2025.01.06
文士の街・阿佐ヶ谷で将棋朗読会に密着「野田澤彩乃女流初段の挑戦」
【取材】田名後健吾
お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中
8月某日―。都内某所の商業施設の一室のテーブルに、2人の女性が真剣な面持ちで向かい合って座っている。一人は講師、もう一人は生徒。それぞれ手に持っているのは、ある文豪の随筆のテキストだ。朗読教室の稽古の風景である。
講師「では、もう一度、最初から読んでみましょうか」
生徒「はい。《将棋はとにかく愉快である・・・》」
講師「あっ、そこはつなげないで《将棋は》で切って《とにかく愉快である》はお客さんの顔をゆっくり見ながら読むと伝わりますよ」
生徒「《~家来が(戦争ばかりしている)王の気持ちを転換させるために発明したのが、将棋だというが……》」
講師「うーん、ここは例え話だから、そんなに重々しくなくても軽やかに読んでいいところだと思うんだけれど。ちょっと私が読んでみますね」
![](/files/user/202412261105_1.jpg)
生徒の名前は、野田澤彩乃女流初段。講師はフリーアナウンサーで朗読家の中村雅子さん。将棋ファンには中村修九段の奥様といえばお分かりだろう。
野田澤女流初段は、中村さんが主宰する朗読教室「雅の会」の生徒で、定期的に開催されている、教室の発表会に出演している。この日は、10月に阿佐ヶ谷の某カフェで開催が予定されている、将棋をテーマにした朗読会「将棋を愛した作家たち」に向けてのマンツーマンの稽古日だった。読み上げていた作品は、文豪・菊池寛の随筆『将棋』である。
稽古を終えた、お二人に話を伺った。
●野田澤さんが朗読を始めたのはいつからですか? きっかけは?
野田澤
「学生時代から、人並みに本を読んだり文章を書いたりするのが好きではあったのですが、朗読は全く経験がありませんでした。きっかけは、4年前のコロナ禍によるステイホーム。家の中で何かやれることはないかと探していた時に、本を音読してみたら意外に面白くて・・・。以前、ある将棋イベントで司会をやっていただいた中村雅子先生の名刺をいただいているのを思い出し、相談してみたところ『こういうのをやっているわよ』とご自身の朗読教室に誘ってくださったんです」
中村
「女流棋士の方が朗読に興味を持ってくださったのが嬉しかったです。私は『雅の会』と『おとめ会』という2つの朗読教室を持ってるのですが、雅はセミプロもいる中級以上の会なので、野田澤さんには最初、初心者対象のおとめのほうに来てもらいました。野田澤さんはとても熱心で、いつしか両方の会に参加するようになりました」
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野田澤彩乃女流初段
●中村さんは、故郷の青森が生んだ文豪・太宰治の朗読活動で全国を回っておられ、ライフワークにされているそうですね。いつごろから始められたのですか?
中村
「私は青森の高校を卒業後、東京の大学を出て、福島のテレビ局に入社してアナウンサーの仕事をやっていました。主人(中村修九段)とは、上司の紹介で知り合って結婚を機に退職し、出産まもなくの約20年前に、地元のカルチャースクールで朗読教室をやってくれないかと頼まれたのです。アナウンサー出身だから朗読ぐらいできるだろうと簡単にお引き受けしたものの、準備している間に『いや、そんなに生易しいものじゃないぞ。私もどなたか師匠について勉強しなくちゃ』と思い立って猛勉強を始めて。そこからですね、本格的に取り組むようになったのは」
●朗読は、ニュースを読むのとは違うのですか。
中村
「実際は全然違って(笑)。ニュースはわりと自分というものを無くして客観的にありのままに事実を淡々と伝えます。つまり感情はいらないんですね。でも、朗読というのは表現の世界で、芸術活動みたいなもの。感情の動きがないと人様を感動させられません。どちらも言葉を使う仕事ですけれど、別物だということがやってみて分かったんです」
●朗読こそ感情を入れないものだと思っていました。
「もちろん、人によって流派みたいなことがあるかもしれません。私の師匠は女優さんでしたので、表現ということに重点を置いて指導を受けました。演劇と近いものがあるかもしれないですね」
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中村雅子さん
●野田澤さんは、朗読のどんなところに面白さを感じていますか?
