肢体不自由・発話困難な児童生徒の世界を変えるiPad活用|MacFan

教育・医療・Biz iOS導入事例

肢体不自由・発話困難な児童生徒の世界を変えるiPad活用

文●三原菜央

Apple的目線で読み解く。教育の現場におけるアップル製品の導入事例をレポート。

福島県いわき市にある肢体不自由の児童生徒が通学する福島県立平支援学校。同校で、重度障害児に対して難しいとされていたコミュニケーションや意思表示をiPadで実現しているのが稲田健実教諭だ。児童生徒の視点に立った環境作りに心血を注ぐ稲田教諭の実践に迫る。

 

 

レッテルを貼らない

福島県いわき市にある福島県立平支援学校は、今年創立70周年を迎える肢体不自由の児童生徒が通学する特別支援学校だ。小学部から高等部まで約85名が在籍しており、児童生徒の心身の発達と障害の状態に応じて、より適切な教育を行っている。GIGAスクール構想によって同校の小・中学部には1人1台のiPadが整備され、高等部でも特別支援教育就学奨励費を活用し、iPadをBYOD(Bring Your Own Device)で運用している。同校の稲田健実教諭は、10年以上前から共有iPadを活用し、重度障害児のコミュニケーションや意思表示の幅を広げてきた。

「私は重度の障害を持つお子さんを担当することが多いのですが、その場合、自らiPadでアプリを選んで使うことが難しく、伝えられる言葉も限られています。そこで音声によるコミュニケーションが困難な人のためのツール『VOCA(Voice Output Communication Aid)』をiPadに入れて活用してみることにしたんです。現在は、「ドロップタップ(DropTap)」というアプリを使用しています。ボタンを押すことで音声を出すことができるので、介助者に生徒が意思を伝えることができるようになります。たとえば、給食のときも、肢体不自由かつ音声コミュニケーションが難しい場合、これまではただ単に介助者から食べ物が口に届けられていました。それがドロップタップを使えば、自分の食べたいものを介助者へ伝えられ、好きな順番で給食を食べられるようになったのです」

重度障害を抱えていても“できない”というレッテルを貼らず、一人ひとりの児童生徒に合ったやり方を模索し続ける稲田教諭。同校を卒業し、社会に出たあとも子どもたちが困らないようにしたいという思いから、学校でICTを日常的に活用し、未来を見据えたサポートに徹している。

 

稲田健実教諭

福島県立平支援学校教諭。大学卒業後、福島県立いわき支援学校等を経て、福島県立平支援学校へ赴任し10年目。中等部で3年間学級担任を務めたあと、進路指導主事に。現在は国語教諭としても高等部を担当。Apple Distinguished Educator 2013。

Apple Distinguished Educator(ADE)…Appleが認定する教育分野のイノベーター。 世界45カ国で2000人以上のADEが、Appleのテクノロジーを活用しながら教育現場の最前線で活躍している。

 

 

テクノロジーで世界が変わる

iPadを日常的に使用している同校では、教育課程に合わせたさまざまな取り組みがなされている。iPadを直接タップすることが難しい児童生徒には、iPadをスイッチ操作できる機器「i+padタッチャー」を使うことで、意思表示を可能にしている。また、肢体不自由や発話困難で表現がしづらい児童生徒に対しては、拡大・代替コミュニケーションとして「視線入力」の活用を始めているそうだ。

「視線入力は、肢体不自由な人にとって有用な意思伝達装置です。本校では『トビー(Tobii)』を使用し、意思伝達はもちろんですが、ゲームをしながら楽しく『見る力』を養っています。見る力というのは、視力ではなく意図的に見るとか、追視できるようにすることです。実際に本校の生徒が使用した際には、同席されていたお母さんが『うちの子にこんなことができるなんて』と、泣いていらっしゃいました。すぐにパソコンなど必要な機器を一式購入されて、自宅でも取り組んでいらっしゃいましたし、卒業した現在も、卒業先で使用していると聞いています。テクノロジーを使うことによって反応がわかるようになり、周囲が積極的に関わるようになって、本人もよりコミュニケーションをとっていく。そういったプラスのスパイラルにどんどん変化していきます。まさに世界が変わるんですね。本人だけでなく、周りにもプラスの変化をもたらすのがテクノロジーの凄さだと思います」

