コンテンツとしての「井戸の水」 事例詳細|つなweB

東京・神保町に開店した“ふつう”をあつらえる、ふつうじゃない定食屋。「まかない」「ただめし」「あつらえ」といったオープンな仕組みと、店主(女将)の想いに共感する人たちが日々集う“場”として、食事をメインに、新たな「価値」と「出会い」、「居心地の良さ」などを提供し続ける。 http://miraishokudo.com/
 

これは、未来食堂を始めてすぐ、初めて受けたインタビューが3万シェアを記録し、驚異的なバズとともに次から次へと届く取材依頼に疲弊していた時に、ある友人からもらったアドバイスです。

“動画”の話をしましょう。デバイス普及や通信環境向上に伴い、誰でも簡単な操作で動画を送受信出来るようになりました。特に動画投稿は、スマホ一つで出来るのでずいぶん敷居が下がっていると聞きます。個人でやっている小さなお店や、個人自体がスマホで日常を撮影してビジネスに繋げているのだとか。

例えば風呂屋が「ちょっとした風呂掃除のコツ」を動画で投稿してくれるなど、通常は隠されているプロの技が動画公開されるのは喜ばしいことです。元ITエンジニアの私にとって、「公開することでさまざまな人の手が加わり、より良いものになっていく」というオープンソース的な考え方はとても好ましく思います。“まかない”(誰でも50分手伝うと一食無料になる仕組み)を通じて飲食店運営のノウハウを惜しみなく公開しているのも、月次決算を公開しているのも、“動画”ではありませんが、通常は隠されているノウハウを公開するという意味では等しいでしょう。

再び話は冒頭の言葉へ。いつでもどこでも、何でも公開できる環境だからこそ、公開しているものが“自分”なのか“自分のつくったコンテンツ”なのかに注意する必要があります。“自分のつくったコンテンツ”で人を楽しませることができるうちは健全です。でも、意識しないとあっという間に井戸は枯渇します。水が出なくなり、売るものが井戸しかなくなると、とても危険な状態です。

非常に抽象的なアドバイスで申し訳ありません。ただ、もう何十回とメディアで“動画”撮影された(先週はテレビ朝日さんの特集に出ました)私が、動画ブームの今、一番伝えたいことなのです。

 

カメラを向けられると、“自分”に焦点が当たっているのか、“自分のつくったコンテンツ”に焦点が当たっているのか、意外とよくわかるものです。世の「もっと水を汲み出せ」という要望は、年々激しさを増しているように思います。疲弊しない程度に、程々に底なし沼でありたいものです。 

 

※この連載のネタ帳はGitHub Gistにて公開しています。
http://miraishokudo.com/neta/web_designing
内容についてご質問、アイデアのある方はお気軽に。

Text:小林せかい
東京工業大学理学部数学科卒業後、日本IBM、クックパッドで6年半エンジニアとして勤めた後、1年4カ月の修行期間を経て「未来食堂」を開業。自称リケジョ。その他、詳しいプロフィールは公開されている情報をご覧ください。 https://goo.gl/XpwnMQ
小林せかい
※Web Designing 2018年4月号(2018年2月17日発売)掲載記事を転載

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