「ほかの生徒の方の朗読を聞いていて感じたのですが、読む人によって文章の解釈が違うんだなというところでしょうか。表現のしかたひとつで聞く側の感じ方もずいぶん変わるんだなと。昨年、サンテグジュペリの『星の王子様』を朗読したときに、観に来てくださった田名後さんに『演劇に向いているかも』とお褒めいただいてその時は嬉しかったのですが、果たして演劇のような朗読が良いことなのかどうか・・・。いまも試行錯誤しています(笑)」
●今回の朗読会「将棋を愛した作家たち」は、阿佐ヶ谷のカフェで開かれるそうですが、なぜ阿佐ヶ谷を選ばれたのでしょうか?
野田澤
「私はもともと、朗読教室の発表会で将棋が題材の作品が読めたらいいなと考えていて、ふだんから朗読で使えそうな作品を探していたんです。外村繁さんの『将棋の話』もその一つで、中村先生に相談したところ、なんと今回の会場となる喫茶店『カフェ・ド・ヴァリエテ』のマスターが外村さんのお孫さんとお知り合いだということを知ったのです」
中村
「野田澤さんから外村繁さんの作品を見せていただいて、どこかで聞いたことがある名前だなと思った時に、マスターのことがひらめいたんです。5年ほど前にこのカフェで朗読会をしたことがあって、その時に伺った話を思い出しました。それで『たしか外村さんのお孫さんがお店の常連ではなかったでしたっけ?』とメールで問い合わせてみたところ、『そうですよ、僕の高校の同級生ですよ』って返事がきて!」
●へええ~、そんなことがあるんですね!
中村
「マスターに将棋朗読会のプランを伝えたところ、『それだったら、うちの店でやりませんか?』と向こうのほうから提案してくださった。マスターは将棋ファンで、コロナ以前はよく将棋イベントをお店で開いていたんです」
●そのカフェが、たまたま阿佐ヶ谷にあったというわけですね。阿佐ヶ谷といえば戦前、井伏鱒二が中心になって当時の文士たちと定期的に集まって将棋を楽しんでいたといわれる伝説の「阿佐ヶ谷将棋会」が知られています。何とも奇遇な話ですね。
中村
「私は開催するならもう少し先の話だなとイメージしていたのですが、こういうのも縁というかタイミングかなという気もして。猛練習が必要かもしれないけれど、朗読のプロとしてではなく野田澤さんの専門である将棋を前面に出すプログラムにすれば、入場料をいただくような形でもキチンとしたものになるかなと思いました」
10月26日―。「将棋を愛した作家たち」開催当日。阿佐ヶ谷は毎年恒例の「阿佐谷ジャスストリート」が開かれ、街のあちらこちらがジャズ演奏であふれ返っていた。
会場の「カフェ・ド・ヴァリエテ」は、阿佐ケ谷駅北口を出て5分ほど歩いた閑静な住宅街の中にあった。世界中から厳選した豆を使った自家焙煎コーヒーの専門店で、おいしいコーヒーを飲みながらのんびり読書を楽しむにはぴったりの落ち着いた雰囲気のお店だった。
午後1時と4時の2回の入れ替え制で定員は各20名。お客さんの多くは女性で、予約の段階で満員御礼となったそうだ。
イベントの様子をレポートする。
![](/files/user/202412261105_4.jpg)
朗読会の様子
中村
「今日はようこそお越しくださいました。いつもは私、太宰治作品ばかり朗読しているのですが、ちょっと趣向を変えまして、〈将棋を愛した作家たち〉という企画を初めてしてみました。といいますのも、ご存じの方も多いと思いますが、私の身内に将棋関係者がおりまして(笑)。身内も身内、主人が棋士でございます。太宰さんも将棋がけっこう好きだったということを知り、太宰と将棋をリンクさせるようなイベントをいつかできたらいいなと何年も前から漠然と思っていたところ、4年ほど前になりますが野田澤さんが私の朗読教室に入ってきてくれたのです。ある日『今度発表会をやる時に、この作品を読んでみたいんです』って、ある作品を私に持ってきてくれました。それを読んで、彼女にもそういう思いがあるのなら、実現できるのかなと考えたところに、カフェ・ド・ヴァリエテさんのほうからもありがたいお声をかけていただいて、今日、実現したというわけです」
![](/files/user/202412261105_5.jpg)
