教育・医療・Biz iOS導入事例

相手の心に届く言葉を育む“学び方を学ぶ”語学の授業

文●神谷加代

Apple的目線で読み解く。教育の現場におけるアップル製品の導入事例をレポート。

「どんな言語であっても、ある程度話せるようになるには時間がかかる」、そう思い込んではいないだろうか。しかし、テクノロジーを活用すれば、まったく違ったアプローチでそのスキルを伸ばすことができるはず。言葉を学ぶ土台に必要なものとは? この問いに長年挑んで来たのが、大阪大学の岩居弘樹教授だ。

 

半信半疑から手応えに変わる

「“最初は本当にできるのかと不安だった”“こんなのできるわけがない”、私の授業を初めて受けた学生たちの感想です(笑)」

そう笑顔で話すのは、大阪大学でドイツ語を教える岩居弘樹教授だ。同教授が行う授業は、読み書きを行わない独特の語学学習で、受講した学生たちは5カ月もあればビギナーレベルの基礎的な会話ができるようになるという。一体、どんな授業なのか。

メインで使うのはiPadだ。岩居教授の授業では、最初にその日の講義で学ぶ例文の説明があり、その後学生たちは音声認識アプリを使ってひたすら発音練習を繰り返す。自分の発音したドイツ語が正しく認識されない場合は、どの部分ができていないのか確認し、できるようになるまで何度も何度も練習する。

続いて、3人グループで例文を活用したシナリオを考え、自分たちで演じながら簡単なミニドラマをiPadで作成する。たとえば、謝罪の表現がテーマの場合は、「ごめんなさい!」「ごめんで済むと思っているの?」といった場面のシナリオを作成し、演者と撮影係に役割分担しながら、ひとつの動画を仕上げるといった具合だ。当然、シナリオを作る際は授業で習っていない表現や単語も必要になるが、その場合、多言語例文データベース「タトエバ(Tatoeba)」などを活用する。

岩居教授によると、このような語学学習はたった5回行うだけでもかなり話せるようになるという。学生たちも最初は半信半疑で、冒頭のように“こんな学習で話せるようになるわけがない”と思うようだが、やり続けるうちに意外にも話せている自分に驚くそうだ。テキストに書かれた例文を覚える語学学習に比べて、自分たちで考えたシナリオをドイツ語にして、音声認識アプリで通じるまで発音練習を繰り返し、それを演じた経験は簡単には忘れたりしない。

「長年、このスタイルにこだわって授業を続けていますが、目指しているのは“学び方を学ぶ”授業でありたいということです。学生たちは今後、新たな言語を学ぶ機会があると思いますが、そのときにドイツ語の授業で学んだ方法を活かしてほしいですね」

実際に学生からも“自信ができた。ほかの言葉を学ぶときの土台になると思う”“仲間とコミュニケーションを取りながら学ぶ大切さを実感した”といった感想が寄せられており、手応えを感じているのがわかる。

ちなみに、学生たちが作成した動画は、動画ベースの学習プラットフォーム「フリップグリッド(Flipgrid)」を使って、全体で共有する。学生同士でコメントを書き込んだり、授業を振り返ったりと、学習記録を残すことも岩居教授は大事にしている。

 

 

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Apple Distinguished Educator 岩居弘樹教授

大阪大学サイバーメディアセンター教授。モバイルデバイスやタブレット、WEBサービスを活用したドイツ語学習、1学期(15回)で3言語を学ぶ「複言語学習の勧め」など、“外国語の学び方を学ぶ”ことを目標にした、能動的な外国語学習の実践研究を行っている。ADE2013。Macintosh SEからのMacユーザ。

Apple Distinguished Educator(ADE)…Appleが認定する教育分野のイノベーター。世界45カ国で2000人以上のADEが、 Appleのテクノロジーを活用しながら教育現場の最前線で活躍している。

 

 

相手の心に届く言葉を

岩居教授が現在もっとも力を入れていることのひとつが、博士課程の学生を対象に行っている複言語学習だ。ドイツ語と同じ手法で語学を学ぶが、こちらは1セメスター15回の講義で、なんとインドネシア語、トルコ語、ベトナム語の3カ国語を学ぶ。先生役は留学生に手伝ってもらい、それぞれの言語を5回ずつ学習し、15回の講座で3カ国語に挑戦する。岩居教授がドイツ語の授業で実施している語学教授法と同様に、iPadを使った発音練習、シナリオ作成、動画撮影というプロセスで学ぶというのだ。

「複言語学習によって、学生には簡単な自己紹介や挨拶を相手の国の言葉で話せるようになってほしいのです。日本は今、多言語社会で英語以外の言葉を話す人が増えていますが、そんな外国人と初めて関わるとき、相手の国の言葉で話しかけることができれば、より深い人間関係を作れる可能性があります。言語の学習というと、読み書きが先にきますが、今はiPadやテクノロジーを使って音声だけで簡単な挨拶や会話を学習できます。そんな学習が可能であることを知ってほしいですね」

