迫るIoT化の波に老舗印刷会社が送り出す「現代の薬箱」|MacFan

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迫るIoT化の波に老舗印刷会社が送り出す「現代の薬箱」

文●朽木誠一郎

Apple的目線で読み解く。医療の現場におけるアップル製品の導入事例をレポート。

年間6500億円と推定される残薬問題、高齢化社会の課題解決のためにIoT化されたのは「薬箱」だった。開発したのは、老舗印刷会社である凸版印刷だが、なぜ同社はヘルスケア事業に参入するのか。常に「印刷」を再定義し、ノウハウを継承しつつ生き残らんとする巧みな一手を紹介する。

 

 

ヘルスケア領域に参入

「紙の本が売れない」と聞いて、まず思い浮かぶのは出版業界への影響だろう。デジタルシフトが叫ばれ、実際に進められている。しかし、紙が売れないとなれば、影響を受ける業界は出版だけではない。印刷業界もまた、強い危機感を抱いている。

「紙媒体を中心とした従来の“印刷”は縮小していくでしょう」−取材に対し率直に答えるのは、凸版印刷株式会社のプロモーショナル・マーケターである藤川君夫氏。そんな藤川氏が中心となり、同社で開発したのが、「ケアポッド(CarePod)」と呼ばれる「現代の薬箱」だ。

ケアポッドはiPadと連動するIoTデバイス。薬のパッケージについた電子タグを読み取り、iPadに送信、クラウドで共有する。これにより患者の薬の飲み忘れを防止し、残量の「見える化」が可能になる。また、医師や家族が服薬履歴を確認できることは、患者の生活の見守りにもつながる。

今回のケアポッドは「あくまでもプロトタイプ」であり、(現時点では)販売予定などは決まっていない。直接には収益を上げないにも関わらず、このようなプロダクトの開発は、同社のような老舗の企業に必要不可欠だという。変革を求められる既存の産業における生き残り施策について、当事者が口を開いた。

 

 

CarePod開発の中心となった凸版印刷株式会社 生活・産業事業本部ビジネスイノベーションセンターの藤川君夫氏。

 

 

「医療費のムダ」を解消

「印刷会社がヘルスケア領域に参入する」と聞いて、訝しく思った人もいるだろう。しかし、同社はすでに、この領域に確固たる基盤を築いている。それが薬の「包装」だ。印刷の技術や設備を活かし、製薬会社の商品パッケージを作っていることは、実はあまり知られていない。そんな同社だからこそ、ヘルスケア領域のある「ムダ」に注目できた。それは年間100億円から6500億円分ともいわれる「残薬」、つまり患者に渡されたまま飲まれず、捨てられる薬のことだ。

患者の症状にあわせて医師が処方し、薬剤師が調剤した薬が、患者に渡されたあとどうなっているのかは、実はブラックボックスだ。飲みたくない薬をこっそり捨ててしまったり、十分回復したからと薬を取っておいたりする人もいる。

このようなムダは、ただでさえ高騰する医療費をさらに押し上げ、財政を圧迫している。しかし、ブラックボックスがあれば、見える化によるビジネスチャンスも生まれる。同社だからこそ、このポイントに目をつけられたともいえる。

この試みには社会的意義もある。高齢化社会では、老後の人間関係が希薄になり、孤独死につながることが問題視される。このデバイスは、薬を飲んだかどうかの確認をとおして、医師や患者の家族とのコミュニケーションを促す。

「弊社の従来の強みをIoT化の文脈で語ると何ができるのか。薬のパッケージをIoT化すれば、医療費のムダと、高齢化社会の課題の両方を解消することが可能になると考えました」

経済産業省は今年「2025年までに主要コンビニのすべての商品に電子タグを利用する」と発表。商品パッケージのIoT化は決して遠い未来の話ではない。「製造業は否応なくIoT化の中にあります」と藤川氏はいう。

同社の事業の柱は、現在3つ。1つはデジタルも扱う、いわゆる印刷における情報コミュニケーションで、もう1つはエレクトロニクス(電子機器製造業)。そして、今回の事業の元になったパッケージ印刷などの生活・産業だ。

「弊社における“印刷”とは、モノや情報を加工し、暮らしに一番近い形で届けること。だから私たちのスローガンは“可能性をデザインする”です。これまでも、弊社に蓄積されたノウハウを横展開して、世の中に新しいプロダクトを提案してきました」

とはいえ、特定の製薬会社のパッケージだけをIoT化しても、ほとんど需要はないだろう。同社がすべての製薬会社のパッケージを作っているわけでもない。しかし、最近の薬には「一包化」という特徴がある。

一包化とは、患者に処方された複数の製薬会社の薬を薬局で取りまとめ、一回に飲む分ごとにリパックする(包装し直す)こと。すでに競合のいる製薬会社ごとの包装ではなく、全国の薬局における再包装をターゲットにすれば、そこは未開拓の事業ということになる。