最初に読まれた作品は、菊池寛の随筆『将棋』。野田澤女流初段と中村さんが交互に読んでいく「分け読み」という形式で始まった。
『父帰る』『真珠婦人』などの多くの名作を遺し、文藝春秋社を興したり芥川賞・直木賞・菊池寛賞など現在まで続く文学賞の創設に携わった菊池寛は、大の愛棋家としても有名で、腕前も相当だったといわれている。
随筆『将棋』は、菊池が自身の体験から得た将棋上達のための心得を、格調高い文体で説いている。読んでみれば菊池がどれほど将棋に対して真摯に向き合っていたのかがよくわかるし、上達に悩んでいる人には参考になる内容でもある。
作品の内容までは伝えきれないが、下記の「青空書院」で無料で読めるので、まずはご覧いただきたい。
【『将棋』菊池寛】
https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/1344_22315.html
野田澤女流初段の朗読は、8月に見学した稽古の時と比べて格段に表現豊かになっており、相当の研鑽が見て取れた。お客さんを前にしても臆することなく堂々とした読み上げで、中村さんとのコンビネーションも完璧。読み終えるとお客さんは拍手で称えた。
中村
「かの有名な菊池寛さんが、こんなふうに将棋について書いていらっしゃるとは、恥ずかしながら初めて知りました。将棋界にとっても大恩人だそうですね」
野田澤
「将棋連盟の機関誌『将棋世界』の創刊時に寄稿していただくなど、協力してくださったようです」
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中村
「最初のほうで〈定跡〉という言葉が盛んに出てきましたが、簡単に説明するとどういうことですか?」
野田澤
「将棋にはさまざまは戦法がありますが、それぞれに最善といわれる指し手があり、それらは先人から築き上げられた(序中盤の)指針のようなもので、改良されながら代々伝わっています。それが定跡です」
中村
「私は駒の動かしだけはわかるのですが、定跡というものを知らないで棋士と一緒になったわけです。結婚する時に、主人と1回将棋を指してみようということになりました。ハンデをつけてもらったのですが、主人はどうしたと思います?『僕は王様1つでいいや』と言ったんです。私は内心『王様1枚と全部なら私が勝つにきまっているじゃない。人を馬鹿にして』とカチンときたのですが、いざ指し始めてみると、主人は王様で私の駒を1枚1枚取っていって、その駒を使って攻めてくるんです。そうして私の王様は身ぐるみはがされて、負けてしまいました(笑)」
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将棋盤・駒・扇子をあしらった帯がオシャレな中村さんの和服
中村さんのエピソードトークで場が和んだところで、つづいての作品は、井伏鱒二の『荻窪風土記』から「阿佐ヶ谷将棋会」の章。こちらは一部を除いて中村さんが朗読した。
この作品は「青空書院」には登録されていないので無料で読むことはできないが、『荻窪風土記』は非常に有名な本なので文庫化もされており、中古でも安く手に入るのでぜひ読んでみてほしい。昭和文士たちと将棋を楽しんだ様子がよく描かれている。
ここで「阿佐ヶ谷将棋会」について少し触れておきたい。
『山椒魚』『黒い雨』など不朽の名作を遺した文豪・井伏鱒二(1898-1993)は、菊池寛に負けず劣らずの熱烈な愛棋家として知られる。三十代の頃、親しい文士たちを集めて対局を楽しんだ「阿佐ヶ谷将棋会」は、昭和4年頃から13年頃まで長く続いたようである。メンバーは、井伏を筆頭に太宰治(1909-1948)、外村繁(1902-1961)、上林暁(1902-1980)、古谷綱武(1908-1984)、小田嶽夫(1900-1979)ほか、昭和文学界の隆盛に貢献した多くの文士が集まったようだ。
作品には、当時審判として阿佐ヶ谷会に参加した故・原田泰夫九段(当時は八段)のことにも触れられており、対局を終えた井伏の将棋を評して《私が1手目を指した時は五段ぐらいの腕前かと思ったと言い、2手目の時は四段ぐらい、3手目には初段ぐらい、4手目5手目には七級ぐらいだろうと言われた》と書き記している。
