32まで空中戦の形となりました。これは虎丸の得意分野で、だいたい虎丸と打つとこんな感じになります。

私と虎丸は院生試験を受ける前、師匠の洪清泉先生の意向でプロ試験の外来予選を受けました。これはプロ試験の空気を一回味わうためだったと記憶しています。院生研修とは比べ物にならない緊張感がありますし、一度院生に入ってしまうと入段が見えるくらいまで強くならないと経験できないので、体感する価値は十分あると確かに思いますが、その時の私はちゃんとわかっていたのかどうか。
当時のプロ試験は院生以外の受験者だけの外来予選、外来予選通過者と院生の11位~20位を合わせた合同予選、そして合同予選の通過者と院生の1位~10位を合わせて行う本戦という構成で、毎年2人の合格者が出る仕組みでした。外来予選は抽選で二つの組に分かれ、打ち分け以上で通過するという条件が定められていました。私たちは実力的には外来予選を抜けることは難しいくらいで、私は3勝4敗、虎丸は0勝8敗で予選落ちとなっています。
結果だけ見れば私は惜しそうに見えるかもしれませんが、最初に4連敗で脱落が確定してから消化試合となった残り3局を3連勝したというものなので、実際は二人ともボロボロの成績です。ちなみに私はこの院生に入る前のプロ試験中も奇跡的に本戦まで行って受かることを妄想してはいました。同じ道場からの受験者がいたりして実力的には受験者の中で最下位にいることは理解していたうえでのことです。虎丸が全敗したことに関して、私はいじっちゃいけないかもしれないと思った気はしますが、虎丸は一切気にしておらず、結局いじっていたと思います。
他人なら気にしそうなことでも私たちの間では結構なところまでいじり合って笑いに変えていたなあと思い返していると感じます。あまり何が起きても気にしないということがお互いわかっているからでしょうかね。

プロ試験に関してもう少し説明します。
先ほど説明した試験は冬季棋士採用試験なのですが、もう一つ夏季棋士採用というものがあります。これは院生のみの中から採用されるものなのですが、試験の形は取っていません。4月、5月、6月の3カ月の院生研修の合計順位で一番成績が良かった人を一人採用するという形でした。
この採用制度があったこともあり、プロになるためには院生に入ったほうが良いとされていました。入段の仕方が増えるのですから当然と言えば当然ですね。他に女流棋士特別採用試験というものもありましたが、これは私たちが受けることができない試験だったので割愛します。
冬季棋士採用試験と夏季棋士採用試験を合わせて毎年3枠しかないものを棋士志願者で争うという形だったので、かなり熾烈な試験ということを理解していただけるかと思います。でも当事者としては別の世界を知らないので厳しいものという理解はあまりできていませんでした。私は囲碁がひたすら好きだったので苦に感じることはほとんどなかったですし、虎丸も楽しんでいたかは置いておいて何が起きても気にしない性格だったのである意味向いていたのかもしれませんね。

 

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著者プロフィール

芝野 龍之介(著者)