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NHKの3つの真田ドラマ「風神の門」と「真田太平記」そして「真田丸」

(7)大河ドラマを凌駕する時代劇の傑作「真田太平記」

NHKの時代劇の中で間違いなく傑作の一つである「真田太平記」について紹介します。なぜ、「真田太平記」は評価の高いドラマになったのか?その秘密に迫りたいと思います。

前回は、忍者物の時代劇の中で抜群の面白さを誇る「風神の門」の紹介をしました。今回からは、数ある時代劇の中でも間違いなく傑作の一つである「真田太平記」について紹介します。また、2016年大河ドラマ「真田丸」のこれまで放送された内容を振り返りながら「真田太平記」との違いにも触れて行きたいと思います。

「真田太平記」は、1984年に放送された役所広司さん主演の「宮本武蔵」に次ぐNHK新大型時代劇の2作目になります(3作目は中村吉右衛門さん主演の「武蔵坊弁慶」)。「宮本武蔵」については前回少しだけ触れましたが、武蔵を題材としたドラマの最高傑作です。この作品を越す「宮本武蔵」が現れることはまず考えられません。「真田太平記」は、この後番組として制作されましたが、まったく引けを取らない作品となりました。そして真田物のドラマとしても最高の作品と言って間違いありません。

なぜ、大河ドラマではないNHK新大型時代劇から、連続して素晴らしい作品が世に出たのでしょうか?実は、当時の大河ドラマは近代の日本にスポットを当てた近現代作品(「山河燃ゆ」(1984年)、「春の波涛」(1985年)、「いのち」(1986年))に取り組んでおり、戦国や幕末といった時代劇は敬遠されていました。そのため、従来の大河ドラマに携わって来たスタッフや役者の多くは同時期に放送されたNHK新大型時代劇に参加することなりました。制作費を除くとミニ大河ドラマ的な位置づけではあっても「早筆右三郎」(1978年)、「日本巌窟王」(1979年)、「風神の門」(1980年)、「御宿かわせみ」(1980年)など娯楽性の強い作品が多かった水曜時代劇の枠を引き継いだこともあり、これまでとは異なる雰囲気があったように感じます。

大河ドラマはNHKの看板番組です。当然ながら、大河ドラマならではの伝統というか縛りのようなものも少なからずあります。近現代作品は、時代劇からの脱出という試みも含まれていたのかもしれませんが、全体ではあまり高い結果を得られませんでした。逆にスタッフや役者の多くが共通していながら大河ドラマという看板を外したNHK新大型時代劇は、制作側の自由度が高かったのではないかと思います。

そもそも1971年に放送された大河ドラマ「春の坂道」の主人公である柳生宗矩(萬屋錦之介)は、徳川家の兵法指南役となり大名まで上り詰めた人物でしたが、宗矩に勝るとも劣らない高名な剣術家でありながら歴史にはまったく関与できなかった宮本武蔵は、歴史の流れに影響を及ぼした人物が主人公になるという大河ドラマの原則からは逸脱しており、当然ながら主人公としては相応しくありませんでした。同様に徳川家康と対等に渡り合ったとは言っても信濃の片隅で強国の脅威におびえていた真田という小さな豪族が、大河ドラマの主人公になることは考えられませんでした。しかし、娯楽性の強い水曜時代劇の後番組であるNHK新大型時代劇であれば、武蔵や真田が主人公であっても問題はありません。

また、役所広司さんの演じた「宮本武蔵」では、決闘という命を賭けたやり取りの厳しさと負ければ死という現実に目を背けたくなるような場面が度々ありました。家名を背負っていようが家族がいようが、武芸者同士の闘いは負ければすべてを失ってしまいます。勝つためには、容赦なく相手を殺すしかなく、場合によっては幼い子供さえ手にかけることもありました。「宮本武蔵」は、その現実に正面から向かい合う主人公の姿を描いたものですが、個人の死闘が中心となるストーリーは、NHK新大型時代劇という枠であったからこそ成立したとも言えます。

しかし、時代は変わりました。2003年には「武蔵 MUSASHI」が大河ドラマで放送され、2016年には常に超端役的な存在でしかなかった真田一族がついに大河ドラマの主人公として抜擢されました。「真田丸」の平均視聴率は、第10回が終了した時点で約18%。ここ5年の大河ドラマの中でもっとも高かった「軍師勘兵衛」を抜いて好調です。しかし、どうしても年配の方は鮮烈な記憶として残る「真田太平記」と比べると物足りなさを感じることもあるようです。この連載でも「真田太平記」を真田ドラマの最高傑作と言っているだけに「真田丸」と比較することが多いのですが、原作者も制作された時代もキャストも異なるので、登場人物は同じでもそれぞれ異なる作品として楽しむことが大切だと考えます。

では、「真田太平記」の内容について詳しく触れて行きましょう。真田十勇士が登場する「風神の門」が完全な忍者時代劇であったのに対して、「真田太平記」は武将と忍者の両方に焦点を当てたドラマです。「真田丸」では、藤井隆さん演じるさすけや浜谷健司さん演じる伊賀の服部半蔵ぐらいしかまだ登場しておらず、今後もそれほど重要な存在にはならないように思われます。しかし、「真田太平記」では「風神の門」に劣らない重要なポジションを与えられています。時には、天下の動向に忍者の活躍が大きく影響を与えるようなシーンさえあります。

