ヤマハ株式会社 ー SNS時代、トリセツはマーケティングの要にもなる
すべての商品の使用説明・取扱説明書(トリセツ)に適用される国際規格「IEC82079-1」では、Web化を進めるにあたり、企業が遵守すべき要求事項が明確に定義された。企業は同規格をガイドラインにすることで、Web化によって発生するリスクを回避しながら、Web化によるさまざまな可能性にチャレンジできるようになった。
ヤマハ株式会社(以下、ヤマハ)は、顧客とのコミュニケーションへの構築にWebの活用をいち早く進めている企業の一つだ。トリセツは製品活用のための情報だが、同社はそれを中心にして、広報やWebマーケティング部門と大きな輪を描くことで、商品の価値向上、消費者とのエンゲージメントの強化、サポートの向上などにチャレンジし、大きな成果を上げている。
本社の意思でグローバルのFacebookページをつないでいく
ヤマハの日置 猛氏は、ライブ会場や人が集まるホールなどで利用されるPA機材、いわゆる「プロオーディオ製品」のWebマーケティングを担当している。
「最近は音楽用途のPA機材だけでなく、レストランや商業施設用音響機器、映像業界向けの音響機器など、市場の広がりとともに製品群も多岐に渡るようになってきました。そのため、従来に比べて格段に幅広いマーケティングが必要となりました」(日置氏)
Webコンテンツへの集客については、Facebookが果たす役割が大きいという。たとえば昨年11月に、デジタルミキシングコンソールのフラッグシップモデル「RIVAGE PM10」を発表したときのことだ。まったくの新商品のため、さまざまな層の顧客にリーチする必要があり、バナーの掲出や専門サイトへの露出など、多くの誘導施策を実施したのだが、コンテンツへのアクセスのうち、ほぼ半数にあたる47.1%が、Facebookからのものだという結果になった。楽器・音響開発本部 マニュアル制作室の石川秀明氏は、「ヤマハPAのユーザー層とFacebookの典型的なユーザーは重なる」という。「私たちの顧客の多くが、仕事でもプライベートでもFacebookを活用する典型的なアクティブユーザーだということかもしれません。この業界では、Facebookでのやりとりを通じて新しい情報に触れるということが、かなり多いと感じています」(石川氏)
そう語るとおり、ヤマハは国内だけでなく、約30ある海外拠点でも積極的にFacebookページを活用しており、その数はすでに100を超えている。運用については、本社からコンテンツの材料となるネタや運用ルールなどを提供し、緩やかなコントロールを行っている。しかし、ここに至るまでには試行錯誤があったという。
「最初は各国の拠点が自分たちの声で新製品の情報を発信したいと、どんどんFacebookページを作っていましたが、多くの場合、公開から2、3週間ほど過ぎたあたりから投稿数が少なくなり、だいたい1カ月ぐらいで更新が止まってしまうんです」(日置氏)
商品に詳しいスタッフの少ない現地法人で、継続的に凝ったコンテンツを提供するのは容易ではない。そこで、本社サイドから専門知識が必要なコンテンツやプロモーション用の画像、製品写真などを提供し、現地法人の裁量でその地域にあわせた展開をしてもらうという方法に切り替えた。
「ラテン系の国では、驚くほどカラフルに再加工されてしまうこともある」(日置氏)というように、それぞれの地域に合わせた情報の出しかた、現地の言葉で語られる内容のほうが、より顧客に近いメッセージになる。こうして、これまで勝手に乱立していたFacebookページが本社の意思をもってつなげられていくことになった。
約半数を占めるFacebookからの流入
ヤマハ コマーシャルオーディオジャパンのFacebookページ
ガイドライン策定でWebメディア活用を活性化
ところで、企業によるSNS活用においては、情報統制や機密情報管理、法令対応などの懸念から、制約を設けることが多い。ヤマハの場合はどうなっているのだろう。
