当たり前だが難しい。本当の「人」中心のアプリ開発|MacFan

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当たり前だが難しい。本当の「人」中心のアプリ開発

文●牧野武文

Apple的目線で読み解く。ビジネスの現場におけるアップル製品の導入事例をレポート。

今、世の中にはさまざまな企業アプリが存在する。だが、それらは果たして本当に使いやすいものだろうか。そうした当たり前を根本から疑い、「人」を中心にデザイン思考の考え方でアプリ開発を行うのがtigerspike社だ。大手企業がこぞってソリューション開発を依頼する同社の急成長の秘密に迫る。

 

テクノロジーとビジネスと人

デジタルソリューションを提供するテクノロジーカンパニー・タイガースパイク(tigerspike)は、2003年にオーストラリアのシドニー市で設立され、10年で東京を含む世界の8都市に急成長した。それもそのはず、グローバルではアップルやグーグル、アマゾン、セールスフォースといったIT企業と戦略パートナーシップを結び、顧客にはシェル石油やセブンイレブン、マクドナルドといった巨大企業が並ぶ。東京オフィスでも、企業名は出せないものの、誰でも知っている大企業のアプリ開発などを手掛けている。

なぜ、大企業がこぞってタイガースパイクにアプリ開発を依頼するのか。「従来の企業アプリは、ビジネスとテクノロジーを掛け合わせることでイノベーションが起きると考えられてきました。しかし、私たちはビジネス、テクノロジーと『人(の感情)』が交差したところにイノベーションが生まれると思っています」(ジェネラルマネージャー・根岸慶氏)。

「ビジネス×テック」の発想から生まれるのは生産性・合理性・効率性だが、「人×ビジネス×テック」の発想から生まれるのは、便利・楽しい・手放せないなどの人の気持ちが発端となったアプリだ。

たとえば、旅行会社が自社の顧客向けにアプリを提供しようとする。旅行プランを参照・予約できるだけでなく、旅行関連商品も購入できるアプリだ。これは「ビジネス×テック」の発想で、便利かもしれないが「売り手目線」のアイデアから脱していない。しかし、タイガースパイクは違う。まず旅行とは何か、それを使う人は誰なのか、どうしたら使い続けてもらえるのか等を徹底的にユーザ目線で分析したうえで、アプリ開発を行っていく。

 

 

タイガースパイク、ジェネラルマネージャー・根岸慶氏。タイガースパイクは、オーストラリアに拠点があるグローバルなアプリ開発企業。デザイン思考に基づいたUXデザインに長けていることで評価が高い。根岸氏は、その東京オフィスを率いている。タイガースパイクは社員数約300人だが、国籍は40カ国。多様性に富んだ企業だ。価値観が異なることでさまざまな摩擦が起き、それが優れたアイデアを生む源泉のひとつになっている。

 

 

タイガースパイクが考えるイノベーション。従来のイノベーションは、ビジネス領域とテック領域のクロスするところで起きると考えられていた。それは「業務に人工知能を使えば何かが起こる」のようなリアリティに欠けるものだった。タイガースパイクは、そこに「人(ユーザ)」が加わることで、イノベーションが起きると考えている。

 

 

BtoC to スモールB

  「人」からスタートしてアプリを発想していくタイガースパイクの手法は、言葉にすると当たり前のように聞こえる。つまり、それは「使う人のことをまず考えよう」ということで、ユーザ目線のアプリ開発は誰もが行っていることに思える。しかし、果たして、それは本当だろうか。

今では企業が消費者向けのBtoCアプリや、自社業務に関連するBtoBアプリを開発すること自体は決して珍しくはないが、それこそ毎日使いたくなるようなアプリは皆さんのiPhone、iPadに入っているだろうか。

「モバイルアプリケーションの世界というのは、すごい気持ちいいとか、すごい楽しいとか、すごい便利だとかではないでしょうか。そういった観点は、ことビジネスに置き換わった瞬間になくなってしまいがちです。それではアプリを開発しても、使ってもらうことにはつながりません。つまり、ビジネスには直結しないのです。アプリ開発の黎明期が過ぎ、多くの企業がそのことに気がつき始めているのだと思います」

また、最近では、BtoC to スモールBのような形態のアプリも増えてきていると根岸氏は語る。特に、規模の大きな企業は、製品やサービスを提供していても、販売は各地域の販売会社に任せていることが多い。たとえば、自動車メーカーは自動車を製造するが、販売は各地域の販売会社が担当する。これまではユーザとの接点を販売店任せにしていたが、直接メーカーが消費者向けのアプリを開発し、購買意欲を刺激し、各地域の販売子会社に結びつける。このような「トスアップ」をするBtoC to スモールBアプリが増えていることも、いかに企業がユーザ(人)に直接働きかけることが大事なのかを物語っている。

 

 

UXデザインに対する日本企業の投資は、従来BtoCアプリに限られていた。それが欧米並みに広がりつつある。よくよく考えれば、ある程度の規模の企業では、1社で製造から販売まで担っているということは稀だ。協力企業や子会社に販売を委託している例は多い。そのBtoC to Small Bという領域こそ、モバイルを必要としている。

