そのFAQ、ニーズと合致してますか? 老舗旅館がAI導入で得た知見 事例詳細|つなweB

よくある問い合わせを視覚化できる

東京から特急電車で1時間台という好アクセスで人気の温泉リゾート地、箱根。多くの老舗旅館や大型ホテルがサービスを競う国内屈指の観光エリアで、ひときわ存在感を放っているのが「一の湯」グループだ。

一の湯では伝統的な木造建築の旅館から、近代的なリゾートホテルまで個性の異なる7カ所の宿泊施設を塔ノ沢や芦ノ湖などでチェーン展開し、2017年7月には仙石原に新館をオープンすることになっている。いずれも1泊2食付きで1万円台から、平日であれば素泊まり1万円未満のプランがあるなどリーズナブルな価格設定で、海外の観光客や旅慣れた個人やグループからの人気を集めている。

寛永七年(1630年)、箱根で創業した老舗旅館。箱根湯本駅から近い塔ノ沢エリアのほか、芦ノ湖や仙石原といったエリアにも温泉宿を営む

その一の湯がAIを利用したFAQシステムを宿泊業としては初めて導入したことで注目を集めている。だが、そもそもはAIの導入ありきで始めたことではないと、同社の広報を担当する福岡昭憲さんは語る。

「昨年(2016年)の11月頃の話ですが、8年ぶりとなる新館オープンのスケジュールが決定したことで、このタイミングに合わせて公式サイトのリニューアルも検討することになっていました。予約サービスなどネットからの申し込みがすでに7割を越していたことも背景にありました。その際に、知人の紹介でFAQシステムに利用できるAIを日本オラクルさんが提供していることを知ったのがきっかけです」

とはいえ、AIについて具体的なイメージはほとんど持っていなかったという福岡さん。実際の提案資料を読んでも「専門的な横文字が多くて最初は何ができるのかわからなかった(笑)」と当時を振り返る。

しかし、インバウンド需要が伸び、アジアや欧米などからの旅行者が増えている箱根地域では、事前に宿泊設備やサービス内容の問い合わせができるFAQシステムの導入は急務であったとも言っても過言ではない。

「特に外国からのお客様の場合は、サイト上で疑問を解決できるかどうかが宿泊先を選ぶ基準となりがちです。そのため、FAQには300近くのアンサーを日本語と英語で用意することになりました」

すでに予約の4割から半分近くが外国人観光客で占められることも珍しくなく、統計上は箱根を訪れる外国人観光客の約10%が一の湯グループのいずれかの施設に訪れていることになるという。

一の湯のFAQシステムは、数度の打ち合わせを経て、2~3カ月ほどの制作期間ののち2017年2月より運用が開始された。取材時点(3月中旬)では開始してから1カ月程度しか経過していないが、それでも検索ワードなどから多くの「気づき」が得られたと福岡さん。

「今までは7カ所の施設の問い合わせは、社内にある1カ所の予約センターでまとめて電話対応していたんです。もちろん、電話口でさまざまな質問に答えていましたが、その内容の頻度などはこれまできちんと把握できていなかったのが実際のところです。FAQシステムを開始したことで、こうしたお客様からの検索結果がデータとして“見える化”されたのが大きな成果です。そして、これまで用意していたFAQは、本当に“よくある”質問だったのかどうかという発見もありました」

人工知能を利用したFAQシステム
2017年2月にリニューアルされた一の湯公式サイトでは、「よくある質問(FAQ)」のページをこれまでの静的なWebページから動的に表示を変更するシステムに変更した。この表示の最適化にAIの機能が活かされている
オラクルのクラウドサービスを利用
日本オラクルのカスタマーサービス向けクラウド「Oracle Service Cloud」を利用してFAQシステムが構築された。数日の研修を受けることで従業員でも簡単にFAQの管理画面を扱えるようになるという http://www.oracle.com/jp/applications/customer-experience/

 

