2022.03.02
「図式全集 将棋妙案 橘仙貼壁」の魅力
久留島喜内の魅力を紹介
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これまで担当させていただいた中で、私が死んでも残りそうな本はなにか、と考えると、谷川浩司先生の解説による久留島喜内の詰将棋作品集『図式全集 将棋妙案 橘仙貼壁』が思い浮かびました。この本はおよそ300年前の数学者にして詰将棋作家である久留島喜内の詰将棋全作品を収めたものです。ここでは、収められた作品の価値と本書が歴史的に持つ意味を述べていきたいと思います。
久留島喜内の詰将棋の特徴は、論理的でもあり、かつ情緒的でもあるということです。詰将棋には将棋というゲームの数学的、論理的な面を強調するものと、駒の動きや物語性といった趣向的、情緒的な面を強調するものとがあるのですが、喜内のなかではそれらが区別されず、ひとつの軸の上に共存しているように見えます。つまり、ロジカルな側面の研究を突きつめた結果、将棋というゲームがもともと内包していた物語性が自律的に立ち上がってきたようにも見えるし、あるいは駒がリズミカルに動く素朴な楽しさを最善の形で表現するために、論理的な構造を巧みに取り入れてストーリー展開の起動力にしているようにも見えるのです。
たとえば……ということで作品をひとつご紹介するのがふつうなのでしょうが、どうしても長編作が多くまた専門的になってしまいますので、ここでは久留島喜内の人柄を通してご説明することにしようと思います。というのも、喜内の作品は作者の生き方や人間的な魅力がそのまま映し出されているといっても過言ではないからです。
久留島喜内はそもそも江戸時代の代表的な数学者(和算家)のひとりでした。関孝和などとともに三大和算家に数えられることもあるほどで、その業績は特筆すべきものがあります。その才能は特殊なもので、こつこつと研究を積み重ねて答えに達するというよりは、一足飛びに答えが見えてしまうというタイプでした。たとえば、喜内は江戸時代に円周率を30桁まで正しく計算しています。しかし、そのころ一般的だった方法である「n角形の外周を計算し、nを大きくしていく」というわかりやすい手法ではありませんでした。
まず非常に簡単な二次方程式から出発する。その出発点の発想がどこから来るのか全くわからない。天才のカンによるのみである。そこから拡張して行くと円周率に到達するから不思議である。(伊達宗行『久留島喜内と和算』詰棋めいと第31号 2002)
とにかく正しい答えがわかってしまうが、どうして正しいかわからない、というのが喜内の残した業績です。もしかすると喜内なりの思考の道筋はあったのかもしれませんが、少なくとも喜内はそれを書き残すタイプではありませんでした。喜内は自分で数学の業績をきちんとまとめたことがありません。考える手助けとしてのメモ書き程度はしていたようですが、一度自分なりの答えにたどりつくと興味を失ってしまうのか、それらの結果を書いた紙をかごの穴ふさぎに使ってしまうようなこともあったそうです。現在に残る業績は、結果に頓着しない喜内の代わりに、弟子たちが懸命にかき集めたものとされています。
このような事情から、世界的に見ても重要な発見をしていたことをうかがわせる資料もあるのですが、確信がもてないものもあります。たとえば、オイラーのφ関数というものがあります。これは歴史的に見てももっとも偉大な数学者の一人であるレオンハルト・オイラーが喜内の没後に発表したものですが、喜内はその関数をすでに用いていたと考えられるのです。
「360という自然数に対して、それより小さく、360と互いに素な数はいくつあるか」という問題に際して、喜内は「360の素因数は2,3,5なので、(2-1)(3-1)(5-1)=8に360をかけて2×3×5=30で割れば求める個数が得られる、とそっけなく書いています。この解答を見てなるほど、と思う人がどれだけいるのでしょうか。実はこれはオイラーのφ関数の具体的な使用例となっているのです。具体的な一例を示すことと、それが一般の自然数に成り立つことを示すことの間には極めて大きな隔たりがありますが、この簡潔で確信に満ちた書き方は、おそらく一般にこの関数が成立することを知っていたのではないか、と思わせるに十分です。
このような数学の才能は、やはり詰将棋の独創性にも大きく影響しているように思われます。当時としてはかなり先進的な作品をものしており、その中には数学者らしい鋭いアイディアや緻密な論理的構造を見てとることができます。
このように、天才そのものだった喜内ですが、すでにほの見えているように、無頓着で大らかな性格の持ち主でもありました。もっというと、弟子の山路主任が後に書き残した逸話を信じるならば、破天荒そのものでした。