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中村
「『阿佐ヶ谷将棋会』を読ませていただきましたが、そうそうたる名前が出てきたのにお気づきでしたでしょうか。作家さんたちもさることながら、徳川夢声さん(1894ー1971)とか画家の方など、さまざまな文化人がこの阿佐ヶ谷周辺にいらしたんですね。また、原田泰夫八段というお名前が出てきたのを初めて読んだ時には、びっくりしました」
野田澤
「原田先生は亡くなられるまで阿佐ヶ谷にお住まいでした。小説では八段でしたが、のちに九段になられています。私は(生前に)直接お話をしたことはないのですが、書とおしゃべりがお上手で、いかにも大先生という感じでした」
中村
「原田先生には、私共の結婚式にも来てくださいまして。30数年前の話ですけど(笑)。いつも和服をお召しになられ、飄々とした感じでニコニコされて大変やさしい方でしたけれども、まさか井伏さんの阿佐ヶ谷将棋会の審判をされていたとは全く思いませんでした。調べてみたら、戦後というとまだ22、3歳ぐらい。そんなお若い頃に皆さんと関わりがおありだったんだなと思うと非常に感慨深いですし、私がもっと早く朗読の道に入っていたら、原田先生に貴重なお話が伺えたのになあと残念でなりません」
![](/files/user/202412261105_10.jpg)
中村
「次の作品は、外村繁さんが書かれた随筆『将棋の話』。井伏さんがどれだけ将棋が好きだったかというのがよくわかる大変楽しい作品です。これは、2人で朗読劇風にお聞きいただきたいと思います」
朗読の様子を映像や音声で見せられないのが残念なのだが、この『将棋の話』はお客さんの爆笑が絶えない面白い作品だった。井伏鱒二のおちゃめで愛らしい人柄がとてもよく描写されている。青空書院で読むことができる。
【『将棋の話』外村繁】
https://aozorashoin.com/title/52185
ここでティータイムとなり、お店特製のブレンドコーヒーとお菓子をいただきながら、野田澤女流初段が将棋のルールをレクチャーした。大盤を使わずにどうやってルールを教えるのだろうかと思ったが、お客さんの手元に配られたテキストをもとに、野田澤女流初段はぴったり20分の持ち時間で要点をじょうずに説明。そのトークのうまさと手際のよさに感服した。お客さんの多くは入門以前の方ばかりのようだったが、興味深く聞き入っていた。野田澤女流初段にとってはコロナ禍に趣味で始めた朗読の世界だったが、しっかりと普及活動に役立てているのは立派だと思った。
![](/files/user/202412261105_11.jpg)
朗読会のトリを飾るのは、太宰治の『不審庵』という作品。茶道をテーマにした短編で、将棋の話はいっさい出てこないのだが、話の舞台が阿佐ヶ谷であり、「黄村(おうそん)先生」という登場人物が、太宰が敬愛し私淑していた井伏鱒二をモデルにしているのではないかといわれている。たしかに黄村先生の性格描写が、先の『将棋の話』に出てきた井伏のそれを彷彿させ、実にユーモラスで可愛らしい。話も抱腹絶倒のコメディー仕立てになっており、お客さんが笑い通しであった
この作品も青空書院で読めるので、リンクを貼っておく。
【『不審庵』太宰治】
https://aozorashoin.com/title/1583
野田澤彩乃女流初段が挑戦した将棋朗読会「将棋を愛した作家たち」は、成功のうちに終了した。
筆者も朗読会を見たのは初めての経験だったが、二次元の活字の文章が、人間の声を通すことで立体的になり、表情豊かな音に変換されて耳に入ってくるところが面白いと感じた。昭和の文士たちが愛した街・阿佐ヶ谷で、将棋文学に親しんでみるのも楽しいものである。
現役を退いて4年。日々、将棋普及活動に勢力的に励んでいる野田澤女流初段の姿をよく見かけるが、将棋朗読は「観る将」へのアプローチの新手かもしれない。「令和版・アヤノの挑戦」次はさらにスケールアップした第2弾の開催を期待したい。 お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中
