チームでデザインして、最終的に良いものを作りたい―小久保浩大郎|WD ONLINE

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Era Web Architects プロジェクト

チームでデザインして、最終的に良いものを作りたい―小久保浩大郎

Era Web Architectsの今回のゲストは、GMOペパボ株式会社で執行役員(CDO)をされている、「kotarok」こと小久保浩大郎氏。フロントエンド開発から始まったキャリアからグローバル企業の経験を経て、さまざまなサービスを提供している事業会社で全体設計に関わる。今回は、ご自身のキャリアを通じて見えたこれから自分がしていきたいことについて語っていただきました。
(聞き手:坂本 貴史、郷 康宏 以下、敬称略)

小久保浩大郎 プロフィール

中学ではじめてMSXパソコンを買いプログラミングをし始める。受験勉強中に図書館でインターネットを知り、そこでWWWのコンセプトに感銘を受け、短期留学先の米国ではじめてインターネットに触れる。帰国後、ホームページを仕事にしつつ、インターネットコミュニティで同士と出会いbAに入社。自分がやりたいことを追求しGoogleに入社後、CAMPFIREを経て、現在はペパボに在籍。チームでデザインすることに取り組んでいる。


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同級生の家にMSXがあり興味を持ちました

坂本:学生のころは何されていましたか。家にパソコンはあったんですか。

小久保:小学生のときは、手当たり次第にモノを分解する子供でしたね。機械とかモノの仕組みを知るのが好きでした。ファミコンは、親戚のおじさんにゴルフの景品がわりに買ってもらいました。
中学受験をしたのですが、そのときに一緒に勉強をしていた同級生の子の家にMSX(パソコン)があり、めちゃくちゃ興味を持ちましたね。僕はなかなかファミコンも買ってもらえないときだったのですが、その子は自分でプログラムを打ち込んでゲームをしていたので、「これがあったらソフトなくてもゲームで遊べる」と思い興味を持ちました。

受験勉強もせず、コンピューター雑誌を読み漁る

坂本:コンピューターに対してはどういう関わりだったんですか。

小久保:結構のめり込んでいました。中学1年生のときにMSXを買ってもらって、プログラミングを見よう見まねでやっていました。コンピューター雑誌に印刷されているプログラムを見て打ち込んで、自分でゲームが動くかどうかを楽しんでいました。
高校に入ると、音楽にのめり込んでいったので少しコンピューターからは遠ざかり、専業ミュージシャンになろうと音楽の専門学校に行こうと思っていました。親に反対されたこともあり、結果東京の大学に入ることになります。小学生のときにファミコンを買ってもらった親戚のおじさんに、大学行くときにDTMがしたかったのでMacを買ってもらいましたね。

坂本:インターネットはいつから触れるんですか。

小久保:高校生のとき、受験勉強もせずサボって、図書館でコンピューター関連の雑誌を読み漁っていたんですが、そのときの雑誌にインターネットのことが書かれていたんです。WWWなどの説明があり「人類の知の共有データベース」というコンセプトに感銘を受けました。20歳くらいに、アメリカに半年くらい留学するんですが、そこで図書館に行ってはじめてインターネットを触りました。Netscape 1.0だったと思いますが、音楽系の情報ばかり見ていたと思います。
 

インターネットコミュニティでの強固なつながり

坂本:HTMLとかはどこで学んだんですか。コミュニティなど参加されていましたか。

小久保:アメリカから帰国後、大学のコンピューターのクラスでHTMLなどは学びました。当時から経験もあったので教授からの評価も高かったのですが、音楽ばっかりやっていたので途中で行かなくなってしまいましたね。帰国後、自分でもインターネットにつなげられるようになり、CSSコミュニティというのが流行っていてWeb技術系のクラスタのようなのがあり、Web日記をもとにしたコミュニケーションをしたりしていましたね。当時つながってた人たちと今でも繋がっています。

坂本:その流れからビジネス・アーキテクツ(bA)に行くことになるわけですね。

小久保:自分のWebサイトを更新するスクリプトを書いていて、HTMLの文法の解釈でわからないところがあったので掲示板で質問をしたときに、森田 雄さんとかが回答してくれて、交流がはじまりました。しばらくして、Web系のバイトをすると掲示板に書いたときに、「bAに来ないか」と森田さんに誘われたので行くことになりました。当時、bAは神様(中村勇吾さんとか)がいる会社というイメージがあったので、「こんなチャンスはない」と思い入社を行くことを決めました。
 

WWWの理想に近づくために入った会社

坂本:bAにはどれくらいいたのですか。

小久保:6年半くらいいたと思いますね。 なぜbAに入ったのかというと、憧れの人がいるというのもありますが、当時フロントエンドのコーディングの質にこだわっている人たちが世の中にあまりいなかったんです。高校生のときに感動した「人類の知の共有データベース」というWWWのコンセプトに、マークアップとか実装をきちんとしていないとアクセシビリティが担保できず(理想に)近づかないと思ったんです。
野良コミュニティとかでそういう人たちが集まっていたこともありますが、当時のbAは、日本のWebデザインエージェンシーではトップクラスでした。クライアント企業も超大手ばかりでしたので、そこにいて正しい実装とかをきちんとすることで、世の中に対していい方向に(理想に近づけるように)持っていけるのではないかと思って、行ったというのがあります。
 

