パンからビールをつくりたくて、転職しました!(前編)|くらしの本棚

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パンからビールをつくりたくて、転職しました!(前編)

今年も日本ビール検定が9月29日(日)に開催されます。
今年で8回目を迎え、その受検者総数は23,881名。ビール検定をきっかけに、人生がどのように変化していったのか。この連載では、検定合格後の人生にスポットを当てて、合格者へのインタビューをお届けします。
ビールとの出会いが、人生を変えた瞬間!ぜひ、お楽しみください。

日本ビール検定の公式サイトはこちら

<梶山紀光さん>

プロフィール

・現在のお住まい →埼玉県鴻巣市
・家族構成    →妻、こども3人
・現在の職業   →会社員
・趣味      →マラソン、トライアスロン、チェス、農業
・自分PR    →身体の強化トレーニングで行っていたランニングスタイルが独自の進化を遂げて、いつの間にやらハダシで走るようになりました。大自然を肌で感じながら今では100kmを走ることができます。パンとビールとランの奥深さにはまっています!



編集部:はじめまして!梶山さんはびあけんに合格したことがきっかけで、ご自身のキャリアが大きく変わったと伺いました。

梶山さん:もともとはパン加工メーカーの研究員でしたが、今はクラフトビールの会社に勤めています。

編集部:パンからビールとは、大きなチェンジですね。

梶山さん:周りからは大胆だと言われますが、実はしっかりした理由があります。
パン加工メーカーで働いていたころ、パンの勉強をするために「パンシェルジュ検定」を受検しました。


それがきっかけで「日本ビール検定(通称:びあけん)」の存在を知りました。ビールも好きだったので、何気なく公式テキストを読んでいくなかで、衝撃的な事実を知ることになったのです!それは、今から約5000年前のメソポタミアでパンからビールをつくっていたことでした。

編集部:勉強するまで、知らなかったのですね。

梶山さん:繋がりがあることすら知りませんでした。自分がパンの加工メーカーで勤めていて、そのパンがビールの生みの親だった歴史があるとは、衝撃の事実です。

約5000年前の人々が(今で言うところの)ビールを見つけたときの感動は計り知れなかったでしょう。偶然の産物ですよね。想像の域ですが、長雨のなかでパンが水にひたひたに浸り、そこに妖精のささやき(酵母)が加わって、それを何気なく口にしたとき、口当たりが良いぞ?気分も楽しくなってきたぞ?とみんなで回し飲みをしたときの喜びと感動は計り知れないものがあったのでしょう。

そしてその営みである、ある特定の空間をつくれることは今も昔も変わらないと思います。しかもパンもビールも人間と相性が抜群に良かった。だからこそ、時代を超越しても淘汰されることなく愛され続けられているのだと思います。

編集部:パンとビールのつくり方は共通しますか?

梶山さん:どちらも、麦を原料に使います。酵母を使用しアルコール発酵をする工程も同じです。液体か固体かの違いで、とても親近感が湧きました。

編集部:パンをこよなく愛する梶山さんが、なぜビールづくりを目指したのでしょうか?

梶山さん:パンを愛するからこそ、パンからビールをつくってみたい!という夢を持つようになりました。またちょうどそのころ、会社の先輩に連れられていった居酒屋さんで「銀河高原ビール ヴァイツェン」を初めて飲んだのですが、これが、ものすごいインパクトでした。


銀河高原ビール ヴァイツェン



今まで飲んできたビールは黄金色で、キンキンに冷えたものが当たり前だと思っていたのですが、白く濁っていて、まろやかな味わいに、こんな世界もあるのだなと身震いさえしたほどで、ビールには「まだ見ぬ世界があるに違いない」と想像を掻き立ててくれました。
これが、ビールづくりを行うきっかけになり、クラフトビールの会社に転職させてもらったのです。



次回は、パンを仕事にしていた梶山さんが運命の出会いを果たしたビールで、どのように夢を実現していくのか?次回、お話をお聞きします。お楽しみに!


 

プロフィール

大登貴子(著者)
1970年北海道生まれ。サッポロビールに入社後、広報業務に従事。2012年、ビール文化を更に発展、普及させることを目的として「日本ビール文化研究会」を立ち上げる。現在、同会・理事事務局長。活動は、日本ビール検定(愛称:びあけん)主催、出版、セミナー開催など。びあけんは、本年で第8回となり、過去7年で約24,000名がチャレンジしている。今年は9月29日(日)全国5都市で開催予定。

びあけん公式HP