忍者と言えば、伊賀、甲賀をはじめとして、武田の透破、北条の風魔、伊達の黒脛巾組などが有名ですが、真田家はこれらの戦国大名と比べると小さな勢力でしたが、武田信玄より真田昌幸(丹波哲郎)が譲り受けた壺谷又五郎(夏八木勲)を中心とする草の者と呼ばれる忍者集団を従えていました。武将にとって忍者はあくまでも下僕であり、家臣にすらしてもらえない身分の低い存在でしたが、真田昌幸は草の者を大切にし、血の通った関係を築いていました。真田の忍びは、主人だから昌幸に従うのではなく、自ら望んで昌幸のために働く戦国の世でも珍しい忍者であり、それが小国でありながらも戦国時代を真田家が生き抜く力になっていました。また、「真田太平記」のヒロインは、真田幸村(草刈正雄)の恋人役である草の者のお江(遥うらら)であり、彼女は公私ともに真田家と幸村を支えました。

「真田太平記」の原作者は、時代劇の巨匠池波正太郎さんで、ドラマは原作に忠実に制作され45話が放送されています。脚本は「風神の門」と同じ金子成人さんが務め、大河ドラマの殺陣師である林邦史朗さん(2015年10月死去)がそのまま参加しています。役者としても活躍していた林さんは、「真田丸」の武田信玄役で登場していますが、放映を待たずして2015年10月に亡くなっています。奇しくも「真田太平記」の幸村役であった草刈正雄さんが演じる真田昌幸の前に現れた信玄の亡霊が最後の演技となりました。

「真田太平記」のオープニングは、管弦楽からオペラ、映画音楽、放送音楽などを手掛けた林光さんの曲が流れる中で、荒野に立つ1本の木の四季の移り変わりを中心に影絵の人馬や忍者などが入り乱れたり通り過ぎる映像が映し出されます。そして「真田太平記」の題字は池波さんが自ら筆を執るというサプライズもありました。演出は、「樅ノ木は残った」(1970年)、「元禄太平記」(1975年)、「風と雲と虹と」(1976年)、「草燃える」(1979年)、「徳川家康」(1983年)など数々の作品を手掛けた大原誠さん。そして、1983年にNHKに入局した現東京工科大学メディア学部教授の佐々木和郎さんが美術の一人として参加しています。

「真田太平記」が傑作となった背景には、これら優秀なスタッフに加えて、実力派揃いの豪華なキャストの存在がありますので後日紹介したいと思います。

なお、「真田太平記」は時代劇専門チャンネルでよく放送されているので「風神の門」と比べると視聴できる機会は多いのは嬉しいところです。また、ケーブルテレビや衛星放送が見られない方でもNHKエンタープライズからDVD-BOX全6枚セット第壱集と第弐集が発売されていますのでぜひお楽しみください。
   
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【真田丸日記】
第7回「奪回」では、織田信長(吉田鋼太郎)の死後、北条軍に破れた織田家重臣滝川一益(段田安則)に譲った沼田城と岩櫃城を強引に取り戻した真田昌幸(草刈正雄)は、人質として差し出した昌幸の母(信繁の祖母)とり(草笛光子)と真田家臣の高梨内記(中原丈雄)の娘きり(長澤まさみ)を救出するように信繁(堺雅人)に命じますが、逆に一益に捕らえられてしまい失敗に終わります。その後、武田勝頼(平岳大)を裏切った旧武田家一門衆の木曾義昌(石井愃一)に交渉の材料として引き渡されますが、とりの活躍によってとりが木曾に残ることを条件に信繁ときりは真田の郷に帰ることができます。ますます混迷を極める信濃と上野を守るために昌幸は越後の上杉景勝(遠藤憲一)に接近しますが、それは北条家に付くための策略でした。

木曾義昌の支配する木曾(木曽)は、信濃国(長野県)の左下に位置している渓谷に囲まれた地域です。塩尻市から中山道の一部である木曽街道(木曽路)と呼ばれる現在の国道19号沿いに南西に進むと名古屋市に辿り着くことができます。武田勝頼を滅ぼす際に織田・徳川連合軍は、木曾義昌を調略してこのルートを抜けて攻め入ってきました。義昌の居城であった木曾福島城(福島城)は、いくつかの郭跡が残っており、現在はハイキングコースの一部となっています。

<福島城跡へのアクセス>住所:長野県木曽郡木曽町福島城山。JR東日本中央本線木曽福島駅よりタクシーで5分→徒歩で50分。伊那インターチェンジから車で40分→徒歩45分。参考情報:全国観るなび

 
 
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著者プロフィール

マイナビ出版 旅・鉄道編集部(出版社)
マイナビ出版の地図・旅行ガイド関連編集部員が、自らの旅の記録を交えつつ、鉄道や旅行の情報をおとどけしていきます。