第5回 台中を巡る旅の「こぼれ話」
2016.11.28
こんにちは。衣食住、暮らしに関するエッセイを書いている柳沢小実です。ご存知の方も、はじめましての方もよろしくお願いします。
これまで、普段は家でこもって原稿を書いたり、撮影をしたりと、家にいる時間が圧倒的に長かった私。それが、昨年出た書籍『わたしのすきな台北案内』の取材で、一年のうち2か月も海外で生活したことから、暮らし方や考え方、人とのかかわり方が大きく変わりつつあります。
人生80年だとすると、40才はちょうど折り返し地点。ゆるやかにやってくる身体の変化や取り巻く環境など、ままならないことも増えてきますが、その代わりに、大切な人たちのおかげで今の自分がいると感謝したくなるような出来事に、日々遭遇しています。
そんな私の、「半径100m日記」、ゆるゆるとしたお喋りにお付き合いいただけると嬉しいです。
新刊『わたしのすきな台湾案内』では、台北から足を伸ばして、台北近郊の街や台中・台南・高雄へも旅をしました。
その道中では、本には載せきれないほどの出会いや発見があり、台湾の多様性・多面的な魅力に触れて、さらに「好き」が深まりました。
これから2回にわたって、台中を巡る旅のこぼれ話をしたいと思います。
西螺へ
台中からさらに南西へと下ったところにある、雲林県・西螺(シールオ)へ足を運んだのは、歴史ある醤油工場に行きたかったから。
発酵食品に興味を持って、かつては自宅で醤油を仕込んだこともある身としては、台湾の発酵食品の歴史や現状は、ぜひ見ておきたいものでした(その西螺の醤油工場の様子は、『わたしのすきな台湾』で紹介しています)。
そんな雲林県は豊かな農作物に恵まれており、台湾の台所と呼ばれています。そして、西に台湾海峡があるため漁業も盛んです。
そのため、牡蠣や海老などの海産物をはじめ、黒にんにくやサトウキビ、豚肉なども名産で、台湾で生産されている人参の99%が雲林産なのだとか。
まずは、西螺老街へと向かいます。
(老街とは、清朝或いは日本統治時代に造られた、古くてノスタルジックな町並みのこと)
西螺老街では、歴史を感じさせる古い建物が大切に保存されており、歩く足取りも、いつの間にか緩やかになります。
古い建物では、かつて使われていた道具類を展示している文化館や古い映画館を見学し、アンティークショップで古いお皿を買い求め、軽食をつまんだりしながらのんびり歩きました。
ランチは「螺情懷舊冰釀滷味旗艦店」で。 ここは、120年の歴史ある乾物屋店主の自宅だった建物をリノベーションしたレストランです。
レストラン部分は清の時代(1895~1945)、その奥は日本統治時代、手前は1940年代に建てられました。ひとつの建物で三つの時代を感じることができます。
このお店の牛肉麺は、100年の歴史ある天然醸造の黒豆醤油を使用。
国際牛肉麺フェスティバル(2010)で優勝し、ほかにも沢山の受賞歴があります。台湾中部にあるお店が牛肉麺の賞をもらったのは初めてだそう。
私はトマト入りの牛肉麺が好きなので、ここでもトマトをセレクト。お肉が美味しくてスープは深い味わい。平たくて太い麺も食べごたえがありました。
SHOP DATA
「螺情懷舊冰釀滷味旗艦店」
雲林縣西螺鎮延平路74號
☎(05)587-9900
斗六へ
雲林県の東側に位置する斗六(トウリウ)。
まずは、駅前ロータリーから600m続く、台湾最長の「太平老街」を歩きました。
斗六の名前の由来は、原住民の「万歳!(ドンメン)」から。ここは昔、台湾原住民の平埔族が山から下りてきて商売をしていた場所だったそうです。
この老街では、古い建物のなかにいまどきの看板がつけられていて、テナントも近代的。そのため、街の雰囲気は今風です。
でも、上を見上げると日本統治時代に建てられた古い建物の名残が残っている。そのギャップを面白く感じました。
建物の上部には中国式のレリーフが見られます。そこには割れた陶器が埋め込まれており、それぞれ意味や願い事などがこめられています。
そして建物の中に入ると、こんな愛らしいタイルの床も残っています。
「凹凸咖啡館」でひと休み。
ここは1937年に建てられた、県で指定されている歴史的建造物です。
かつては教師などが住んでいた古い日本家屋で、取り壊されそうになったこともありましたが、古い建物を保存するためにカフェに生まれ変わりました。
建物の前面には広い庭があり、犬が走り回ったり、近所の人が顔を出したりと交流の場にもなっています。
食べ物やドリンクはハンバーガーやデザートなど洋風のメニューが中心で、どれも美味しかったですよ。
雲林はコーヒーの産地でもあるので、旅をしながらあちこちで飲み比べても楽しいでしょう。
SHOP DATA
「凹凸咖啡館」
雲林縣斗六市雲中街9巷12號
☎(05)533-9610