パッケージの電子タグを読み取る技術を提供したのは株式会社デンソーウェーブ。920MHz帯RFIDの読み取り技術により、複数の薬の情報を同時に管理できる。この技術により、薬を取り出すと「服薬した」とカウントされる。

服薬状況のデータとデバイスをつなぐのが、iOS専用の同名アプリだ。このアプリではいわゆる「お薬手帳」のように自分の服薬状況を参照したり、飲み忘れ時にアラートを表示したりといった、患者ごとの事情に対応した服薬のサポートが可能になる。

アプリ経由で取得されたデータはクラウド上で管理。同時に、服薬を示すハートのマークが表示され溜まっていく。ゲーム要素により、患者の服薬意欲を向上させる狙いだという。これまで薬を実際に飲んだかどうかは患者の自己申告でしかわからなかったため、見える化は治療成績の改善にもつながると期待される。

 

 

凸版印刷は、創業1900年の歴史ある大手印刷会社。「印刷テクノロジー」をベースに「情報コミュニケーション事業」「エレクトロニクス事業」「生活・産業事業」の3分野にわたり幅広い事業を展開している。【URL】http://www.toppan.co.jp/

 

 

行き詰まりを打破するために

特筆すべきは、デバイスとアプリのほとんどが、凸版印刷により内製されているということ。これまでさまざまな事業に取り組んだことで、同社にはIoTデバイス、スマートフォンアプリを開発する技術や設備、ノウハウがあった。

また、ケアポッドでは、アップルの「ケアキット(CareKit)」を利用している。ケアキットは特定の対象を継続的に「ケア」するためのデザインテンプレート集だ。「見守り」を目的の1つにするケアポッドにとって、ケアキットはまさにうってつけのサービスだ。

ただし、懸念はある。たとえば、薬を取り出すと「薬を飲んだ」とカウントされる点。これにより「飲み忘れ」はなくなるかもしれない。薬剤師を含む全国の一般消費者モニタ8名で行った実証実験でも、アラートなどにより21%の飲み忘れが防止されたことが判明している。しかし、このような実証実験に参加するのは、そもそも服薬のモチベーションが高い人たちだ。一方、「薬を飲みたくない」と思っている人には、このデバイスはまったく役に立たないことも考えられる。取り出したあと、捨ててしまうなどの行動は、カウントも防止もできない。

また、ケアポッドがどのように薬局などの現場に導入されるのか、まったく想像がつかないことも不安要素だ。しかし、これらの指摘にも、藤川氏はひるまない。

「新しいプロダクトを開発するときに大切なことは、まず何かを出してみること。懸念ばかりでは既存の産業における行き詰まりを打破できません。プロダクトの反響から、現場のニーズを吸い上げ、需要がある方へと舵を切っていくことが求められます」

老舗たる技術やノウハウを手に入れた企業が、それらを横展開して、新しい「一手」を打ち続ける。最適化されたプロダクトだけが企業の次の柱になる。もちろん、その過程で多くのプロダクトが淘汰されるわけだが、自然の摂理に照らしても健全だといえる。むしろ、このようなチャレンジを怠れば、企業ごと大きな流れの中に沈んでしまうことにもなりかねない。同社のような企業にこそ、新しいプロダクト開発が必要というのは、的を射た意見に思える。

一方、医療や健康に関する新技術というのは、少なからず患者や医療関係者、周囲の人たちを期待させるものだ。その期待の中には、命に関わるものもある。このような場合、失敗したから次へ、とはいかないだろう。

ヘルスケア事業は、将来的に同社の事業の柱の1つになるだろうか。藤川氏は「理想を掲げ、できるところから現実に落としていけば、いつか到達できる」という。ケアポッドの成否の「見守り」を、私たちもまた、続けていかなければならない。

 

 

CarePod

電子タグのついた複数の薬のパッケージを一括で読み取り、管理できるCarePod。薬を飲むタイミングでアラートを出したり、薬の残りの量をiPad上に表示したりできる、通信機能つきの「薬箱」だ。iPadとCareKitを組み合わせた服薬管理システムは、日本国内で初だという。

 

 

薬のパッケージを取り出すと「薬を飲んだ」とカウントされる。折り重なった薬のパッケージでも個別の情報を管理できる技術は、共同開発のデンソーウェーブによるもの。

 

 

シンプルなアプリのUIは、スマートフォンやタブレットの操作に慣れた世代はもちろん、高齢者にも使いやすく設定されている。今後、Apple Watchにより出先でもアラートを受け取る機能も検討している。

 

 

>CarePodのココがすごい!

□薬のパッケージをIoT化して「飲み忘れ」を防止し、残薬問題を解決する。
□医師や家族が服薬履歴を確認できるため、高齢患者の「見守り」に役立つ。
□老舗ならではノウハウを横展開し、ハードとソフトともに自社で開発している。