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ソフトウェアカンパニーからの転換、そしてクラウドへ

創業から現在へ連綿と続くアドビの革新の歴史

文●大谷和利栗原亮小平淳一氷川りそな松村太郎山下洋一山田井ユウキ写真●黒田彰、Leigh Pratherイラスト●サンビーム、microvector

1982年に米国カリフォルニア州サンノゼで産声を上げたアドビ。それから30年あまり。ソフトウェアを開発・販売する企業としては世界最大になるまで至った。黎明期から現在まで、アドビが辿ってきた革新の歴史を追っていこう。

1982-1986【黎明期の発想と先見性】

まだ、「アドビ」という単語が日本人のボキャブラリにはなく、英語圏でさえも「日干しレンガ」以上の意味を持たなかった1982年のこと。ゼロックスのパロアルト研究所のスタッフだったチャールズ・ゲシキとジョン・ワーノックは、その後の印刷・出版産業を一変させる1つのアイデアを携えてアドビを起業した。そのアイデアとは、ワーノックが以前から温めてきたプログラミングによってテキストやグラフィックス、およびそれらの配置を規定することができる「ページ記述言語」であった。

彼は、ゼロックス時代にゲシキと協力して進めた研究の成果として「インタープレス(InterPress)」という言語を作り上げたものの、会社の上層部は商業化に消極的だった。そのため、自らの信念に基づいて2人で起業し、「ポストスクリプト(PostScript)」を開発する道を選んだのだ。

このときゼロックスは、GUIと同じくページ記述言語の可能性を見抜くことができず、未来の担い手となるチャンスを二重に失った。しかし、未来が今のような姿になるとは、当の本人たちでさえ想像してはいなかっただろう。

アドビの社名は、ワーノックの自宅の裏を流れていた川の名前から採られたものだが、アップルと同じく、およそ先端技術系の企業とは思えないネーミングである。しかし、元々、稀覯本の蒐集家であり、紙の本の美しさを電子的に再現することを願ったワーノックだけに、日干しレンガと同様に、自社の技術が社会の礎になる日を夢見る気持ちがどこかにあったのかもしれない。

データではなくプログラムで印刷用のページイメージを表現するというワーノックとゲシキの発想は、世間の先を行く(既存技術の延長にある)というよりも、異なる方向から現れた技術が、それまで主流の流れを弾き飛ばすという類のものだった。だからこそ、大いなる可能性を秘めている反面、市場に受け入れられずに終わる危険もあった。

そもそもポストスクリプトは言語であり、単体でワードプロセッサや表計算ソフトのように機能するわけでもなければ、それらのソフトウェア開発に使えるわけでもない。それで記述されたページが実体化して、初めて価値が認められる種類の技術だ。そのクオリティは出力装置に依存するうえ、ポストスクリプトを「実行」し印刷するためのプリンタにはコンピュータ並みの処理能力が求められる。ところが、そんな製品は、まだどこにも存在していなかった。

このとき、業界で唯一、ワーノックとゲシキの先見性を評価し、ポストスクリプトの真価を認めたのが、故スティーブ・ジョブズ率いるアップル(当時は、アップルコンピュータ)だった。ジョブズは、アドビ設立から3週間後に2人のもとを訪れて交渉を開始し、最終的にキヤノンのレーザプリンタエンジンとポストスクリプトの実行機能を組み合わせた「レーザライター(LaserWriter)」を自社開発したのである。

その出力の美しさや精度と表現力の高さは、世界初のページレイアウトソフトのアルダスページメーカーと相まってDTP(デスクトップパブリッシング)革命の引き金となり、同時にアドビの評判も高める結果になった。

名馬も伯楽なくしては名馬たりえないという故事があるが、まさにジョブズはアドビにとっての伯楽(馬鑑定の名人)だったといえる。さらにアップルが同社に250万ドルの出資を行い、ポストスクリプトライセンスのロイヤルティも先払いしたことで、設立間もないアドビはポストスクリプトのさらなる開発や対応フォントの制作に着手できたのだった。

 

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