 

 

こだわりのユーザ調査

そうしたユーザ志向のアプリを開発するために、タイガースパイクでは、独自の問題解決手法を採っている。その手法は多岐にわたるが、その本質を一言で語るとすれば「デザイン思考の徹底」である。デザイン思考とは、デザイナー的思考を意味する言葉で、具体的には、人々のニーズを観察したうえで課題を設定し、アイデアを出し、そのアイデアを元にプロトタイプを作成し、実際にユーザテストを行いながら試行錯誤を繰り返すことで、新たな製品やサービスを生み出し課題解決につなげる方法だ。

その基本になるのがユーザ調査である。これをタイガースパイクは地道に、解像度深く行っていく。

「よくユーザのペルソナを設定して、その行動を時系列で1枚にまとめたカスタマージャーニーを作成する場合があるかと思います。ユーザの各段階で何が問題なのかを抽出するのですが、私たちの場合、たとえば営業マンの1日のカスタマージャーニーの場合でも通常の10倍~20倍事細かに作成していきます。営業マンとお客様の感情や行動を一挙手一投足分析していくのです」

また、ユーザと同じ生活をしばらく体験してみるというエスノグラフィーという手法を採ったり、ユーザの背後に張り付いてユーザの行動を逐一記録して行くというシャドーイングという手法を採ったりすることもある。こうすることで、アプリ開発を依頼した企業が気がつかない問題点をあぶり出し、先入観なしに、客観的に問題を整理して解決を図っていくのだ。同社はBizDev/UX・UI/TECH/PMの4つの部門とバックオフィスで構成され、プロジェクトごとに部門横断でチームを組むという。スタッフはすべてUIやUX、デザイン思考に長けたエキスパート。また、ニューヨークやロンドンをはじめ、世界各地のオフィスからメンバーが派遣されてプロジェクトを組成することも日常的にある。つまり、グローバルで先端のノウハウを共有しながら行うため、常に洗練されたソリューションを提供することができるのだという。

「デパートなどの施設で、よく建物内の自分の位置情報をアイビーコン(iBeacon)を使って表示するアプリが提供されていることがあります。でも、多くの場合、使ってみると自分の位置が正確に表示されないですよね。ユーザ体験の観点からすれば、それはあり得ないことです。私たちの場合、国内のアイビーコンを使った位置測定ツールを軒並み試してダメだったので海外から取り寄せ、実際に何十回も施設の中を歩き回って体験してから提供しています。東京の商業施設『GINZA SIX』のアプリをぜひ試してみてください」

 

 

ユーザを知るための1つの手法、シャドーイング。実際のユーザの背後に張り付き、ユーザが作業をしながら、何を見て、何を聞いて、何を考え、どう感じているかを克明に記録していく。

 

 

デザイン思考は、ユーザを知ることからスタートする。ユーザのペルソナ(属性)を仮定し、そのユーザがどのような行動をとっていくかをジャーニーマップなどにまとめ、アプリ開発の基礎資料とする。

 

 

デザイン思考の理解者の必要性

ただし、デザイン思考に基づいたアプリ開発は簡単ではない。表面にはなかなか出てこないが、挑戦をして途中で挫折してしまう企業も多いのだという。「ユーザインタビューだけとっても、経験に裏打ちされたノウハウが必要です。それなしで着手してしまうと、途中で、あれ?という森の中で迷子になってしまうこともあります」。

そして、コストがかかる。通常のアプリ開発費用として考えてしまうと、かなりの高額に感じるはずだ。しかし、それは徹底したユーザ分析と、使いたくなるソリューションアイデアの創出に手間暇がかかるため。また、企業内にデザイン思考の理解者が必要だ。理解するだけでなく、高額の費用をかけてデザイン思考を実践することで、それ以上の利益を企業にもたらすというロジックを語れ、経営者を説得できる人材が必要となる。

UXに長けたアプリは増えている。しかし、UXデザインとは、色と形を配置することではない。人を知り、その人の「不快」を解決し、「快」を増幅させ、なおかつ企業に適切な利益をもたらす仕組みを設計することだ。そうしたユーザと本当につながれるアプリを開発してこそ、企業は利益を得ながら、社会に貢献をしていくことができる。デザイン思考は、企業の理想の姿を実現する考え方の1つでもある。モバイルアプリがこの世に姿を現して10年、アプリは再びその存在を進化させようとしている。

 

 

ある生命保険会社のために開発されたライフプランシミュレーションアプリ。海外旅行や自家用車購入という資産は減るものの、感情がプラスになるイベントもある。スライダーで年齢を変えると、イラストの家族も年齢にあった風貌に変わっていく。お遊びではなく、そうすることで、将来の家族の状態を直感的に理解することができるのだ。

 

 

tigerspikeのココがすごい!

□デジタルは解決策の1つ。まず企業が抱える問題を飽くなきほど追求する。
□イノベーションは、ビジネスとテクノロジーだけでなく、「人」ありきで。
□デザイン思考と多様性のあるチームで、イノベーションを生み出す。