「SNSのガイドラインは全社ですでに用意されています。たとえば『担当者がソーシャルメディアにおいて発信する情報は、ソーシャルメディアの持っている特性上、すべてを確認してから発信するわけではありません。その点で必ずしもヤマハの公式発表・見解を表しているものではありません』という前提。それが明記されてないと公開できないなど、細かい条件があり、ガイドラインがさまざまな事態を吸収できるものになっています」(石川氏)
実はこのSNSガイドラインは、8年前に石川氏自らが立ち上げた製品ブログの経験から得たノウハウを反映して作られたという経緯がある。
「Webマーケティングの可能性が大きく期待されていた頃なので、ガイドラインがなにもないなかで、自由にやらせてもらいました。そうしてさまざまな経験を積むなかで、その経験を運用側の立場で明文化していきました。それがガイドラインの元となっているため、運用者側にとって動きやすいものに育ちました。制限ではなく、目的はあくまでもユーザーに寄り添うための手段をどう育て上げていくかということ。それを意識していくことが大切だと思います」(石川氏)。
ガイドラインを策定する過程で勉強会や担当者会議を盛んに行ったことで、ソーシャルメディアへの取り組みについて議論する文化も社内に根付くことになったという。
エンゲージメント率を計測しながら成長した「ヤマハ音楽部」
一方、株式会社ヤマハミュージックジャパンの岡田 賢氏は、Facebookページ「ヤマハ音楽部」の運営を担当する。これまでブログ、Twitter、YouTube公式チャンネルと、さまざまなソーシャルメディアを担当してきた。Facebookページに取り組んだのは3年前からだ。ヤマハ音楽部は「地道に1万人を目指す」(岡田氏)ことを目標に始めた。メーカーサイドの情報発信は、とかくキャンペーンや新製品の情報などを一方的に出してしまい、ユーザー目線を忘れがちだ。そう考えた岡田氏は、まずさまざまなタイプの記事をつくり、Facebookページのエンゲージメント率を計測していった。従来のWebでも、たとえば「音楽教室」という言葉がよく検索される時期など、全体の傾向を把握することはできたが、「誰が、いつ検索をしているか」というところまで把握できなかった。それがFacebookページだと、誰がいつ、どの記事を見ているのかまでを把握することができる。そこで、1日3投稿、夕方、夜、深夜などと時間を決めて投稿をし、何時にどのジャンルの記事を出せば効果的かを探し続けた。その結果、「クラッシックのネタは日曜日の朝7時に出すともっとも読まれる」といったように、曜日や時間帯に応じたユーザーの行動をおおよそ把握することができるようになった。
また、経験的にFacebookページへの効果的な投稿の仕方もみえてきたという。たとえば「プロモーションは1回で勝負しない」というもの。最近成功した例としては、ベルリンフィルの首席ホルン奏者シュテファン・ドール氏によるヤマハホールでのリサイタルの告知がある。
「『ベルリンフィルの主席奏者が来ました』と言っても、顔を思い浮かべられる人はなかなかいないでしょう。そのため、告知は1回の投稿だけでは成功しません。でも、3回の投稿によって勝つ方法はあるんです」(岡田氏)。
岡田氏は実際に、1回目は楽器の豆知識が集まっている「楽器解体全書PLUS」の記事から引用して、ホルンは世界一難しい楽器であることを紹介。2週間後には、ホルンの上手い人と下手な人では身体の使い方が違うというユニークな情報を公開。そして3回目でようやく、一流のホルン奏者が来日しますという告知を行った。この方法によって大勢の人を集めることができたという。
もう一つ重要なのは、コンテンツの書き方だ。
「ただ『新しいトランペットが出ました』と書いても、ユーザーはその違いがわかりません。そこで担当者にマウスピースの形状が変わって吹きやすくなっているということを聞いて、Facebookで伝えました」(岡田氏)。
Facebookページのよいところは、相手が明確であるということだ。Webで製品ページを作るときは、どちらかといえば万人受けするようにつくるが、Facebook場合はターゲットをピンポイントに絞った書き方ができる。
「たとえばミキサーを紹介する記事でも、プロ向けと一般向けの製品では、書き方を変えてみます。プロ向けには『ミキサー』と書くけれど、一般向けには『たくさん音があってそれぞれをマイクで拾うときに使う機械です』というように変えています」(日置氏)。
