第1回 40才、台湾短期留学
2016.08.17
こんにちは。衣食住、暮らしに関するエッセイを書いている柳沢小実です。ご存知の方も、はじめましての方もよろしくお願いします。
これまで、普段は家でこもって原稿を書いたり、撮影をしたりと、家にいる時間が圧倒的に長かった私。それが、昨年出た書籍『わたしのすきな台北案内』の取材で、一年のうち2か月も海外で生活したことから、暮らし方や考え方、人とのかかわり方が大きく変わりつつあります。
人生80年だとすると、40才はちょうど折り返し地点。ゆるやかにやってくる身体の変化や取り巻く環境など、ままならないことも増えてきますが、その代わりに、大切な人たちのおかげで今の自分がいると感謝したくなるような出来事に、日々遭遇しています。
そんな私の、「半径100m日記」、ゆるゆるとしたお喋りにお付き合いいただけると嬉しいです。
「どうしてそんなに台湾が好きなの?」
ここ一年で、最も多く投げかけられた質問です。
その答えをなんとか言葉にしてみると、「食べることに正直で貪欲で、人懐っこくて情熱家な台湾と台湾の人に惚れ込んだ」と言えるのですが、それともう一つ、「新しい自分に出会いたくて」という理由もあります。
私が見た台湾の人は合理的で、新しいことを始めるときのスピード感が早くて(熱量もものすごい)、自分のことには夢中になるけど人のことにはあまりこだわらない。そのシンプルさがいいな、見習いたいなと感じています。
そして、台湾の暑さゆえか、喜怒哀楽をしっかり表現する彼らのおかげか、彼らといると普段のクールさ(と、外に出て初めて気づいた)をいつのまにか脱ぎ捨てて、行動的になっているのです。
台湾では私はもちろん外国人で、だから彼らと違っていて構わない。人の目を気にせずに自分自身でいられるし、自分自身でいるしかないから、リラックスできているのかもしれません。
もちろん今さら自分探しをするつもりはなくて、ありのままを受け入れて、そして昨日よりほんのちょっと今日を良くするために、このような時間が必要なのかもと感じています。
そう思いながら繰り返し通っているうちに、台湾人の友達も増えて、「中国語で彼らと話してみたい」「中国語の歌の意味が知りたい」「中国語の料理レシピを読みたい」などと思うようになりました。
でも実は、語学が大の苦手。小学校から英語教育を受けていたのにまったく身につかなくて、ずっと苦手意識がありました。
英語もできないのに、40才から、しかも中国語!? と葛藤もあったけれど、身につかなくても誰に迷惑をかけるわけでもなし、趣味のひとつとして気長にやってみるかと、昨秋ひょいっと日本で語学学校に入学してみました。
中国語と日本語のいちばんの違いは、発音の難しさです。日本語は口をあまり大きく開けず、発音も平坦なので、泣きたくなるほど苦労しているし、この年になって恥もたくさんかいています。
しょっちゅうくじけそうになるけれど、「語学は筋トレと同じ」と、ある人から言われて、逆にやりさえすれば誰にでもできるのがフェアでいいと思うことにしました。まぁ、頭の出来や向き不向きなどは大いにありますが……。
台湾で短期留学したいと考えたのは、語学学校に通いはじめてしばらくしてからのこと。
台湾を紹介する本の第二弾を出しませんか? と出版社からお話をいただいて、またしばらく台湾へ通うなら、せっかくならば台湾の語学学校にも通ってみたいと興味を持ちました。
本の取材がメインのために、台湾の語学学校に籍を置いたのは二週間。週末などを除くとたったの10日間でした。
レベルチェックテストを経て振り分けられたクラスの半分は韓国人、次に多いのは日本人、そのほかにオーストラリア人やドイツ人がいて、年齢は10代~40代が中心でした。
私はちょうどその頃、日本で通っていた学校が5か月目に入り、仕事との両立の難しさと勉強する時間を作れない歯がゆさ、優秀な面々から置いていかれる辛さで、「もう、学校やめちゃおうかな」と、挫折しかけていました。
台湾での授業は、英語で行われます。英語と中国語?そんなの無理!と最初は悲壮感を漂わせていましたが、中学生でも理解できる程度の簡単な英語でゆっくり教えてもらえるので、私でもしっかり理解できました。
逆に、漢字が書けてなんとなく意味もわかる日本人は中国語学習にかなり有利だと知って、授業を楽しむ余裕も出てきたほどです。
そんなこんなの二週間。結果的に中国語と英語を並行して学べたのも、思わぬ収穫でした。そして、在籍していたのはわずかな期間でしたが、語学を学ぶことに前向きになれたのも良かったです。もちろん、クラスの面々とは今でも交流が続いています。
一つの国にゆっくり滞在すること、同じ場所を繰り返し訪れること。友人関係と同様に、少しずつ育んで、深めていける旅のスタイルを、今、楽しんでいます。