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歴代最年少名人 芝野虎丸の軌跡

第1局 院生時代  -対 許家元 ④

2019年10月に、史上最年少の19歳で囲碁の名人位を獲得した芝野虎丸名人。新星誕生のニュースは、囲碁界の枠を飛び出して大きく駆け巡りました。
人前で言葉を発することがほとんどなかったというシャイな少年・芝野虎丸は、いかにして碁界の頂点まで登り詰めたか。
名人を一番近くで見続けた兄、芝野龍之介二段が、その幼少期から名人戦までの戦いを振り返りながら、その才能と人柄に迫ります。

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7譜
中央で黒が少し威張り、不満はなさそうです。90までの形勢は、地は黒の方が多く、白模様だった右辺は白地になりにくくなったため黒優勢です。

プロ棋士を目指す人にとっては、学校の夏休みをどれだけ囲碁の勉強に充てられるかはとても重要なことです。洪道場では夏季特訓と称して、夏休み期間中は特別プログラムが組まれていました。朝礼から始まり、午前は詰碁テストをし、残りの時間は対局のイベントを組まれることが多くて対局を行うことが多かったです。詰碁の団体戦が行われたり、ペア碁が行われたり、ヨセの対抗戦が行われたりすることもありました。
この夏季特訓においてもっとも大切なところは、日ごろの生活においても言えることですが、隙間の時間をどう過ごすかです。詰碁テストを早く終わらせることができた時や、対局が組まれるのを待つ間、お昼休みの時間など、空く時間は多いです。その隙間を埋めるための手段の一つとして、早碁リーグという大きなリーグがありました。これは期間中に各相手と1局まで、自由に対局をして結果を競うという形のもので、対局数賞、勝ち星賞、勝率賞の3つが用意されていました。私は初めて夏季特訓に参加した時は参加者の中で実力が一番下らへんだったので、この早碁リーグでは対局数賞だけを狙い、ひたすらいろんな人に申し込んでは打ってもらっていました。実力がなくても努力すれば賞がもらえるということが励みになっていたのだと思います。
虎丸は、早碁リーグの対局を自分から申し込んでいる姿は見ませんでしたが、棋譜並べをしていたり棋書を読んでいたり詰碁をしていたり、空いている時間は必ず囲碁の勉強をしていました。また、夏季特訓は毎朝10時から開始でしたが、私と虎丸は毎朝6時半に家を出て、8時過ぎに道場に着いて主に棋譜並べで勉強をしていました。そんな早い時間に道場に来る人はなかなかいないので、基本的に毎日一番乗りでした。夜までは残らず18時に帰っていましたが、私たちの勉強量は他の道場生より多かったのではないかと思います。
家に帰ってからはネット碁を打っていました。毎日7局前後打っていたと思います。このことに関して、洪先生に驚かれたことがあります。虎丸の対局履歴を見たらものすごく打っていてびっくりしたと。休む気がまったく見られない勉強の姿勢であることを、むしろ心配にまでなったそうです。私たちにとってネット対局は休憩みたいなものと感じていたので、どこに驚かれているのか理解していませんでしたが。
夏休みと言えば、どこか旅行に行ったり海や遊園地に遊びに行ったりするのが定番なような気がします。私たちはプロを目指し始めてからそういうものにあこがれることはいっさいなく、囲碁一筋でした。夏季特訓にはお盆休みがありましたが、私も虎丸も家でずっとネット碁をしていました。
また、夏休みの宿題に追われるというのも定番ですが、これに関しては両親が全面的に協力をしてくれました。レポートを整理してくれたり、美術館についてきてくれたり、作文を一緒に作り上げてくれたりと、私や虎丸の労力を極力減らしてくれていました。さすがに問題集を解くこと等は自分でやらされましたが、スケジュール管理はやってくれていたので非常にやりやすかったです。夏休み後半には宿題のことを気にせず囲碁だけに打ちこめる状態になっていました。ここまで囲碁の勉強をしやすい環境作りを徹底してくれていた両親には何回でも感謝します。
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8譜
91から、中央の白石をにらみつつ右下に絡みに来ました。白はうまく抵抗することができず、103まで進んでは勝負ありです。