こういった努力が実り、ヤマハ音楽部はfacenaviの「話題の企業/ブランドランキング(率)」で、3週間1位をキープすることができた。このことが社内へのアピールにもつながり、ヤマハ音楽部とPAのマーケティング部門とで定期的に会議を開き、連動してコンテンツを展開するようになっていったという。
ヤマハ音楽部のFacebookページ
効果測定の一つの指標となるfacenavi (フェイスナビ)
Webはトリセツとマーケティングをつなぐ
ソーシャルメディアによる情報流通が成果を上げるなか、ヤマハでは、ニュースリリースもWebに掲載することを前提とした書き方に変ってきているという。
「昔のニュースリリースは、まさにプレス向けの文章で書かれていましたが、現在は一般の方が読んでもわかりやすい表現であるよう気をつけています」(石川氏)
広報や広告のライティングとテクニカルライティングが融合してきているのだ。
「以前、トリセツでの製品の特長や説明文をニュースリリースでも使おうという取り組みをしたことがありました。ユーザーからみると、新製品の情報をニュースリリースで知り、そこに書かれている言葉でトリセツを読むことになるため、製品コンセプトがぶれることなく伝わようになりました」と、石川氏は説明する。
冒頭で紹介したIEC82079-1のような国際規格によって、トリセツのWeb化がやりやすくなった。「トリセツとWebマーケティングの両方を前提として、どう情報を伝えていくか。さまざまな仕掛けができそうで、これからの可能性が楽しみです」と石川氏。従来はトリセツ、広告、カタログ、それぞれが独立して管理されてきたが、これらが一つの大きな輪でつながる。ヤマハとして、顧客に一体感をもった情報を提供できれば、そのメッセージの強さは最大のものになる。
すでにヤマハでは、商品の発売と同時にトリセツをWebサイト上で公開し、プレスリリースと連動させている。Webで扱いやすくするために、トリセツの文章も1文をできるだけ短くするよう、心がけているという。
「たとえば、発売後すぐに顧客がマニュアルを読んで、そこから詳しい情報をSNSで流すということもありえます。こういうときには文章が引用され、加工される可能性も高いのですが、そのときに文章がすっきりしていればいるほど、そのまま流れる可能性が高い。つまり、間違った情報が流通しなくなるのです」(石川氏)
音響営業統括部の市川智一氏は、「Facebookページでのトーン&マナーを揃えようというところはもう越えていて、各プロダクトの現場でも、書き方を統一していこうという動きになっています」と説明する。そして、その役割を担うのは「トリセツの仕事だと思う」と石川氏は加える。
「結局、ソーシャルメディアの担当者はトリセツの情報をもとに記事をつくっていくわけなので、トリセツで使う言葉が的確であれば、それをそのまま使うことができるんです。製品のことを一番多く語っているのはトリセツなので、『トリセツに書かれた文章がどこでも使えるような文章になっている』ことがもっとも大切なわけです」(石川氏)
「ユーザーに寄り添うさまざまなメディアのなかで、再利用しやすいということが重要な意味を持つ」と市川氏。そうなると原点回帰だという。
「やはり『一文一意』という、テクニカルライティングの原点に戻ってきます。今の時代だからこそ、そういったことが大事になってくるのです」(石川氏)
テクニカルライティングに求められてきた役割や考え方が、ソーシャル時代においては、ユーザーを巻き込んだマーケティング手法としても機能する。そんなことを実感させられるヤマハの取り組みだった。トリセツが中心となる情報の輪に
テクニカルコミュニケーションシンポジウム2015
共感のテクニカルコミュニケーション
〜誰のために、何のために、どうやって〜
- 【東京開催】
- 2015年8月25日(火)、26日(水)
場所:工学院大学(新宿)/基調講演者:佐藤尚之氏 - 【京都開催】
- 2015年10月7日(水)~9日(金)
場所:京都リサーチパーク/基調講演者:西村貴好氏
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