稲田教諭の実践は、コミュニケーションの拡充に留まらない。たとえば筆を持って絵を描く動作を、iPadでロボティックボール「スフィロ(Sphero)」を操縦することで実現している。同校には、iPadとスフィロを活用して描かれた大きな作品が飾られているそうだ。

常に一人ひとりの子どもに合った教育内容を届ける稲田教諭は、3つの視点を大切にしているという。

「1つ目は『観察者の視点』です。子どもを俯瞰する習慣をつけることで、顔の表情以外の変化にも気づくことができます。2つ目は『対話者の視点』。これは子どもと同じ目線で関わってみるということです。そして最後が『共感者の視点』。その人にはどう見えているのだろう?と考えるのです。障害と聞くと、どうしても『できないこと』が目立つので、周りが勝手に『これはできないだろうから、助けてあげよう』という発想になってしまいます。でも、その子ができることを見つけて伸ばしていくことが大事ですよね。最初からできないと決めつけてしまうのはとても危険なことです」

 

できることを活かす

稲田教諭が学校でiPadを活用するきっかけとなったのが、ソフトバンクが主催する「魔法のプロジェクト」だ。魔法のプロジェクトでは、特別支援学校や特別支援学級、通常学級に所属する児童生徒と教員に、タブレットや人型ロボット「ペッパー(Pepper)」などのICT機器を1年間無償で貸し出している。2011年に採択を受け、4台のiPadからVOCAアプリの実践をスタートした稲田教諭。早い段階から特別支援学校でiPadを導入し、画期的な活用に取り組む背景には、何があったのだろうか。

「特別支援教育の世界では、もともとアシスティブ・テクノロジー(Assistive Technology)が活用されてきました。アシスティブ・テクノロジーとは、障害による物理的な操作上の不利や障壁を、機器を工夫することによって支援しようという考え方で、そのための支援技術を指します。こうした支援機器は価格が高く、当時は20~30万円のものを使用していました。そこにiPadが登場したことで、iPadに機能を集約させられるだけでなく、価格も抑えることができ、革命的でした」

2013年にはADE(Apple Distinguished Educator)の認定を受けた稲田教諭。今もなお子どもたちの可能性を信じ、可能性を広げる挑戦を続けている。

「間違えていけないのは『障害者のできないことを補うためだけにICTを使うのではない』ということです。強みを活かしながらICTを使うことが大事ですし、できないことを子ども側の問題にしない姿勢が欠かせません。心がけるべきは、『障害があるから〇〇できないよね』という見方・捉え方ではなく、『どう工夫したら〇〇ができるようになるか』や、『どうやったら〇〇という活動に参加できるか』を考えることにあると思います。これからも、『できることを活かす』発想を大事にしていきたいと考えています」

 

 

2000語のシンボルと音声が搭載されたコミュニケーション支援アプリ「DropTap」。アプリ上のボタンを押すことで音声が流れ、介助者に意思を伝えることができる。

 

 

「i+padタッチャー」はiPadをスイッチ操作できるようにする機器。静電ユニット部分をiPadの画面貼り付けることで、その場所をスイッチ経由でタップできるようになる。

 

 

スイッチさえ押すことができれば、工夫次第でiPadを操作することができる「iPadタッチャー」。朝の会などで積極的に使用しているという。

 

 

ロボティックボール「Sphero」をiPadで操作することで、筆を使わずに絵を描いた生徒。その作品は同校に飾られている。

 

稲田健実教諭のココがすごい!

□2011年から特別支援教育でのiPad活用を実践し続けている
□発話困難な児童生徒のコミュニケーションをiPadで実現している
□観察者・対話者・共感者の視点で、児童生徒に向き合っている