2019.06.03
戦国武将から学ぶビジネスに活きる“11”の企画 マーケティングは戦国時代にもあった!
時は戦国。度重なる戦いが続く時代に、戦国武将たちは天下の覇者になるため、生き残るためにさまざまな「企画」を実現してきました。それらにはデジタル全盛の現代ビジネスでも活かされ、役立つ知恵が満載なのです。
Illustration:高橋美紀
1.城をテーマパークにして人気を保つ「織田信長」
織田信長は、城を今で言うところのテーマパークにしていました。『信長公記』によると琵琶湖のほとりに安土城をつくったときには、入場料を取って、城内を見学させたという逸話も残っています。自慢したかったのかもしれませんが。さらに、城下の家々に灯りを配って、安土の町を夜間にライトアップしたイベントも実施しています。昔から地域の祭は存在していたのですが、それを城という自分の影響のおよぶ範囲で大規模に行うことで、新しい統治者を宣伝したのでしょう。
本社をユニークにするということでは、IT企業も多く施策をしています。古くはGoogleのビリヤード台から、最近ではDMMのプロジェクションマッピングされたオフィスなどもそうでしょう。共通していることは、訪問した人が面白いと思うこと、そして、中の人がそれを自慢できるという2点が大事なポイントです。

2.強い逸話でイメージアップ「加藤清正」
加藤清正は、熊本では伝説になっています。江戸期、熊本は細川家が納めていたにも関わらずにです。清正は大男だったと言われて、虎を退治したという逸話も残っています。おかげで、今でも祇園の料亭の遊びにある「とらとら」では、清正をモデルにした虎退治が残っています。
武将という職業ですから、強いというイメージが定着することは重要です。よいイメージを残すストーリーを残したということが後世まで語られる理由でしょう。
ソフトバンクの孫正義さんがミカン箱の上で演説を行ったという逸話や、スティーブ・ジョブズの演説のように後世に残るストーリーを考えるのもブランドを確立するための方法の1つでしょう。

3.名前をブランディングに活用「毛利高政」
九州の豊後の国(大分県あたり)、佐伯藩を治めた毛利高政という豊臣秀吉の部下だった武将がいます。秀吉の部下なのに、毛利という名前なのは、「あれ?」と思う人もいるかもしれませんが、実は改名しています。
もともとは森さんでした。ですが、九州の地を治めるにあたり、毛利のほうが強いイメージを持つので、秀吉が改名させたのです。もちろん、本家の毛利家の許可ももらった上でした。名前の持つ効果を最大限に発揮した武将と言えるかもしません。
企画においてネーミングはとても重要ですが、自身の名前もブランドですからね。普及させた自社サービス名に社名を変える会社も多いですが、そう考えると今も昔も同じなのかもしれません。