酒ばかり飲んでおり、酒さえ飲めればほかのことには執着しないので、蓄えや服の備えさえほとんどありませんでした。心配した弟子が金や米、服を与えればすぐに酒に換えて飲んでしまうため、ついには借金取りに文字通り身ぐるみをすべてはがされてしまい、帯もないので縄を巻いて弟子の家に逃げ込んだという逸話が伝えられています。ほかにも、留守番を頼んでおきながら帰らなかったり、世話してもらった就職の面談に寝坊したりとかなりマイペース(?)な人だったようです。これらのエピソードはいささかおもしろおかしく書いている疑いもなしとはしませんが、人柄を伝えるには十分です。おそらく、社会性を犠牲にしても、自分の好きなことに没頭するタイプの天才だったのだろうと考えられます。酒も数学も、そして詰将棋も、自分が楽しいからやっていたのでしょう。だからこそ、盤上にもある種の「酔い」が表現されているというような気もします。自分が心から陶酔できる手順を探していたのではないか、素面の理知的な思考だけではたどりつけない高揚した世界を盤上に描いていたのではないか。喜内の駒の運動からは、そんなことを考えさせられます。
図面と手順を省略して、喜内の人柄だけにフォーカスすることで作風を説明してみました。論理と情緒が融合した喜内の詰将棋がどうして成立しているか、ということが、破滅型の天才であった喜内の生き方を知ることで少し理解しやすくなるように思います。
なお、喜内の作品のすばらしさは時を超えて人々を魅了していますが、そのルーズさは時を超えて担当編集である私を苦しめました。なにしろ、原典が存在せず、好事家が伝えてきた写本があるばかりで、その写本も少しずつ配置や手順が異なっているのですから、これらの整理から始める必要がありました。書名となっている『将棋妙案』『橘仙貼壁』は現存する2つのタイトルで、この2つの間にすでに重複、同工異図があり、さらにそれぞれの中でも〇〇写本、××版……といった形で異図が残されています。そもそも橘仙貼壁については、4文字目が「壁」なのか「璧」なのかという議論さえ決着をみていません。
このような事情でこれまで久留島喜内を網羅的にまとめた書籍は発行されてこなかったのですが、今回谷川先生の明快な解説と上田吉一氏の解題をいただいてひとつの本として結実したことは、手前みそながら価値があることと思っています。
個人的には、哲学専攻だったこともあって、『現代思想』誌に参考文献として挙げていただいたことが思い出深い本です(斎藤夏雄『詰将棋と数学が出会うとき』現代思想2021年7月号)。『現代思想』に弊社の将棋書籍が紹介されるのはこれが初めてだと思います。
お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中
これまで担当させていただいた中で、私が死んでも残りそうな本はなにか、と考えると、谷川浩司先生の解説による久留島喜内の詰将棋作品集『図式全集 将棋妙案 橘仙貼壁』が思い浮かびました。この本はおよそ300年前の数学者にして詰将棋作家である久留島喜内の詰将棋全作品を収めたものです。ここでは、収められた作品の価値と本書が歴史的に持つ意味を述べていきたいと思います。
論理的で情緒的な久留島喜内の詰将棋
久留島喜内の詰将棋の特徴は、論理的でもあり、かつ情緒的でもあるということです。詰将棋には将棋というゲームの数学的、論理的な面を強調するものと、駒の動きや物語性といった趣向的、情緒的な面を強調するものとがあるのですが、喜内のなかではそれらが区別されず、ひとつの軸の上に共存しているように見えます。つまり、ロジカルな側面の研究を突きつめた結果、将棋というゲームがもともと内包していた物語性が自律的に立ち上がってきたようにも見えるし、あるいは駒がリズミカルに動く素朴な楽しさを最善の形で表現するために、論理的な構造を巧みに取り入れてストーリー展開の起動力にしているようにも見えるのです。
たとえば……ということで作品をひとつご紹介するのがふつうなのでしょうが、どうしても長編作が多くまた専門的になってしまいますので、ここでは久留島喜内の人柄を通してご説明することにしようと思います。というのも、喜内の作品は作者の生き方や人間的な魅力がそのまま映し出されているといっても過言ではないからです。
天才数学者、久留島喜内
久留島喜内はそもそも江戸時代の代表的な数学者(和算家)のひとりでした。関孝和などとともに三大和算家に数えられることもあるほどで、その業績は特筆すべきものがあります。その才能は特殊なもので、こつこつと研究を積み重ねて答えに達するというよりは、一足飛びに答えが見えてしまうというタイプでした。たとえば、喜内は江戸時代に円周率を30桁まで正しく計算しています。しかし、そのころ一般的だった方法である「n角形の外周を計算し、nを大きくしていく」というわかりやすい手法ではありませんでした。
まず非常に簡単な二次方程式から出発する。その出発点の発想がどこから来るのか全くわからない。天才のカンによるのみである。そこから拡張して行くと円周率に到達するから不思議である。(伊達宗行『久留島喜内と和算』詰棋めいと第31号 2002)