振り返ってみると、白の虎丸の手には驚きや疑問を感じるところがありましたが、黒の許家元さんの方は良い手しか打っていなかったと感じます。黒の好局です。院生のレベルですが、入段試験がその中で行われるくらいですから当然上位はプロレベルかそれに近いくらいの実力があります。
許家元さんは院生に入ってから一直線で1位になるくらいなので、プロに近いレベルであり、この対局は当時の実力通りと言えるでしょう。虎丸はまだまだといったところだったので、勝ったら驚かれるくらいの実力差のある対局でした。

この対局のころ、中野杯という上位院生も予選に参加できるプロ棋戦がありました。20歳未満の人が参加できて、予選に院生は20人ほど選ばれて出ていました。私も虎丸も、この対局が行われた年と同じ2012年の第9回と、翌年の第10回で院生として予選に出ています。
記録を見返してみると、第9回のときは私も虎丸も予選の1回戦でプロに負けていますが、第10回では私は予選の2回戦でプロになった許家元さんに負け、虎丸は予選を抜けて本戦の1回戦で負けています。ちなみにその時の優勝者は当時初段の許家元さんでした。
第9回の予選の時のことなのですが、私の枠だけ対局日が1日ずれていました。他の15枠の予選が私の対局の前日に終わり、予選を抜けていた院生は一人だけでした。初めてのプロ棋戦だったので、私はかなり気合を入れて臨んでいました。対局相手の棋譜を並べまくって、どこが弱点かを探し出し、どういうふうに打てばその弱点をつけるかということを研究していました。
予選は夏休み中にありました。私はいつも通り8時過ぎに虎丸と一緒に洪道場に行き、10時に対局開始だったのでその30分前くらいまで棋書を読んで勉強をしていました。虎丸は私のことを全く気にせずに棋譜並べをしていました。他の早めに来た道場生には早く行ったほうが良くないかとか、リラックスした状態で臨むべきなのではないかとか、心配されていましたが。その対局はうまく打つことができ、相手の先生に検討でここをこう打たれたら投了するつもりだったと言わせるほどにまで追い詰めたのですが、負けてしまったのでとても悔しかったです。洪道場に帰ってからの検討でも途中まで私の完勝譜でむしろどうやって負けたのかという感じのことを言われました。
この時の話なのですが、週刊碁に対局相手の先生のインタビューが載っていました。そこには、私の対局に関して、悪いと思った場面はなかったといったようなことが書かれていました。
これを読んだ私と虎丸は、投了しようと思っていたと言っていたのに悪いとは思ってなかったのかと、つまり悪くないと思うけど投了するつもりだったということではないかと、面白がっていました。個人的には、優勝候補の先生を、参加院生の中で一番序列が下だった私があと一歩のところまで追い詰めたというふうなことを取り上げてもらいたいと思っていたので大変不満で虎丸に愚痴っていたのですが、ふざけあっているうちにどうでもよくなりました。今考えると負けたのに良く書いてもらおうだなんて虫が良すぎで、取り上げてもらえただけでも感謝しなければならないと思いますが、当時はそんなことはわかっていなかったです。
第10回の方では、予選は同じ日に行われたので、対局が終わったあと洪道場で検討をしてから虎丸と一緒に帰りました。虎丸が本戦まで進んだことを自慢してくるので、私も頑張ったことを主張し返していましたが、「1回戦であんなに危ないようじゃなあ」と言われてしまい、「うっ」と返すことしかできませんでした。それはともかく、本戦まで進んだ虎丸をとても応援していました。本戦の組合せ抽選結果が出る前も出た後も、一緒に虎丸優勝の道筋を妄想していました。この相手ならいけるだとか、この相手はきついからこの人に倒してもらおうだとかいった感じで、こういった架空に近い話をするのは結構好きだったのかもしれません。結果的には1回戦はかなりチャンスと見ていたところで負けているので、妄想のまま終わりましたが。
本戦の対局ですが、プロの棋戦なので平日に行われました。予選は夏休み期間中なので問題はありませんでしたが、本戦は学校が始まっていたので虎丸は学校を休んで対局をしていました。私の感覚だと学校を休んで対局をするのはかっこいいと思っていたので、少しうらやましかったです。そんな感じのことを虎丸に言うと、負けたのが悪いと言われ何も言い返せませんでしたが。

当時は虎丸と許家元さんは明確な実力差があったことが分かりますが、今は虎丸が追い付き追い越していると言っても過言ではないので、感動です。

103手まで以下略、黒中押し勝ち
 

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著者プロフィール

芝野 龍之介(著者)