講師「では、もう一度、最初から読んでみましょうか」
生徒「はい。《将棋はとにかく愉快である・・・》」
講師「あっ、そこはつなげないで《将棋は》で切って《とにかく愉快である》はお客さんの顔をゆっくり見ながら読むと伝わりますよ」
生徒「《~家来が(戦争ばかりしている)王の気持ちを転換させるために発明したのが、将棋だというが……》」
講師「うーん、ここは例え話だから、そんなに重々しくなくても軽やかに読んでいいところだと思うんだけれど。ちょっと私が読んでみますね」
![](/files/user/202412261105_1.jpg)
生徒の名前は、野田澤彩乃女流初段。講師はフリーアナウンサーで朗読家の中村雅子さん。将棋ファンには中村修九段の奥様といえばお分かりだろう。
野田澤女流初段は、中村さんが主宰する朗読教室「雅の会」の生徒で、定期的に開催されている、教室の発表会に出演している。この日は、10月に阿佐ヶ谷の某カフェで開催が予定されている、将棋をテーマにした朗読会「将棋を愛した作家たち」に向けてのマンツーマンの稽古日だった。読み上げていた作品は、文豪・菊池寛の随筆『将棋』である。
稽古を終えた、お二人に話を伺った。
●野田澤さんが朗読を始めたのはいつからですか? きっかけは?
野田澤
「学生時代から、人並みに本を読んだり文章を書いたりするのが好きではあったのですが、朗読は全く経験がありませんでした。きっかけは、4年前のコロナ禍によるステイホーム。家の中で何かやれることはないかと探していた時に、本を音読してみたら意外に面白くて・・・。以前、ある将棋イベントで司会をやっていただいた中村雅子先生の名刺をいただいているのを思い出し、相談してみたところ『こういうのをやっているわよ』とご自身の朗読教室に誘ってくださったんです」
中村
「女流棋士の方が朗読に興味を持ってくださったのが嬉しかったです。私は『雅の会』と『おとめ会』という2つの朗読教室を持ってるのですが、雅はセミプロもいる中級以上の会なので、野田澤さんには最初、初心者対象のおとめのほうに来てもらいました。野田澤さんはとても熱心で、いつしか両方の会に参加するようになりました」
![](/files/user/202412261105_2.jpg)
野田澤彩乃女流初段
●中村さんは、故郷の青森が生んだ文豪・太宰治の朗読活動で全国を回っておられ、ライフワークにされているそうですね。いつごろから始められたのですか?
中村
「私は青森の高校を卒業後、東京の大学を出て、福島のテレビ局に入社してアナウンサーの仕事をやっていました。主人(中村修九段)とは、上司の紹介で知り合って結婚を機に退職し、出産まもなくの約20年前に、地元のカルチャースクールで朗読教室をやってくれないかと頼まれたのです。アナウンサー出身だから朗読ぐらいできるだろうと簡単にお引き受けしたものの、準備している間に『いや、そんなに生易しいものじゃないぞ。私もどなたか師匠について勉強しなくちゃ』と思い立って猛勉強を始めて。そこからですね、本格的に取り組むようになったのは」
●朗読は、ニュースを読むのとは違うのですか。
中村
「実際は全然違って(笑)。ニュースはわりと自分というものを無くして客観的にありのままに事実を淡々と伝えます。つまり感情はいらないんですね。でも、朗読というのは表現の世界で、芸術活動みたいなもの。感情の動きがないと人様を感動させられません。どちらも言葉を使う仕事ですけれど、別物だということがやってみて分かったんです」
●朗読こそ感情を入れないものだと思っていました。
「もちろん、人によって流派みたいなことがあるかもしれません。私の師匠は女優さんでしたので、表現ということに重点を置いて指導を受けました。演劇と近いものがあるかもしれないですね」
![](/files/user/202412261105_3.jpg)
中村雅子さん
●野田澤さんは、朗読のどんなところに面白さを感じていますか?