とにかく正しい答えがわかってしまうが、どうして正しいかわからない、というのが喜内の残した業績です。もしかすると喜内なりの思考の道筋はあったのかもしれませんが、少なくとも喜内はそれを書き残すタイプではありませんでした。喜内は自分で数学の業績をきちんとまとめたことがありません。考える手助けとしてのメモ書き程度はしていたようですが、一度自分なりの答えにたどりつくと興味を失ってしまうのか、それらの結果を書いた紙をかごの穴ふさぎに使ってしまうようなこともあったそうです。現在に残る業績は、結果に頓着しない喜内の代わりに、弟子たちが懸命にかき集めたものとされています。
このような事情から、世界的に見ても重要な発見をしていたことをうかがわせる資料もあるのですが、確信がもてないものもあります。たとえば、オイラーのφ関数というものがあります。これは歴史的に見てももっとも偉大な数学者の一人であるレオンハルト・オイラーが喜内の没後に発表したものですが、喜内はその関数をすでに用いていたと考えられるのです。
「360という自然数に対して、それより小さく、360と互いに素な数はいくつあるか」という問題に際して、喜内は「360の素因数は2,3,5なので、(2-1)(3-1)(5-1)=8に360をかけて2×3×5=30で割れば求める個数が得られる、とそっけなく書いています。この解答を見てなるほど、と思う人がどれだけいるのでしょうか。実はこれはオイラーのφ関数の具体的な使用例となっているのです。具体的な一例を示すことと、それが一般の自然数に成り立つことを示すことの間には極めて大きな隔たりがありますが、この簡潔で確信に満ちた書き方は、おそらく一般にこの関数が成立することを知っていたのではないか、と思わせるに十分です。
このような数学の才能は、やはり詰将棋の独創性にも大きく影響しているように思われます。当時としてはかなり先進的な作品をものしており、その中には数学者らしい鋭いアイディアや緻密な論理的構造を見てとることができます。
盤上に「酔う」
このように、天才そのものだった喜内ですが、すでにほの見えているように、無頓着で大らかな性格の持ち主でもありました。もっというと、弟子の山路主任が後に書き残した逸話を信じるならば、破天荒そのものでした。
酒ばかり飲んでおり、酒さえ飲めればほかのことには執着しないので、蓄えや服の備えさえほとんどありませんでした。心配した弟子が金や米、服を与えればすぐに酒に換えて飲んでしまうため、ついには借金取りに文字通り身ぐるみをすべてはがされてしまい、帯もないので縄を巻いて弟子の家に逃げ込んだという逸話が伝えられています。ほかにも、留守番を頼んでおきながら帰らなかったり、世話してもらった就職の面談に寝坊したりとかなりマイペース(?)な人だったようです。これらのエピソードはいささかおもしろおかしく書いている疑いもなしとはしませんが、人柄を伝えるには十分です。おそらく、社会性を犠牲にしても、自分の好きなことに没頭するタイプの天才だったのだろうと考えられます。酒も数学も、そして詰将棋も、自分が楽しいからやっていたのでしょう。だからこそ、盤上にもある種の「酔い」が表現されているというような気もします。自分が心から陶酔できる手順を探していたのではないか、素面の理知的な思考だけではたどりつけない高揚した世界を盤上に描いていたのではないか。喜内の駒の運動からは、そんなことを考えさせられます。
図面と手順を省略して、喜内の人柄だけにフォーカスすることで作風を説明してみました。論理と情緒が融合した喜内の詰将棋がどうして成立しているか、ということが、破滅型の天才であった喜内の生き方を知ることで少し理解しやすくなるように思います。
時を超えて編集を苦しめた喜内
なお、喜内の作品のすばらしさは時を超えて人々を魅了していますが、そのルーズさは時を超えて担当編集である私を苦しめました。なにしろ、原典が存在せず、好事家が伝えてきた写本があるばかりで、その写本も少しずつ配置や手順が異なっているのですから、これらの整理から始める必要がありました。書名となっている『将棋妙案』『橘仙貼壁』は現存する2つのタイトルで、この2つの間にすでに重複、同工異図があり、さらにそれぞれの中でも〇〇写本、××版……といった形で異図が残されています。そもそも橘仙貼壁については、4文字目が「壁」なのか「璧」なのかという議論さえ決着をみていません。
このような事情でこれまで久留島喜内を網羅的にまとめた書籍は発行されてこなかったのですが、今回谷川先生の明快な解説と上田吉一氏の解題をいただいてひとつの本として結実したことは、手前みそながら価値があることと思っています。
個人的には、哲学専攻だったこともあって、『現代思想』誌に参考文献として挙げていただいたことが思い出深い本です(斎藤夏雄『詰将棋と数学が出会うとき』現代思想2021年7月号)。『現代思想』に弊社の将棋書籍が紹介されるのはこれが初めてだと思います。
お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中
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