一方で、岩居教授はこのような語学学習について、“阪大生だからできる”“博士課程の学生だからできる”と言われてしまうと打ち明ける。これについては、「そうではない」と否定。岩居教授は大阪大学以外にも看護系の大学などで同様の授業を行っており、そこの学生たちの成果にも手応えを感じているという。学生たちからは、医療の分野では挨拶や簡単な会話を相手の国の言葉で話せたら信頼関係を作るのに役立つといった声が上がっており、相手の母語で語りかけることが、いかに異文化コミュニケーションとして有効かを教えてくれる。

岩居教授は、反アパルトヘイトの運動家であるネルソン・マンデラの言葉「相手が理解できる言葉で話したら、相手の頭に届く。相手の母語で話したら、相手の心に届く」が好きだという。民族理解、異文化理解が求められる今だからこそ、相手の心に届く言葉を知っていることは大切だ。

「私たちも外国に行ったときに日本語で話しかけられるとうれしいものです。これからの日本は移民も増えると思うので、外国人と関わる医療、教育、公共機関などで働く人に対して、こうした取り組みをもっと広げていければと思います」

 

 

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動画ベースの学習プラットフォーム「Flipgrid」。以前は有料サービスだったが、2018年6月にマイクロソフトが買収し、無料で使用できるようになった。岩居教授はテーマごとに「Grid」を設定して、そこに学生たちが動画を投稿する形で使用している。「YouTubeのやりとりはテキストだけですが、Flipgridは動画で返信できるのが新しい」と岩居教授。教師用画面ではルーブリックの設定・評価、学生へのフィードバックも可能で、非常に重宝しているという。

 

 

iPodタッチが大きな転換点

このような語学学習を長年続けていた岩居教授だが、その試行錯誤たるや“半端ない”。今でこそ、iPad1台で発音練習や動画撮影が可能であるが、以前は大きなビデオカメラをかついで動画を作成し、莫大な予算で作られたLL教室(言語実習室)を使用して発音練習などを行っていたという。最初に勤務した麗澤大学ではMac専用教室をつくり、「ハイパーカード(HyperCard)」を用いた独自のドイツ語教材で授業を行ったりもした。その後さまざまなツールを模索していたが、2007年のiPodタッチの登場が岩居教授の授業スタイルを大きく変えた。

「iPodタッチを見たとき“これは絶対に使える!”と確信したんです。ネットワークにつながるのが何より魅力で、すぐに研究費を申請して10台くらい購入し、授業で使い始めました」

当時、CDやテープレコーダを持ち歩かずに、ドイツ語の文章を発音できるデバイスは画期的な存在だった。また音声認識アプリ「ドラゴン・ディクテーション(Dragon Dictation)」がiPodタッチで使えるようになり、一気に授業スタイルが変わっていったという。それまでは、テキストを用いて50~60人の学生を前に一斉講義を行うこともあったという岩居教授だが、iPodタッチの登場以来、学生が受け身になる一斉授業をやめた。そして、iPhone、iPadへとツールを進化させ、今のような授業スタイルになったという。

2013年のADEに認定された岩居教授は、海外のADEとの交流も積極的に行っている。「最先端な取り組みを行っている教育者の集団なので、校種や分野に関係なく、話がとにかく面白いですね。大いに刺激を受けています」と岩居教授。海外の教育者は今「VR」や「AR」への関心が高く、教育現場への落とし込みも広がっていることから、自身も研究中だという。

また、海外だけでなく、アップル製品を活用する国内の教育者らとつながり、定期的に情報共有を行う研修会「iPadカフェ」を開催するなど精力的に活動している。教育者たちがiPad片手にカジュアルに話しながら、新しい教育を語り合うことが楽しいのだという。

知識を覚え、頭だけで理解する語学教育はもういらない。“話せた”を実感できる体験こそ、次の学びへの礎になる。

 

 

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岩居教授の語学学習の流れはこうだ。音声認識アプリを使って発音練習し、3人グループでシナリオを作成。その後、シナリオを演じて動画を撮影する。3人が入れ替わり、すべての役割を担い、ひとつの動画を仕上げる。

 

 

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岩居教授が最初に勤務した麗澤大学でつくったMac教室。「当時から、シンプルで使いやすいApple製品は教育に活かせると思っていました」と岩居教授。扇形にコンピュータを配置するのも当時は珍しかった。

 

 

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岩居教授が開催するiPad研修会「iPadカフェ」の様子。iPadなどのApple製品を活用する同じ大学の教師や外部の教育者を集めて、定期的に情報共有を行っている。「こんな授業をしたいけどどうすればいい?」など、カジュアルに話せる場を目指しているという。

 

岩居弘樹教授のココがすごい!

□シナリオから作る動画制作など、“学び方を学ぶ授業”を実践している
□長年の授業スタイルをさらに応用し、多言語演習を実施している
□積極的にテクノロジーを取り入れ、理想とする授業スタイルを研究し続けている



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