2026.05.20
【今日は何の日】2017年、佐藤天彦名人がPonanzaに2連敗、叡王戦がタイトル戦へ
9年前の今日、第2期電王戦二番勝負第2局が行われ、佐藤天彦名人(肩書は当時)の2連敗という衝撃の結末で幕を下ろしました。電王戦の予選である叡王戦は同日をもって8つ目のタイトル戦に昇格しました。なお、本記事における棋士・女流棋士の肩書はいずれも当時のものです。
プロ棋士がコンピュータに負けた日
2007年のことです。大和証券杯・最強戦の創設を記念し、渡辺明竜王とコンピュータ将棋ソフト「Bonanza」(以下、ボナンザ)とのタイトル戦が実現しました。当時のコンピュータ将棋の実力はせいぜい奨励会有段者程度と思われていました。ところがボナンザは、実際の対局で時の竜王をあと一歩というところまで追い詰めたのです。辛くも渡辺が勝利しましたが、世間はこの頃からコンピュータがプロ棋士を負かす日というものを現実的に、そして危機感をもって考えるようになり始めました。
そうした高い関心を受けて日本将棋連盟は、かねてより禁止していたプロ棋士のコンピュータとの公開対局を一部解禁、株式会社ドワンゴの主催で電王戦創設と相成ったのです。
第1回電王戦は女流棋士の清水市代女流王将、当時の日本将棋連盟会長にして自身を「引退棋士の代表」とした米長邦雄永世棋聖が登場しますが、いずれも人間側の敗北という結果に終わりました。
そして第2回ではついに現役のプロ棋士が登場。しかしその結果は歴然でした。第1局で阿部光瑠四段は習甦(開発者:竹内章)に勝利したものの、第2局で佐藤慎一四段がponanza(開発者:山本一成)に敗北しました。公の場で現役のプロ棋士がコンピュータに平手で負けたのは歴史上初めてのことです。その後、第3局は船江恒平五段が敗北、第4局は塚田泰明九段は持将棋の引き分け、第5局の三浦弘行八段は敗北しました。五番勝負としては棋士の1勝3敗1分けという圧倒的な結果になりました。特に三浦は当時A級棋士の1人。コンピュータ将棋が人間を完全に超える日が刻一刻と迫ってきていることが予感されました。
続く第3回でも棋士側が負け越しとなり、その予感はさらに色濃いものへと変わっていきました。
転機となったのは第4回です。元々「将棋電王戦FINAL」と銘打たれていたこの回で、初の棋士側の勝ち越しとなりました。話題になったのはもちろん棋士側が勝利したのは第1・2・5局です。そのうち第1局こそ斎藤慎太郎五段の完勝でしたが、第2局の永瀬拓矢六段戦はコンピュータ側がバグを起こして王手放置の反則負け、第5局は阿久津主税八段がコンピュータがタダ取りされるところに角を打ってしまう局面に誘導し勝利したのです。人間がコンピュータに意地を見せるとともに、課題を突きつけたのがこのシリーズだったといえるでしょう。
電王戦が昇格、最後の戦いへ
2016年、電王戦は大きく変わりました。前年から行われていた叡王戦(主催は電王戦と同じドワンゴ)を勝ち抜いた棋士1名が代表として、将棋ソフトと対戦することになります。それまでの電王戦に登場する棋士は、主催者側からのオファーを受けてのことだったと思われますが、当時の叡王戦は全棋士参加でなかったとはいえ、この違いの意味するところは大きなものです。
第1期叡王戦の優勝者は山崎隆之八段。150名以上の棋士のトップとして電王戦に登場した山崎でしたが、二番勝負の結果はponanzaの2連勝で幕を下ろしました。当時の風潮として、もはやコンピュータ将棋が人間を超えたという事実は暗黙の了解になりつつありました。それまでの電王戦においては、棋士が負けることがあったとしてもタイトルホルダー級のトップ棋士なら遅れを取ることはないとする向きもあったのですが、この頃からそれすら危ういのではないかという認識はアマプロ問わず広がりつつあったのです。今思えば、そんな将棋界はトップ棋士がコンピュータに負けるという象徴的な瞬間を待ち望み、またそれをもって次の時代を迎えようとしていたのかもしれません。