グローバル企業のGoogleへ

坂本:bAから次に行くときはどういう流れだったんですか。

小久保:GoogleのWebマスター交流会に参加したときに、採用の話が進むキッカケになるんですが、アメリカでリーマンショックが起きてGoogle側から採用がストップになってしまい、半年間くらいニートをしていましたね。その間に、iAという会社にインターフェースデザイナーとして1年間在籍し、その後フリーでしばらくいて、Googleから再度連絡をもらい行くことになりました。
GoogleではWebマスターでした。同じポジションは50人くらいいました。まわりはバケモンみたいな人がたくさんいるなと思っていましたが、bAの当時と重なりましたね。
中では、グローバルな仕事を経験できました。あるイシュー(タスク)をするのに、アメリカチームから始まり、日付を超えて日本チームが続きをするといった仕事のやり方もありましたね。お店の中をストリートビューのように見えるようにするプロジェクトでは、ギャラリーサイトのようなものを企画から画面デザイン、実装までを一人でやるとかもやりました。 Googleにも6年半いました。途中、自分の仕事は何を軸にするのかよくわからなくなった時期もありましたが、結果IA(情報設計)だと思いました。
 

チームでデザインしていきたい

坂本:そこから次にまた転職するわけですよね。

小久保:Googleにいたときに、2つ難しさを感じていました。1つは、抽象的な会話における英語力の壁みたいなのが現れてきて、まわりにいる優秀な人と同じレベルで英語で議論するのが大変だと感じたところです。もう1つは、帰属意識が高まりすぎてしまい、日本人というより企業に属している感覚のほうが大きくなってきてしまったんです。日本で起きていることがなぜか他人事のように思えてきていました。
受託ではいろんな企業をクライアントとして仕事できますが、事業会社にいるとインプットの幅が狭まります。ずっとそこにいると他所で使い物になるのかといった漠然とした不安も高まり、そのタイミングで転職しました。それがCAMPFIREです。

坂本:CAMPFIREはどうでしたか。ペパボでは何をしていきたいですか。

小久保:(CAMPFIREは)カルチャーショックでしたね。仕事の会話が(ある意味)フワフワしていました。ハイコンテクストすぎるんだと思いますが、言わなくても通じている感じで仕事していました。ただ、入る前と後とでギャップがあり、思うようにできなかったところはありました。そんな中、数社からお声がけいただいた1社がペパボで、久しぶりに栗林さんからも直接お誘いを受けて入社しました。
やろうとしていることは「チームでデザイン」です。これまでしてきたいろいろな仕事や学びを振り返ったとき、最終的に良いものを作りたいことはもちろんですが、自分ひとりで全部はできないと思ったんです。そこでチームでやるしかないと思い、すばらしい人たち一緒にやることで、自分が思う最終的に良いものを作りたいと考えています。
 

変革の可能性を秘めているものに惹かれる

 郷:もし今2021年に20代だとしたら、どんなことをしているでしょうか。

小久保:もしかしたら、「ビットコイン」とかにハマっているかも知れないなと思います。僕が高校生のころにWebとかインターネットに感動したのと同じくらい、変革の可能性を秘めていると思いますね。Webとかインターネットが確実に次の時代を変える何かだろうというのは当時最初から確信みたいのがあったんですが、ビットコインみたいなクリプトカレンシーにも同じようなものを感じます。
人類の価値交換の基本システム(根幹)がパラダイムシフトしていくことは、人類の情報通信のレベルを一段回ギアアップしたインターネットやWebが起こしたことと同じポジションに見えてきます。20代だったらそこに関わると思いますね。
 

楽しむこと、楽しいと思えるくらい深く突っ込んでいくこと

坂本:Webやインターネット業界に対してメッセージをいただけますか。

小久保:「楽しんでください」くらいしか言えないですね。楽しむことは何より重要だと思うんです。明日どうなるかもわからないので、楽しくないと損なんです。これまでもいろんな人を見てきましたが、同じことをやっていても辛そうな人もいるし楽しそうな人もいるわけです。ほんと「楽しんだモン勝ち」という言葉は真理だなと思っていて、どう楽しく取り組むかは自分の姿勢次第だと思うんです。
「楽しむ」の一部に「学ぶ」というのがあると思うんですが、学ぶことは楽しいことだと思います。そういうものの見方で何にでも取り組んでいくことで、何をやっていたとしても、人生の時間を意味のあるものにできるのではないかと思いますね。
楽しむということと、楽しいと思えるくらい深く突っ込んでやっていけばいいと思います。
 

この記事は、オンラインインタビューを抜粋して書き起こしています。インタビュー全編をご覧になりたい方、ぜひYouTubeチャンネル「Era Web Architects」をご覧ください。
Era Web Architects オンライン #19(ゲスト: 小久保浩大郎)
https://www.youtube.com/watch?v=xG6rgmwSEUg

Era Web Architects プロジェクトとは

『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。


・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
・公式Youtubeチャンネル (https://www.youtube.com/channel/UClJ4OvlhOzkWwFhK-7NJ0CA)
・Facebookページ (https://www.facebook.com/Era-Web-Architects-100739284870438)

インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。

郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。