【今日は何の日】1971年、大山康晴が名人13連覇!|将棋情報局

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【今日は何の日】1971年、大山康晴が名人13連覇!

55年前の今日、第30期名人戦七番勝負第7局が行われ、大山康晴名人が挑戦者の升田幸三九段を退け、13連覇を達成しました。同記録は名人連覇記録で歴代1位です。

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大山にとっての初めての名人戦

1940年に四段昇段・プロデビューを果たした大山と名人戦の付き合いは非常に長いものです。

戦時中は大山に限らず多くの棋士が出征しており、当時の将棋大成会(現在の日本将棋連盟の前身)はそうした棋士たちを無条件に昇段させていました。出征すれば生きて帰れないであろうことを鑑みた対応でした。

1944年に召集令状を受け取った大山でしたが、運よく生還します。戦後に復員して棋士としての歩みを再開した大山は、新たに創設された第1期順位戦の段位別予選に六段として参加します(その結果をもって、第2期でのA・B・C級のいずれかのクラスに振り分けられる仕組みでした)。大山はA級昇級こそ逃しますが、翌年は名人戦挑戦者となります。

なぜB級の大山が挑戦者になれるのかと思われる方もいるかもしれませんが、当時の挑戦者決定戦はA級の1~3位とB級1位の4名でトーナメント戦を行うという、現在の竜王戦挑戦者決定トーナメントに近しいシステムが採用されていました。

第2期順位戦でB級1位となった大山は第7期名人戦挑戦者決定戦で勝ち抜き、決勝でも升田を退け(高野山の決戦)、塚田正夫名人に挑戦します。当時25歳での名人挑戦は当時の史上最年少記録でしたが、結果は2勝4敗で名人には一歩届きませんでした。

初めて名人位についたのは第11期名人戦。当時の名人は木村義雄で、大山が木村に挑戦するのは2度目。1度目は2勝4敗で後塵を拝しましたが、この11期では4勝1敗の圧倒的な戦績で奪取。29歳での名人獲得はこれも当時の史上最年少記録。大山の実力を実感した木村が「よき後継者を得た」と発言したことはあまりにも有名です。

初の名人位についた大山は当時29歳。(『将棋世界』1947年9月号)

そして七番勝負決着からわずか1か月後、木村は自身の引退を表明したのでした。

永世名人の獲得、そして不敗神話へ

その後、大山は5連覇してあっさり永世名人(十五世名人)資格を獲得。この間、大山はカド番にすら追い込まれていません。

しかし第16期名人戦で升田幸三二冠に敗退。升田の棋界初三冠独占を許します。

ところが大山もこれで終わる棋士ではありません。王将・九段といったタイトルを升田から立て続けに奪取し、1959年には升田を破って名人に復位、棋界2人目の三冠独占を果たします。

この時点で永世名人資格も持っていた大山に言うのも変ですが、大山名人の無敗神話はここから始まります。

1960年創設の王位戦、1962年創設の棋聖戦でも各タイトルを獲得して史上初の五冠王となります。

五冠達成の年の大山。かねて「年の数だけ優勝したい」と語っていた大山は、この年ついに獲得したカップの数が年齢を超えたという(『将棋世界』1963年4月号)

あまり知られていませんが、大山はその後4度にわたって五冠を達成しています。

特に名人戦における大山の勝ちっぷりは別格でした。升田はもちろん、加藤一二三、丸田祐三、二上達也、山田道美、有吉道夫、灘蓮照といった強豪たちが挑戦者として名乗りを挙げますが、大山は彼らを次々と退けていきます。

そして第30期名人戦で升田の挑戦を退けた大山は13連覇、通算18期獲得を達成。これは達成から55年たった現在も破られていない金字塔です。しかもこの間で大山がカド番に追い込まれたのはわずか2回だけ。「鉄人」の異名にふさわしい異次元の大記録と言えるでしょう。

長年のライバルにして兄弟子の升田(写真右)を退け、13連覇を達成した大山(写真左)。フルセットにもつれ込む大激戦となった。(『将棋世界』1971年8月号)

新世代・中原誠の台頭、大名人がみせた意地と強さ

しかし大山の名人不敗神話もここまでとなります。

翌年の第31期名人戦で挑戦者となったのは、当時24歳の中原誠。既に棋聖・十段のタイトルを獲得していた中原は、当時大山以外で唯一のタイトルホルダー。しかも直近の第22期王将戦では大山からタイトルを奪取しました。そんな中原はこの年、順位戦史上初となるA級全勝という快挙を引っ提げて大山へ挑戦したのでした。

フルセットにもつれ込む激戦を制したのは中原。

合計18年間にわたって大山とともに歩み続けた名人位は、ついに次世代に受け継がれたのです。

ついに名人を明け渡した大山(写真右)。中原(写真左)の台頭は新時代の幕開けだった。(『将棋世界』1972年8月号)

結果的には、大山が再び名人を獲得することはついにありませんでした。

しかしながらその後も2度にわたり挑戦権を得ているほか、69歳で亡くなるまでA級順位戦から陥落しなかったことからも、大山は最後の最後まで名人位を諦めたことがなかったことでしょう。

大山の成し遂げた偉業は、失われることのない執念と強さは、いまでも多くの棋士やファンに勇気と希望を与え続けています。

 

それではまた!

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著者

矢島遼大(著者)