2018.06.12
写真を語るとき、レタッチは避けて通れない話題だ。レタッチによって作者の意図が明確になる反面、それはもはや写真ではないという意見もある。絶対的な答えはないが、向き合い方のヒントになることを記しておこう。
レタッチとは何か
この場合のレタッチとは、厳密にはフォトレタッチを指す。ひと言でいえば、写真の色合いやコントラストなどを補正したり、修正したりすることを意味し、広義には画像の合成や各種のフィルタ、エフェクトをかけることも、レタッチに含まれる。
現在は、デジタル写真を対象とするケースがほとんどだが、実際にはフィルムを用いたアナログ写真の時代から写真を整えるための重要な技術でもあった。フィルムの時代には、不足するダイナミックレンジやコントラストを紙焼きの段階で部分ごとの露光量調整によって補ったり、フィルム面に付着したホコリなどで生じたホワイトスポットを筆と絵の具などで修正することが当たり前だったからだ。
デジタル写真になって、そうした調整や修正の自由度ははるかに高くなり、また適切なアプリを使うことで作業技術面でのハードルがほぼなくなったため、今や、写真のレタッチは、別の観点からごく普通に行われるようになっている。
写「真」と写「偽」
そこで問題となるのが、レタッチした写真は、果たして写真と呼べるのか、という点だ。
たとえば、インスタグラムには色鮮やかな写真が数多くアップされている。特に、食べ物やデザート系の写真は、それが普通のレストランのランチであっても、いかにも食欲をそそるイメージに仕上がっている。しかし、現実のレストランはスタジオなどと違って、必ずしも理想のライティングが得られるわけではなく、実物は(実際に美味だとしても)そこまで美味しそうに見えないこともある。ところが、それではインスタ映えしないので、脳内のイメージに合わせるかたちでレタッチが行われ、いわゆる「盛った」状態の写真がアップされることは常態化している。
筆者が中学生のとき、べらんめえ口調の名物教頭先生がいて、校内イベントや修学旅行などで生徒が普段と異なる澄まし顔で写真に収まっているのを見て、こんな名言を残した。「こりゃ、写真なんかじゃねえ。写偽(しゃぎ)だな。」
もしも、この先生がご存命で、インスタグラムを覗いたならば、おそらく、アップされているほとんどの写真について「写偽だな」とつぶやいたかもしれない。
さらに、プロの写真家やストイックなアマチュアフォトグラファーの中には、撮影後のトリミングすら否定する人さえいる。フィルムカメラの時代には、紙焼きをする際にパーフォレーション(フィルム送り用の穴)までが含まれるように焼き付け、自分の作品では一切トリミングをしていないことがわかるようにしたり、デジタルカメラになってからも、ファインダで切り取った構図がすべてであると明言している記事を目にしたこともあった。
確かに同じシーンでも、トリミングによって意味が変わったり、印象を操作することもできる。つまり、ありのままの被写体を記録することが写真だとするならば、少しでも調整を加えたものは写真ではないという、写実主義的な考え方にも一理あるだろう。
デジタル=レタッチ?
だが、考えてみると、アナログ写真の時代には、フィルムのブランドや製品シリーズごと個性があり、好みに応じて使い分けることは普通に行われていた。極端にいえば、モノクロ写真は、現実の風景がフルカラーである以上、輝度情報だけを残したレタッチ写真ともいえるわけだ。