そして第2期、これが本当に最後の電王戦の開催となりました。実質予選となる第2期叡王戦は前期は不参加だった羽生善治三冠の参戦などで注目を集めましたが、優勝したのはその羽生を準決勝で破った佐藤天彦名人でした。佐藤は前年に羽生から名人を奪取し、その年は稲葉陽八段を相手に初の防衛戦に臨んでいるところでした。400年の歴史をもつ名人の名を冠する棋士と、人間を超えんとする最強コンピュータ将棋ソフトの一戦がついに実現したのです。
栃木県の日光東照宮で行われた第1局。先手Ponanzaは初手▲3八金から序盤に3六歩を取らせる、当時としては常識外の構想を披露。結果はわずか71手でPonanzaの勝利となりました。時の名人を相手に圧巻の指し回しで、内容としては完勝といって差し支えないものでした。
そして2017年5月20日、つまり9年前の今日、運命の第2局が兵庫県の姫路城で行われました。
先手佐藤の▲2六歩に後手△4二玉のまたしても意表の出だし。そこから佐藤は角換わりに誘導して早繰り銀で速攻を図ります。これは後手の4二玉型をとがめる構想で、AIによる研究が全盛を迎えた今日においても、角換わり早繰り銀に対する4二玉型の分が悪いとの見方は覆っていません。間違いなく序盤は先手の佐藤がポイントを稼ぐことに成功していました。
しかし、ここから佐藤が穴熊を組む構想に転じたことで少しずつ形勢の針はPonanzaに触れていきます。ポイントを稼いだらさらに堅陣を組んで優位を拡大するという考えは、平成期の将棋の常識ともいえる考え方だったのですが、それが仇となりました。佐藤が堅陣を組み上げる間にPonanzaは攻撃態勢を構築。Ponanzaからの先手陣の隙を突く角打ちが炸裂した頃には、形勢は既に後手優勢になっていました。そして94手目の△4四金を見て佐藤が投了。今後も語り継がれていくであろう、コンピュータVS人間の最終決戦は時の名人の2連敗という形で幕を下ろしました。
叡王戦がタイトル戦へ昇格、将棋界は新時代へ
同日をもって電王戦は終了、実質的な予選だった叡王戦は、8つ目のタイトル戦として昇格となりました。新タイトル戦の創設は王座戦以来の38年ぶりのことでした。
いまの目から見て、コンピュータVS棋士が盛んに争われたあの時期はどのように映るでしょうか。
近年ではAIを研究に用いないという棋士はほとんど皆無となり、AbemaTVを始めとする各棋戦中継はAIによる評価値を提示することがスタンダードになり、もはやAIは将棋界の発展になくてはならないものとなりました。
昨今では生成AIの発展で人間の仕事が代替されてしまうのではないか、シンギュラリティ(技術的特異点)はいつなのかといった話題が尽きません。そんな社会に将棋界は「人間とAIの共存モデル」として1つの形を提示しているといえるのではないでしょうか。
もちろん将棋とは比べ物にならない複雑性をもつ実社会との比較は簡単ではありません。しかし、少なくともAIがいくら発展しようとも人間の価値は失われないという証明をすることができているのは、将棋界が本気でコンピュータ将棋と向き合ってきたあの日々があってこそのことです。
そして藤井聡太四段がデビューから29連勝を成し遂げ、空前の将棋ブームを巻き起こしたのもこの年。
電王戦が決着した9年前の今日は、そして叡王戦の開幕は、将棋界新時代の序章だったのです。
それではまた!
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