「ほかの生徒の方の朗読を聞いていて感じたのですが、読む人によって文章の解釈が違うんだなというところでしょうか。表現のしかたひとつで聞く側の感じ方もずいぶん変わるんだなと。昨年、サンテグジュペリの『星の王子様』を朗読したときに、観に来てくださった田名後さんに『演劇に向いているかも』とお褒めいただいてその時は嬉しかったのですが、果たして演劇のような朗読が良いことなのかどうか・・・。いまも試行錯誤しています(笑)」
●今回の朗読会「将棋を愛した作家たち」は、阿佐ヶ谷のカフェで開かれるそうですが、なぜ阿佐ヶ谷を選ばれたのでしょうか?
野田澤
「私はもともと、朗読教室の発表会で将棋が題材の作品が読めたらいいなと考えていて、ふだんから朗読で使えそうな作品を探していたんです。外村繁さんの『将棋の話』もその一つで、中村先生に相談したところ、なんと今回の会場となる喫茶店『カフェ・ド・ヴァリエテ』のマスターが外村さんのお孫さんとお知り合いだということを知ったのです」
中村
「野田澤さんから外村繁さんの作品を見せていただいて、どこかで聞いたことがある名前だなと思った時に、マスターのことがひらめいたんです。5年ほど前にこのカフェで朗読会をしたことがあって、その時に伺った話を思い出しました。それで『たしか外村さんのお孫さんがお店の常連ではなかったでしたっけ?』とメールで問い合わせてみたところ、『そうですよ、僕の高校の同級生ですよ』って返事がきて!」
●へええ~、そんなことがあるんですね!
中村
「マスターに将棋朗読会のプランを伝えたところ、『それだったら、うちの店でやりませんか?』と向こうのほうから提案してくださった。マスターは将棋ファンで、コロナ以前はよく将棋イベントをお店で開いていたんです」
●そのカフェが、たまたま阿佐ヶ谷にあったというわけですね。阿佐ヶ谷といえば戦前、井伏鱒二が中心になって当時の文士たちと定期的に集まって将棋を楽しんでいたといわれる伝説の「阿佐ヶ谷将棋会」が知られています。何とも奇遇な話ですね。
中村
「私は開催するならもう少し先の話だなとイメージしていたのですが、こういうのも縁というかタイミングかなという気もして。猛練習が必要かもしれないけれど、朗読のプロとしてではなく野田澤さんの専門である将棋を前面に出すプログラムにすれば、入場料をいただくような形でもキチンとしたものになるかなと思いました」
10月26日―。「将棋を愛した作家たち」開催当日。阿佐ヶ谷は毎年恒例の「阿佐谷ジャスストリート」が開かれ、街のあちらこちらがジャズ演奏であふれ返っていた。
会場の「カフェ・ド・ヴァリエテ」は、阿佐ケ谷駅北口を出て5分ほど歩いた閑静な住宅街の中にあった。世界中から厳選した豆を使った自家焙煎コーヒーの専門店で、おいしいコーヒーを飲みながらのんびり読書を楽しむにはぴったりの落ち着いた雰囲気のお店だった。
午後1時と4時の2回の入れ替え制で定員は各20名。お客さんの多くは女性で、予約の段階で満員御礼となったそうだ。
イベントの様子をレポートする。
![](/files/user/202412261105_4.jpg)
朗読会の様子
中村
「今日はようこそお越しくださいました。いつもは私、太宰治作品ばかり朗読しているのですが、ちょっと趣向を変えまして、〈将棋を愛した作家たち〉という企画を初めてしてみました。といいますのも、ご存じの方も多いと思いますが、私の身内に将棋関係者がおりまして(笑)。身内も身内、主人が棋士でございます。太宰さんも将棋がけっこう好きだったということを知り、太宰と将棋をリンクさせるようなイベントをいつかできたらいいなと何年も前から漠然と思っていたところ、4年ほど前になりますが野田澤さんが私の朗読教室に入ってきてくれたのです。ある日『今度発表会をやる時に、この作品を読んでみたいんです』って、ある作品を私に持ってきてくれました。それを読んで、彼女にもそういう思いがあるのなら、実現できるのかなと考えたところに、カフェ・ド・ヴァリエテさんのほうからもありがたいお声をかけていただいて、今日、実現したというわけです」
![](/files/user/202412261105_5.jpg)
『将棋』菊池寛
最初に読まれた作品は、菊池寛の随筆『将棋』。野田澤女流初段と中村さんが交互に読んでいく「分け読み」という形式で始まった。