顧客の利便性と従業員の生産性を向上したい

実際に一の湯の公式サイトでFAQシステムを利用するには、トップページから「よくある質問」のページに移動して、検索欄に知りたいキーワードを入力し、場合によって宿泊施設やカテゴリによる絞り込みを行うだけだ。

検索エンジンではお馴染みのインターフェイスのため操作自体に違和感はなく、むしろチャットボットのような「AIらしさ」は前面に出ていないのが特徴とも言える。これも顧客が知りたい内容に最短距離でアクセスするための工夫と呼べるだろう。

AIを意識させないシステム
FAQページで質問文やキーワードを入力すると、関連度の高いアンサーから順番に表示される。質問内容によってはその他の検索も提案される仕組み。提示するアンサーの最適化にAI機能が用いられているので、外見上は通常の検索システムのようにも見える

ここまでのところ、FAQの中でも一番頻度の高い質問は「宿泊キャンセル」に関するもので、次いで食事の内容に関する質問やレストランの営業時間、アレルギー食材の有無やベジタリアンへの対応などがあり、これらは普段からよく聞く質問の内容とほぼ一致するものだという。意外なところではWebサイトのトップページにも記載されているはずの電話番号の検索もあり、そうした生の検索キーワードとの認識ギャップは、普段のサービス内容を振り返る上で貴重な検討材料にもなっているという。

もちろん、現段階ではアンサーの登録数がやや少なめなこともあり、どんなキーワードでも確実に検索結果を表示してくれるというわけではない。だが、実際に入力される頻度の多いフレーズを元にアンサーを増やしたり、改良することは比較的容易だという。

「データベース自体はクラウドにあるため、Webブラウザの管理画面から修正・追加することは簡単です。利用者が増えるとAIの機能で検索は最適化されていきますが、今後も質問に対する回答の精度を高めるようにしていきたいと思っています」

また、顧客サービスの向上というのがFAQシステム導入の第一義的な目的ではあるが、今後の展開によっては、従業員の情報共有としてもこのFAQシステムのデータベースは応用可能だと抱負を語る。

「将来的には、あらゆる情報を集積することでフロントでの応対などにもこれらのFAQシステムが有効に使えるようになると考えています。それによって従業員の“人時生産性”の向上にもつながると期待しています」

現在、一の湯グループの社員数は約100名前後で、各施設に配置できる人員は7~8名前後の場合もあり、必ずしも多いわけではない。しかし、同社では業務効率を把握するルールとして、全従業員一人1時間あたりの粗利益を示す「人時生産性」という指標を掲げている。この目標を達成するために徹底的なシステム化と顧客満足度のバランスを両立させることは、同社の経営理念でもあるという。

「もちろん、高度なAIシステムの導入には一定のコストがかかります。しかし、公式サイトの利便性が上がって宿泊予約まで行われる比率が数%でも高まれば、現在宿泊サイト経由で申し込まれる予約の手数料よりも下回る可能性があります。下がったコストを宿泊サービスの向上に回せますので、AI導入はとてもメリットのある投資だと考えています」

従業員マニュアルとしての可能性
複数の宿泊施設を持つ一の湯では、全施設共通のルールと施設ごとに異なる個別のルールが混在する。ベテランスタッフでも経験の浅いスタッフでも問題なく対応できるようにするために、FAQシステムを社内の運用マニュアルとして発展させていく考えもあるという
海外からの予想外の質問も多い
外国人宿泊客は入国してからレンタカーを使い旅行するケースが増えている。そのため「Parking」などのフレーズで検索される回数が当初の予想よりも多かったという。取材当日も宿泊客の約半数が海外からの個人・小グループ旅行であった
歴史ある旅館ならではのFAQ
塔ノ沢にある一の湯本館など、歴史の古い建物では階段が多くバリアフリーではない施設もある。だが、その古さ自体が魅力となっている側面もあり、「階段の手すりはどうなっているのか?」などピンポイントな質問も寄せられる
福岡昭憲_Akinori Fukuoka
一の湯 営業マネージャー
栗原亮
※Web Designing 2017年6月号(2017年4月18日)掲載記事を転載

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