『父帰る』『真珠婦人』などの多くの名作を遺し、文藝春秋社を興したり芥川賞・直木賞・菊池寛賞など現在まで続く文学賞の創設に携わった菊池寛は、大の愛棋家としても有名で、腕前も相当だったといわれている。
随筆『将棋』は、菊池が自身の体験から得た将棋上達のための心得を、格調高い文体で説いている。読んでみれば菊池がどれほど将棋に対して真摯に向き合っていたのかがよくわかるし、上達に悩んでいる人には参考になる内容でもある。
作品の内容までは伝えきれないが、下記の「青空書院」で無料で読めるので、まずはご覧いただきたい。
【『将棋』菊池寛】
https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/1344_22315.html
野田澤女流初段の朗読は、8月に見学した稽古の時と比べて格段に表現豊かになっており、相当の研鑽が見て取れた。お客さんを前にしても臆することなく堂々とした読み上げで、中村さんとのコンビネーションも完璧。読み終えるとお客さんは拍手で称えた。
中村
「かの有名な菊池寛さんが、こんなふうに将棋について書いていらっしゃるとは、恥ずかしながら初めて知りました。将棋界にとっても大恩人だそうですね」
野田澤
「将棋連盟の機関誌『将棋世界』の創刊時に寄稿していただくなど、協力してくださったようです」
![](/files/user/202412261105_6.jpg)
中村
「最初のほうで〈定跡〉という言葉が盛んに出てきましたが、簡単に説明するとどういうことですか?」
野田澤
「将棋にはさまざまは戦法がありますが、それぞれに最善といわれる指し手があり、それらは先人から築き上げられた(序中盤の)指針のようなもので、改良されながら代々伝わっています。それが定跡です」
中村
「私は駒の動かしだけはわかるのですが、定跡というものを知らないで棋士と一緒になったわけです。結婚する時に、主人と1回将棋を指してみようということになりました。ハンデをつけてもらったのですが、主人はどうしたと思います?『僕は王様1つでいいや』と言ったんです。私は内心『王様1枚と全部なら私が勝つにきまっているじゃない。人を馬鹿にして』とカチンときたのですが、いざ指し始めてみると、主人は王様で私の駒を1枚1枚取っていって、その駒を使って攻めてくるんです。そうして私の王様は身ぐるみはがされて、負けてしまいました(笑)」
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将棋盤・駒・扇子をあしらった帯がオシャレな中村さんの和服
「阿佐ヶ谷将棋会」井伏鱒二 ※『荻窪風土記』より
中村さんのエピソードトークで場が和んだところで、つづいての作品は、井伏鱒二の『荻窪風土記』から「阿佐ヶ谷将棋会」の章。こちらは一部を除いて中村さんが朗読した。
この作品は「青空書院」には登録されていないので無料で読むことはできないが、『荻窪風土記』は非常に有名な本なので文庫化もされており、中古でも安く手に入るのでぜひ読んでみてほしい。昭和文士たちと将棋を楽しんだ様子がよく描かれている。
ここで「阿佐ヶ谷将棋会」について少し触れておきたい。
『山椒魚』『黒い雨』など不朽の名作を遺した文豪・井伏鱒二(1898-1993)は、菊池寛に負けず劣らずの熱烈な愛棋家として知られる。三十代の頃、親しい文士たちを集めて対局を楽しんだ「阿佐ヶ谷将棋会」は、昭和4年頃から13年頃まで長く続いたようである。メンバーは、井伏を筆頭に太宰治(1909-1948)、外村繁(1902-1961)、上林暁(1902-1980)、古谷綱武(1908-1984)、小田嶽夫(1900-1979)ほか、昭和文学界の隆盛に貢献した多くの文士が集まったようだ。
作品には、当時審判として阿佐ヶ谷会に参加した故・原田泰夫九段(当時は八段)のことにも触れられており、対局を終えた井伏の将棋を評して《私が1手目を指した時は五段ぐらいの腕前かと思ったと言い、2手目の時は四段ぐらい、3手目には初段ぐらい、4手目5手目には七級ぐらいだろうと言われた》と書き記している。
![](/files/user/202412261105_9.jpg)
中村
「『阿佐ヶ谷将棋会』を読ませていただきましたが、そうそうたる名前が出てきたのにお気づきでしたでしょうか。作家さんたちもさることながら、徳川夢声さん(1894ー1971)とか画家の方など、さまざまな文化人がこの阿佐ヶ谷周辺にいらしたんですね。また、原田泰夫八段というお名前が出てきたのを初めて読んだ時には、びっくりしました」
野田澤
「原田先生は亡くなられるまで阿佐ヶ谷にお住まいでした。小説では八段でしたが、のちに九段になられています。私は(生前に)直接お話をしたことはないのですが、書とおしゃべりがお上手で、いかにも大先生という感じでした」
中村
「原田先生には、私共の結婚式にも来てくださいまして。30数年前の話ですけど(笑)。いつも和服をお召しになられ、飄々とした感じでニコニコされて大変やさしい方でしたけれども、まさか井伏さんの阿佐ヶ谷将棋会の審判をされていたとは全く思いませんでした。調べてみたら、戦後というとまだ22、3歳ぐらい。そんなお若い頃に皆さんと関わりがおありだったんだなと思うと非常に感慨深いですし、私がもっと早く朗読の道に入っていたら、原田先生に貴重なお話が伺えたのになあと残念でなりません」
![](/files/user/202412261105_10.jpg)
『将棋の話』外村繁
中村
「次の作品は、外村繁さんが書かれた随筆『将棋の話』。井伏さんがどれだけ将棋が好きだったかというのがよくわかる大変楽しい作品です。これは、2人で朗読劇風にお聞きいただきたいと思います」
朗読の様子を映像や音声で見せられないのが残念なのだが、この『将棋の話』はお客さんの爆笑が絶えない面白い作品だった。井伏鱒二のおちゃめで愛らしい人柄がとてもよく描写されている。青空書院で読むことができる。
【『将棋の話』外村繁】
https://aozorashoin.com/title/52185
ここでティータイムとなり、お店特製のブレンドコーヒーとお菓子をいただきながら、野田澤女流初段が将棋のルールをレクチャーした。大盤を使わずにどうやってルールを教えるのだろうかと思ったが、お客さんの手元に配られたテキストをもとに、野田澤女流初段はぴったり20分の持ち時間で要点をじょうずに説明。そのトークのうまさと手際のよさに感服した。お客さんの多くは入門以前の方ばかりのようだったが、興味深く聞き入っていた。野田澤女流初段にとってはコロナ禍に趣味で始めた朗読の世界だったが、しっかりと普及活動に役立てているのは立派だと思った。
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『不審庵』太宰治
朗読会のトリを飾るのは、太宰治の『不審庵』という作品。茶道をテーマにした短編で、将棋の話はいっさい出てこないのだが、話の舞台が阿佐ヶ谷であり、「黄村(おうそん)先生」という登場人物が、太宰が敬愛し私淑していた井伏鱒二をモデルにしているのではないかといわれている。たしかに黄村先生の性格描写が、先の『将棋の話』に出てきた井伏のそれを彷彿させ、実にユーモラスで可愛らしい。話も抱腹絶倒のコメディー仕立てになっており、お客さんが笑い通しであった
この作品も青空書院で読めるので、リンクを貼っておく。
【『不審庵』太宰治】
https://aozorashoin.com/title/1583
野田澤彩乃女流初段が挑戦した将棋朗読会「将棋を愛した作家たち」は、成功のうちに終了した。
筆者も朗読会を見たのは初めての経験だったが、二次元の活字の文章が、人間の声を通すことで立体的になり、表情豊かな音に変換されて耳に入ってくるところが面白いと感じた。昭和の文士たちが愛した街・阿佐ヶ谷で、将棋文学に親しんでみるのも楽しいものである。
現役を退いて4年。日々、将棋普及活動に勢力的に励んでいる野田澤女流初段の姿をよく見かけるが、将棋朗読は「観る将」へのアプローチの新手かもしれない。「令和版・アヤノの挑戦」次はさらにスケールアップした第2弾の開催を期待したい。 お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中
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